「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

忘れかけ始められた「東京小空襲」

2017-03-05 06:24:31 | 2012・1・1
72年前の昭和20年3月4日早朝、東京は3時間にわたってB-29の空襲を受けた。主として今の谷根千(谷中、根岸、千駄木)地区を中心にした下町だったが、何故か遠く離れた僕が住む柿の木坂(目黒区)もポツン―と被害を受けている。当時も住宅街だったが、近くに旧府立高校(現在の桜修館中高校)の建物があったため帰途、落していったものらしい。江戸時代から続く末広稲荷と周辺の住宅100m四方が全焼、たまたま学童疎開地から受験のため帰京していた6年生の女生徒が直撃弾を受けて即死している。

B-29による米国の東京空襲が本格的に始まったのは、サイパン陥落後の昭和19年11月24日からで、翌20年8月15日までの9か月間に106回を数えている。しかし、10万の犠牲者を出した東京大空襲の被害があまりにも大きかったため、他の空襲は忘れられがちで、僕の記憶にも4月15日の京浜空襲、5月23,24日の山の手空襲があるだけで、他の「小空襲」については、いつ、どこでやられたのか知らない。

僕が今の地に強制疎開により引っ越してきたのは、3月10日の大空襲のあとであるから、この柿の木坂空襲はしらないわけだが、数年前、散歩の途中、たまたま末広稲荷に立ち寄り「由来」を読んで”3月の大空襲により焼失”とあるのに疑問を持ち、調べた結果、真相を知った。この空襲の焼跡の写真は、東京空襲の写真を広く撮影している石川光陽氏のアルバムにもある。昨日春の陽気に誘われて、久しぶりに末広稲荷に参拝したが、祥月の空襲記念日なのに参拝客は一人もいなかった。