「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

地久節と激動の昭和を生きられた香淳皇后

2017-03-06 06:55:57 | 2012・1・1
戦前昭和の時代、3月6日は地久節といい、皇后さま(香淳皇后)の御誕辰の日で、これを祝い東京の小学校では授業がなかった。地久とは「老子」の天長地久という言葉から来ているが、子供だった僕は、耳から入る”チキュゥ”から、何故皇后さまの誕生日が「地球」なのか不思議に思ったものだ。少年だったので、その程度の想い出しかないが、一部の高等女学校では、式典があり「地久節」の歌を合唱した。
  ♯ 「地久節」(作詞 税所敦子、作曲 林広守 明治25年小学唱歌)
     あきの宮居の奥深く 照る月影の明らけき
    わが君が代はひときわの 光たふる鏡なり

僕らの世代にとっては、香淳皇后より皇后さまといえば、明治天皇の皇后さま、昭憲皇太后で事あるごとに皇太后さまの御歌を合唱したものだ。食事の前にとなえた”うるはしゅうして”で始まる御歌も皇太后さま作と聞いていたが、はっきりしないない。が、唱歌の時間に習った”金剛石も磨かずば”で始まる「金剛石の歌」は、昭憲皇太后さまの作である。

後年、知ったのだが、香淳皇后も昭憲皇太后にも劣らない御歌詠みであった。激動の昭和の時代を天皇陛下に連れ添って、ご苦労された気持ちが御歌に表れている。
      ▽  やすらかに眠れとぞ思う君のため命ささげしますらをのとも
         (東京原宿の東郷神社海軍之石碑)
      ▽  ララの品積まれるを見てとつ国のあつき心に涙こぼしつ
         (戦後食糧難時、横浜埠頭石碑)