「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

特攻隊世代 半月間の二等兵生活

2019-08-25 04:01:44 | 2012・1・1

先日、自分のささやかな戦争体験が活字となり「孫たちへの証言」(新風書房)の一文となり紹介された。これをコピーして友人知人へ送ったところ93歳の畏友、粟竹章に氏から感想文に添えて、ご自分の書かれた「青春の想い出 私と戦争」という半世記を頂戴した。

粟竹氏は大正15年3月生まれで、昭和16年12月8日、大東亜戦争が勃発した時は、東京の旧制中等学校(私立帝国商業)4年生(現在の高一)だったが、18年12月繰り上げ卒業して、海軍の軍属を志願、試験に合格して19年4月、18歳の時、蘭印(現在のインドネシア)セレベス島(スラウェシ島)マカッサルに行き、海軍民生部の要員として、21年5月復員帰国するまで2年4か月現地に勤務した。このうち敗戦15日前の半月間は軍隊に現地召集を受け。二等兵としての生活だった。

粟竹氏から僕らの世代にかけては軍国少年の時代であった。しかも”空”への憧れがった。粟竹氏も帝国商業在学中に滑空(グライダー)士試験に合格し、飛行学校入学を目指したが、視力が弱く諦めている。僕の義兄(昭和4年生まれ)も所沢の陸軍飛行学校の生徒であった。戦争末期、沖縄戦で特攻隊として国のために散華したのは粟竹氏と同じ世代である。

"軍隊は運隊である”-運命次第だ。と従軍世代の人がよく言うが、時代も世代に支配される。戦後74年、平和な良い時代が続いている。来年の東京五輪パラリンピックを目指し頑張っている若い人たちは恵まれているとつくづく思う。