「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「ぞうさん」と戦後のあの時代の子供たち

2014-03-01 06:48:57 | Weblog
童謡作詞家のまど.みちお(石田道雄)さんが104歳の天寿をまっとうされて亡くなられた。まど.みちおさんといっても存じ上げなかったが、あの童謡「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」「一年生になったなら」の作詞家と知って急に親しみを感じた。昭和30年代生まれの子供たちがまだ幼かったころ、一緒に歌ったあの童謡の作詞家なのだ。

"ぞうさん、ぞうさん お鼻がが長いのね”-で始まる、このゆっくりしたメロデイは、いかにも象の巨体を思わせて面白い。いつの頃の作品か、と調べてみたら、昭和23年、まど.みちおさんが、南方から復員してきてすぐ作詞したものだ。当時、まどさんは東京に住んでいたが、上野動物園には象が一頭もいなかった。象が東京台東区の”子供議会”の決議に動かされて、インドのネール首相から贈られてきたのは翌24年の事だった。

敗戦後すぐ大人の世界では”りんごの歌”などの歌謡曲が大ヒットしたが、子供の歌は「みかんの花咲く丘」とか「里の秋」があるくらいだ。おそらく大正から昭和初期にかけての本格的童謡は、この「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」が戦後初めてではないだろうか。当時の東京は、まだ空襲の焼跡が残っており、、上野動物園ではお猿電車が子供たちの人気を集めていた時代である。

「一年生になったなら」の歌詞で、まどさんは”百人友だちを作り、富士山の上で皆でおにぎり食べよう”と”夢”を書いている。戦後の食糧難時代には大人も子供も”銀シャリ”のおにぎりを腹一杯食べるのが夢であった。明治、大正、昭和、平成四代を生きてこられた詩人は、いろんな体験をされてきた。