
僕ら昭和1ケタ世代は大正から昭和初期にかけての童謡全盛時代に育っている。この「七つの子」(野口雨情作詞 本居長世作曲)も大正12年(1921年)児童雑誌「金の星」に掲載され世に出た。僕が今でも口ずさめる童謡の多くはこの時代のものだ。岡野貞一(「春の小川」「春が来た」)河村光陽(「七つの子」 「十五夜お月」)中山晋平(「あの町この町」「テルテル坊主」)山田耕作(「赤トンボ」「待ちぼうけ」)などなど。
家の近くの道端に面した庭にチューリップの花が咲いていた。(写真)”咲いた咲いたチュリップの花が、並んだ並んだ赤白黄色”―この童謡も、調べてみたら1932年(昭和7年)出版された「絵本の唱歌夏の巻」(日本教育音楽協会)に掲載されていたものだ。この雑誌には「鯉のぼり」も載っている。
平成の御世も30年近く経ったが、僕が歳を重ねたためなのだろうか「平成の童謡」を知らない。僕が歌える昭和の最後の童謡は昭和51年にヒットした「泳げタイ焼き君」である。以来40年、子供たちは新しい童謡に接していない。何か理由があるのだろうか。