「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦後すぐの時代一億総懺悔(そうざんげ)

2019-08-31 05:07:25 | 2012・1・1

阿倍晋三内閣の在職日数が先日、大叔父の佐藤栄作の戦後一位の2799日を抜いて目下記録更新中だが、逆に最短記録は戦後すぐの東久邇稔彦内閣の僅か53日(昭和20年8月17日ー10月9日)であるのを知った。敗戦という未曽有の時代に急遽、ご下命により成立した皇族内閣だったが、占領軍を迎えて、軍隊の解散、復員それに伴う行政改革など大変な時代の内閣だった。

亡父の残した日記によれば、東久邇内閣への国民への第一声は戦争中空襲に備えて実施していた灯火管制の解除であり、娯楽の復活、文書の検閲の廃止などである。敗戦後最初の日曜日の19日に天皇の名前によって発表している。敗戦による国民の暗い気持ち一日も早く明るくしようといういう呼びかけだ。

僕は当時中学3年だったが、勤労動員から解除され、学校が再開したのは8月27日だった。空襲で焼け残った校舎の一角で授業は再開された。先生が黒板に白墨で板書する字をノートするのは久しぶりで嬉しかった。父の日記では、家の防空壕の埋め立て作業が始まったという記載もある。一方、東久邇内閣のスローガンは一億総懺悔(ざんげ)であった。

恥ずかしながら僕は最近まで一億総懺悔は、敗戦に対して一億国民総あげて戦争は悪ったと、お詫びすることだと思っていたが、そうではなくて、天皇陛下にお詫びしようという主旨だった。この時代、杉山元陸軍元帥夫妻、阿南唯幾陸軍大臣をはじめ大将5人、中将11人,少将11人が責任をとり自刃している。

東久邇内閣は結局、内務省とGHQ(連合軍司令部)との間の意見の対立から、辞任しているが、思うに大変な時代の短期内閣であった。