「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

桜 目黒川100年の流れ

2017-03-17 06:10:54 | 2012・1・1
わが家近くの呑川(東京.目黒)の暗渠に植えられた「緑道」の桜並木も昨日、今日の暖かさで一挙に蕾が膨らんできた。来週の開花予定日には、間違いなく咲きそうだ。ここ十数年、すっかり東京の桜名所の一つとなった同じ区内を流れる目黒川も桜見物の観光客で賑わうが、それに先だち、川の下流の品川区では水上バスの乗り入れを事前登録制にし、監視することになったそうだ(読売新聞)

僕は戦前昭和の時代、生まれてから敗戦の年まで14年間、JR五反田駅近くの目黒川沿いに住んでいたが、遊び場としていた大崎橋から本村橋、谷山橋、亀の甲橋にかけては、桜の木があった記憶がない。川はすでに生活ゴミと下水の垂れ流しで汚染され、猫の死体まで時には流れていた。それだけに、今や目黒川が桜の名所となり、水上バスまで走ると聞くと、まさに“滄桑の変”を感じる。当時川には、家々からし尿を組みとり東京湾へ運ぶ”汚わい”船が行き来していた。

しかし、この目黒川も名誉のために言うならば、明治時代には清流で、26年生まれの亡母は水遊びもした。亀の甲の形をした中の島は、日本最初の活動写真会社、吉沢商店の行人坂にスタジオから近く絶好のロケ地だったようである。僕ら子供の遊びの領域は、この亀の甲橋あたりまでであったが、無料の植物園で孔雀が羽根を広げるのを見たり、”ネンド山”と呼んでいた原っぱからネンドを採集したりした。思えば川は、すでに汚染されていたが、まだまだ自然は残っていたのだ。桜、明治100年の目黒川の川の流れに人生を感じる。