「フランシーヌの場合」という歌がある。1969年(昭和44年)1月30日の日曜日、ベトナム戦争とビアフラ(ナイジェリア)の内戦に抗議してパリの路上で焼身自殺を遂げたフランスの女子大生、フランシーヌ.コンテについて歌った一種の反戦歌である。日本でも新谷のり子が歌ってヒットしている。
♯ フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
3月30日の日曜日 パリの朝のいのち ひとつ フランシーヌ
1969年という年を振り返ってみた。新年早々から東大の安田講堂が学生によって占拠された。ベトナム戦争に反対する「ベ平蓮」の運動が学生を中心に盛り上がり、週末には新宿西口広場で数千人規模のフォーク集会が催されたりした。こんな騒然とした世相のなかで7月には米国が人類初の月ロケット、アポロ11号が月面着陸に成功した。
個人的にも1969年は僕にとっては忘れられない年だ。前年の暮、父が亡くなった直後、20年近く勤めた新聞社から系列のテレビ局に異動が決まった。しかも記者から営業職への転換である。正直言って自分のことで一杯であった。ベトナム戦争どころではなかった。しかし、何故か48年経った今でも「フランシーヌの場合」がソラで歌える。当時、僕は38歳、反戦集会に参加したことは一度もないのだが。”歌は世につれ、世は歌につれ”加齢と共に昔がなつかしくなった。
♯ フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
3月30日の日曜日 パリの朝のいのち ひとつ フランシーヌ
1969年という年を振り返ってみた。新年早々から東大の安田講堂が学生によって占拠された。ベトナム戦争に反対する「ベ平蓮」の運動が学生を中心に盛り上がり、週末には新宿西口広場で数千人規模のフォーク集会が催されたりした。こんな騒然とした世相のなかで7月には米国が人類初の月ロケット、アポロ11号が月面着陸に成功した。
個人的にも1969年は僕にとっては忘れられない年だ。前年の暮、父が亡くなった直後、20年近く勤めた新聞社から系列のテレビ局に異動が決まった。しかも記者から営業職への転換である。正直言って自分のことで一杯であった。ベトナム戦争どころではなかった。しかし、何故か48年経った今でも「フランシーヌの場合」がソラで歌える。当時、僕は38歳、反戦集会に参加したことは一度もないのだが。”歌は世につれ、世は歌につれ”加齢と共に昔がなつかしくなった。