「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

"虐殺”流布のスマトラ”日本の穴の現場から真相資料が欲しいと申し入れ

2017-03-27 10:28:31 | 2012・1・1
戦争中、旧日本軍の第25軍の司令部があった西スマトラの観光都市、ブキテインギに6か月滞在していた東京の大学生がこのほど帰国、昨日、最近のブキティンギについて話を聴く機会を得た。20年ほど前まで、ブキティンギでは、第25軍が戦争末期、防空壕を作った際、3000人の労務者を虐殺したという虚妄の話がまことしやかに流れ、壕の入口には”虐殺”をほのめかす壁画が飾られていた。そして日本でも学者(複数)がこれを信じ込み、新聞や自分の著書に書いていた。

1997年1月、インドネシア西スマトラ州政府は、入口の壁画を一斉に撤去した。戦争中第25軍近衛将校だった東京医科歯科大学総山孝雄教授(故人)らの戦友会の働きかけで、当時の駐日インドネシア大使が西スマトラ州政府に連絡、虐殺は全く作り話と断定した。僕も雑誌「正論」に現地取材して「ブキテインギ”日本の穴”顛末記」の一文を書いている。さらに、僕らは関係者や支援者の協力を得て、2005年インドネシア語と日英両語で、真相をかいた「第25軍防空壕築造由来概略」のパンフット800部を作成、現地の市役所、観光局、大学、ホテルなどに配布した。正直いって、これで一段落ついたと僕は思っていた。

ところがである。帰国した学生の話では市役所や観光局では「虐殺」を信じていないが、現地で発行されている旅行ガイドブックには依然「虐殺」の記述があり、現場のガイドたちの中にも観光客に面白おかしく「虐殺」を話をしている者もいた。たまたま学生が僕の書いた本「大東亜戦争とインドネシア」を読んでおり、防空壕築造者の話が載っていたので、そのことを話すると、是非ガイドの講習会で話をしてくれと依頼があった。

学生は約10分間、僕の本にそって話をしたが、約40人のガイドは、僕らが配布したパンフは見たことがないそうだ。観光局の担当者も壕の築造の真相が知りたいといい、真相が判れば壕の前に説明案内を建てると学生に申し入れてきた。戦後70余年経ち、当時の方の大半は亡くなられている。従軍世代に次ぐ僕ら昭和1ケタ世代でも80歳半ばをすぎている。しかし、史実を後世に残すには、やはり老骨に鞭を打たなければならい。現地と詳細について打ち合わせに入りたい。(写真は防空壕の内部図)