「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

桜満開だった80年前の小学校入学式

2017-04-01 05:43:39 | 2012・1・1
早や4月である。戦前、東京の公立小学校の入学式は一斉に4月1日であった。80年前の昭和12年4月1日、僕も今は廃校になった東京の省線(JR)五反田駅に近い第二日野尋常高等小学校の桜満開の校門をくぐって入学した。今でも僕はその情景を憶えている。その日の亡父の日記にはこう記されている。

「静かに4月の朝が来た。今日こそ〇〇(僕の名前)が新生活の第一歩で、小学校へ入学するのだ。いつも寝坊なのだが、今日は嬉しく5時にはパッチり目を開けて起き、三島神社と雉の宮神社(いずれも近所の神社)に詣で、愛児の前途の幸せを祈願した」父は遅い子持地で、僕は父の48歳の時の子供、それだけに僕に対する愛情は一入だったのであろう。

小学校で始めて習った国定「国語読本」巻一は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であった。この教科書は昭和8年(1933年)から15年まで使用されていた。満開の桜の花がきれいに色刷りしてあり、子供心にきれいな教科書で嬉しかった。この「サクラ」教科書の後の世代は「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」 「コマイヌサン ア コマイヌサン ウン」だが、この世代を含めて皆、いまや後期高齢者である。

母校は20年5月の空襲で全焼、戦後別の場所で名前だけ残っていたが、その名前も今はない。明治時代の初めに開校、亡母も卒業している歴史のある学校だけに寂しい限りだ。数年前まで、この桜のシーズンに一緒に卒業した仲間で同期会を開いていたが、僕を含めて3人だけになり自然解散になってしまった。80年の歳月の流れである。