「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

宮城遥拝の言葉と意味ををしらないインドンア史料展

2019-06-27 04:55:16 | 2012・1・1

日本軍政期インドネシア史料展を総括するワークショップが昨日、立教大学図書館で,午前の部だけ参加、僅かな時間だが史料展を見せておらった。ワークショップの会場は平日、しかも英語使用なのに50人の席はいっぱい、関心の深さをうかがわせた。主催者の一人がスマトラでの労務者虐殺の虚報を流布したり、慰安婦問題を曲げて解釈しているだけに、僕は従軍世代の先人たちの"俺たちが死んだら奴らは何をしでかすか”という言葉もあり、杖をついての参加であった。

昨日の小ブログで、僕は問題は展示物の歴史解釈だと指摘、戦時中軍政下のことでも戦争中の銃後の生活が理解できないと誤解すると書いたが、やはり展示品の一つ、テデン(ジャワ〉の民間人収容所の人たちが宮城遥拝している絵にそれを感じた。敵性民間人(一般市民ではない)収容者は”俘虜”と言わないし、キャプションには、"義務づけられた天皇陛下への敬礼”とあるが、当時、宮城遥拝という儀式はあったが、陛下への敬礼という儀式はなかった。戦時下は毎月8日の大詔奉日には学校でも職場でも国旗掲揚、宮城遥拝はがセットで行われていて、”捕虜”にもあったのだろうが、一般市民ではない。

しかし、展示物は一級品であり会場では、当時日本で制作されたニュース映画が流れており、蘭印軍がカリジャテイ全面降伏した調印式などもな見られるが、会場が図書館の関係でサイレントなどは惜しい。そりょり、日本人の中で、カリジャティの名前を知っている者はどれだけいるだろうか。

 写真は天皇陛下への敬礼式、一般市民ではなく収容所の女性。インドネシアでの展示会「bedil & sakura」(銃砲と桜)パンフから。