タクシーの車内にあったパンフによると、東京の数寄屋橋に最初のタクシー会社が出来て今年で百年だという。百年前の大正元年(1912年)8月5日、6台のT型フォード車で営業を開始したのが東京でタクシーが走った始まりだそうだ。現役を卒業してすでに20年余、最近はすっかりタクシーのお世話になることが少なくなったが、色々と想い出がある。
僕が母親や叔母に連れられて最初にタクシーに乗った記憶は昭和11年、五反田駅から品川の荒神さまの春の祭礼に出かけた時だ。当時タクシーは”円タク”と呼ばれ、東京市内はどこへ行っても1円という制度だったが、母親たちは運転手と交渉して1円以下で乗った気がする。距離が短い時は例外だったのだろう。タクシーは皆黒塗りの箱型の輸入車で、後部座席には向かい合う形の補助席があった。運転手のほかに助手が乗っていた記憶があるがはっきりしない。後年、昭和37年、初めてロンドンに出かけたとき、幼児の時乗った同じ車種のタクシーが走っていて懐かしかった。
戦争が激しくなりかけた昭和17年秋、小学生だった僕は学校の参宮旅行で伊勢を訪れたが、何故か駅前のタクシーがすべて木炭車だったり、タクシーのボディを馬が引っ張っていたのを覚えている。しかし、まもなく、この木炭車のタクシーも日本全国から姿を消してしまった。戦後タクシーが復活したのはいつ頃からか、はっきりしないが、25,6年頃ではなかっただろうか。輸入したフォルクスワーゲンやルノーなどが走っていた。
国産車が本格的にタクシーに登場したのは30年代になってからで、それとともに”神風タクシー”とか”雲助タクシー”などといった好ましくない汚名も聞かれた。高度経済成長期の頃だ。しかし、最近は不況のためか、サービスもよくなってきて、近距離でも乗車拒否にあったことはない。
僕が母親や叔母に連れられて最初にタクシーに乗った記憶は昭和11年、五反田駅から品川の荒神さまの春の祭礼に出かけた時だ。当時タクシーは”円タク”と呼ばれ、東京市内はどこへ行っても1円という制度だったが、母親たちは運転手と交渉して1円以下で乗った気がする。距離が短い時は例外だったのだろう。タクシーは皆黒塗りの箱型の輸入車で、後部座席には向かい合う形の補助席があった。運転手のほかに助手が乗っていた記憶があるがはっきりしない。後年、昭和37年、初めてロンドンに出かけたとき、幼児の時乗った同じ車種のタクシーが走っていて懐かしかった。
戦争が激しくなりかけた昭和17年秋、小学生だった僕は学校の参宮旅行で伊勢を訪れたが、何故か駅前のタクシーがすべて木炭車だったり、タクシーのボディを馬が引っ張っていたのを覚えている。しかし、まもなく、この木炭車のタクシーも日本全国から姿を消してしまった。戦後タクシーが復活したのはいつ頃からか、はっきりしないが、25,6年頃ではなかっただろうか。輸入したフォルクスワーゲンやルノーなどが走っていた。
国産車が本格的にタクシーに登場したのは30年代になってからで、それとともに”神風タクシー”とか”雲助タクシー”などといった好ましくない汚名も聞かれた。高度経済成長期の頃だ。しかし、最近は不況のためか、サービスもよくなってきて、近距離でも乗車拒否にあったことはない。