「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日米韓首脳会談 家康の朝鮮通信使復活までの外交に学ぶもの

2014-03-23 07:06:23 | Weblog
豊臣秀吉の朝鮮出兵で室町時代から続いていた朝鮮通信使が中断されていたが、1607年、徳川幕府の外交努力で復活、将軍秀忠に謁見後、駿府(静岡)に隠居中の家康とも会見している。これを記念して、今年6月、川勝平太静岡県知事が記念式典を催すことになり、朴菫恵大統領に招請状を送ったが今のところ返事がないと新聞に書いてあった。

僕ら戦前「皇国史観」で国史教育を受けた世代は”朝鮮”というと神功皇后の三韓征伐と豊臣秀吉の朝鮮出兵とその勝利の程度しか知識がない。朝鮮半島が日本の統治下にあった時代だから、学校教育も併合を正当化するためのものだった。従って、足利時代(1392年)から日本統治になるまで500余年も続いた李王朝との関係については,例えば李王朝が、日本の鎖国時代を含めて通信使を派遣していたことなど教わっていない。

改めて通信使について調べてみたら、秀吉の出兵で、中断された通信使の復活について徳川幕府は関ヶ原の戦役が終わった4年後の1604年に早くも朝鮮から松雲大師(朝鮮名 唯政)を招き、下交渉をしている。松雲大師は慶長の役のさい”義僧兵”を率いて戦った人物で、日本側にもその名が知られていた。家康は直接、松雲大師と会い、慶長の役で日本に連行した捕虜の返還などを含め通信使復活について話し合った。通信使が日本に派遣されたのはそれから3年後である。

今週からオランダのヘーグで開かれる核安全保障サミットで、米国の”肝いり”で日米韓三国首脳が顔を合わせる、日韓の首脳が話し合いをするのは2年前、当時の李明博大統領が竹島に上陸、さらに朴菫恵大統領が”従軍慰安婦”にからむ「歴史認識」を持ち出し、関係が急速に悪化して以来の事である。「歴史認識」などは話し合わないようで、恐らく完全な関係改善にはならないだろうが、”顔”を合わせるだけでも成果である。家康の通信使復活までの外交でも3年の歳月を要している。「河野談話」の轍をふまないよう、おかしな妥協はすべきではない。