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20年ほど前まで、日本国内でもインドネシアの「南京事件」として戦争中、労務者3000人が虐殺された現場と喧伝されていた西スマトラのブキティンギの「日本の穴」の現場を視察して、最近帰国した日本の大学生から”いまだに防空壕内の掲示にはこんな間違いがあります”と写真を送ってきた。(3月25日更新小ブログ参照)
大学生によると、「日本の穴」は観光名所として賑わっているが、壕内の掲示板には依然間違いがある。例えば壕建設の際の残土の捨て口で、通気孔が「penjara} (牢獄)とされ、防空壕なのに、部屋の一つが「amunisi」(弾薬庫)に、壕内の発電用のモーターを置いたコンクリート製の台が「dapur」(台所)とされている。設計者の本庄弘直主計大尉(故人)によると、壕内の換気を第一に考え、壕内では煮炊は一切しなかった。壕の脇には銃剣を持った旧日本兵二人の像が立っているが、本庄大尉の残した本によると、防空壕造成に当たって関与した軍人は二人だけでしかも軍刀だけの装備だった。
2005年、僕らは”虐殺”の誤りをただしたパンフを関係者の協力で作成、現地の市役所、観光局、ホテルなどに数百部単位で配布した。そして、それに先立ちインドネシア政府も壕の脇に描かれていた”虐殺”の壁画は一切撤去したのだが、やはり、完全解決には至っていなかった。こういった掲示に誤りがあれば、観光客に誤解を与えるに違いない。戦後70余年たっても”戦争”はまだ終わっていない。
(3日 4日 所用によりブログ更新しません)