昨日、6月の第3日曜日は「父の日」だったが、わが家ではこれといってお祝もなく、プレゼントも貰わなかった。だからといって、特別、僕は不満でもなかった。馴染みがないのだ。ネットによると「父の日」は1970年(昭和45年)ジョンソン大統領の時、「母の日」にならってつくられた米国の祝日なのだ。日本ではテレビの木枯紋次郎がヒットしていた頃、僕には関わりのない祝日なのだ。
若いお父さんたちは「父の日」にはお祝を受け、webにはプレゼントがあれもこれもと載っている。人気の名前入りのビールのタンブラーや焼酎カップなど。親孝行の手本とされる養老の時代とは違う。
僕らの現役時代とは、お父さんも変わってきた。お父さんにも育児休暇が義務付けっれている。内閣府のHPによると、男性の国家公務員も妻の出産予定日から出産まで2週間育児休暇が取れるのだという。実際、休暇を取っているのは8.2%に過ぎないそうだが、出産にも立ち会わなかった僕らの世代とは大違いだ。
僕らの世代は、ほとんどのお父さんが子供のおしめをかえたえたことがない。これでは「父の日」に祝ってもらうのはおこがましい。昨夕は老妻がつくってくれた、いつもより多少ご馳走の夕食を一緒に食べた。所詮、「父の日」も「母の日」もコマーシャリズム。”2000万円”年金生活者である。