「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦中言葉の無理解、誤用 風化

2019-08-17 04:56:22 | 2012・1・1

敗戦の日、僕は学徒動員されていた軍需工場が”電休日”だっため庭先に掘られた防空壕の中で母親と一緒に真空管ラジオで敗戦を告げる天皇陛下の詔勅(玉音)を聞いた。翌日、多摩川べりのガス橋近くの機銃弾を製作している工場へ出勤したら半島人の徴用工が一か所に集まって”マンセイ(万歳)マンセイ”と大騒ぎしていた。

ここまで書いて、戦後生まれの世代には注釈が必要なのかもしれないと思った。例えば防空壕といっても、家庭用は、今も各地に戦争遺産として残っている軍用のものと違って、横穴ではなく、深さ1メートル50余りの竪穴で、人が座って二人も入れば一杯という簡易なものが多かった。”電休日”というのは、電力不足から週に1回、輪番で工場を休みにする制度であった。徴用工といっても実態は知らないし、半島人という表現は今はない。

戦後74年、戦争の風化ととともに、戦時中僕らが日常普通に使用していた言葉が理解出来なくなったり、誤って使われるケースが多くなってきた。戦争についての個人史を長年にわたって出版している新風書房の福山琢磨さん(85)によると、「赤紙召集」を”招集”と書くミスが最近多くなってきた(産経新聞8月15日付コラム「産経抄」)という。

日本人ですらそうである。韓国人がかっては公娼であった慰安婦を称賛する記念日を設けたり、日本本土へ出稼ぎに出かけた労働者をすべて”徴用工”呼ばわりしているみたいだ。まず、日本国内から、戦中言葉を正しく理解すため辞典をつくったらどうだろうか、特に軍隊用語、例えば、捜索聯隊、給水部隊,輜重(しちょう)聯隊など、どれだけだけ正しく理解しているだろうか。