「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

                パソコンが故障

2012-08-18 17:54:30 | Weblog
パソコンが故障し修理に1週間かかりました。修理屋さんの話ではウイルスが原因だそうです。その間メールの受発信もできず、ご迷惑をかけました。ブログを借りてお詫びいたします。

        先人を偲びインドネシア独立式典に参加

2012-08-18 11:25:29 | Weblog
スカルノからスハルトへのインドネシア政治の激動期に駐ジャカルタ大使だった斉藤鎮男氏(故人)は先の戦争中ジャワの第十六軍政監部の政務班長であった。当時のことを書いた斉藤氏の「私の軍政記」(日本インドネシア協会 昭和53年)の中で、67年前のインドネシア独立時のことを次のように書いている。「待望のとき、とうもろこしの花の咲くとき、8月17日の午前10時がやってきた。スカルノ邸前庭にスカルノ、ハッタ、イワ.クスマなどの指導者,ラティフ義勇軍中尉など老若男女が続々と集まってきた」

昨日8月17日は第67回目のインドネシア独立記念日であった。これを祝って東京でも式典が午前8時から目黒の大使公邸庭で催された。例年のように僕も招かれて参加した。斉藤氏は独立宣言は午前10時と書いているが、日本の軍政下では東京時間を採用しており、実際のジャカルタ時間は午前8時であった。そこで日本の大使館主催の式典も8時に始まる。

斉藤鎮男氏は実際には67年前の独立宣言には立ち会っていないが「私の軍政記」の中で、独立宣言当日の模様を関係者から聞いて詳細に記述しているが、毎年ジャカルタをはじめ各地で行われる独立式典は、この独立宣言当日を模して行われている。この式典は僕ら戦争中のことを多少知っている者にとっては、今では日本では見られなくなった国旗掲揚式、昔式の軍隊の敬礼、気を付け、休めがそのまま残っており、変なところでノスタルジアを感じた。

戦争中インドネシアに従軍した世代の参加は毎年少なくなり、今年は98歳の今沢栄三郎氏と92歳の山下信一氏の二人であった。僕は戦後派だが、前記、斉藤鎮男氏をはじめ直接、独立宣言起草に立ち会った海軍武官府の西嶋重忠氏(故人)とも生前親しくおつきあいさせて頂いており、独立式典の日には戦時中インドネシアの各地で散華された人たちともども先人を偲ぶ日にしている。