「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          希望がなかった67年前のあの頃

2012-08-10 06:31:22 | Weblog
早朝、なでしこジャパンの決勝戦をテレビでみた。どちらが勝ってもよい好試合だったが、残念ながら銀に終わってしまった。金を期待していただけに残念だが、選手たちは一生懸命プレーしていた。お互いの肩に手を置き、表彰式場に入ってくる選手たちの姿には戦いに負けた悲壮感はなかった。むしろ、全力を出しきって戦った選手たちである。皆、顔には喜びがあふれ、それが見る側の僕らにとっても救いであった。

テレビのカメラが勝利した米国側の応援席を映していたが、その中に僕は「We have hope」というプラカードを見つけた。どういう意味なのだろうか。日本的に解釈すれば”勝利へ希望はある”つまり、金メダルへの希望を失っていない、ということになる。もしかすると、米国人の中には、日本の勝利が確定的な中でも勝利への望みはあると思っていたのかもしれない。

変な連想だが、毎年終戦記念日のこの頃になると、当時を想い出す。中学3年生だった僕は、最初の動員先の工場が空襲で焼け、次いで千葉県の利根川運河の拡張工事に従事していたが、これも終わり”動員浪人”みたいに多摩川べりの軍需工場で働いていた。電力不足から工場へ出かけても旋盤機械は動かなかった。することがなく、多摩川の土手の食べられそうな雑草摘みをしていた。沖縄戦は敗北し、僕ら子供でも戦況が厳しいことはなんとはなく判っていた。将来への希望などなかった。それでも、心のどこかに元寇の時のように神風が最後には吹き戦争は勝つと信じていた。

なでしこジャパンは負けても、国民は納得できるが、67年前の敗戦は国を挙げて戦ったのに悲惨の結果であった。