「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

教育勅語を暗記させられ 愛国行進曲を歌った世代から一言

2017-03-12 05:55:21 | 2012・1・1
稲田朋美防衛相が「森友学園」問題にからむ国会答弁で「教育勅語」を評価したとして、朝日新聞がら大臣としての”資質”を問われているらしい。僕は残念ながら、稲田大臣の発言をテレビ中継で聞いていないが、「森友学園」疑惑も変なところに飛び火したものだ。結輪から言って、僕も稲田大臣同様「教育勅語」自体には悪いことは書いていないと思う。しかし、「教育勅語」を頭から暗記させられた銃後のの小国民世代の一人として一言いいたい。

70余年前の事、若干記憶が薄れてきているが、僕が通っていた小学校では「教育勅語」と歴代の天皇の名前を暗記させられた。修身の時間か歴史の時間かはっきりしないが、当時、僕は全部、ソラ暗記していたものだが、稲田発言を期に今、ためして見たら”朕惟うに皇祖皇宗、国を肇めること宏遠に徳をたつること....."でストップ。あとは最後の御名御璽しか覚えていない。歴代天皇の名前も”神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭,孝安、孝霊、開化、崇神...."と僅か10代しか思い出せない。

「森友学園」が経営する幼稚園では、教育方針として「教育勅語」を教え、園児に勅語を暗記させているらしい。僕は園児たちが戦時中の「愛国行進曲」を合唱している動画をみた。”見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の正気溌剌と”で始まるこの歌は戦争中の大ヒット曲で、僕らはこの歌を合唱しながら、日の丸を振り、出征兵士を駅まで送った。勇ましいが、暗い時代であった。

「森友学園」問題は理事長が退任し、学校設置申請を取り下げることで、どうやら幕引きのようだ。政権安定のためには、よかったかもしれないが、何か後味が悪いものを残した。その一つは、たとえ私人であっても総理大臣夫人が、国民一般からみれば異常な教育方針に賛同して学園創立に関与していたことである。 誤解を呼ぶかもしれないが、総理と「森友学園」の理事長の胸に同じバッジがつけれていた。バッジを着けなくとも国民は皆、拉致問題の早期解決を望んでいる。バッジが仲間同士の印とみられなければよいが。

まだ温もりがあった「としよりの日」の時代 昭和館のポスター展

2017-03-11 08:23:40 | 2012・1・1
戦中戦後の昭和のくらしを展示している東京九段の昭和館から、僕が数年前寄贈した戦争中の東部軍管区情報情報のカードを展示したと連絡があった。このカードは、敵機の帝都侵入に備えて市販していた地図だが、当時誰もが所持していた。(写真)都民は、ラジオで警戒警報が発令されると、このカードを見ながら敵機がどこへ侵入してくるか見守ったものだ。

昭和館では今日11日から始まる特別企画展、「ポスターに描かれた昭和-高橋春人の仕事」の内覧会を開いており、僕はこれも観覧出来た。高橋春人氏(故人)が戦中から戦後にかけて描いた約160点の公共ポスターが展示されているが、その時代、時代を反映していて、ほぼ同じ時代を生きてきた僕には興味深かった。

なかでも、高橋氏の描いた「としよりの日」の広報ポスター3枚(写真)が、忘れかけていた当時を想い起こさせてくれた。いずれも昭和20年から30年代の作品だが”長生きしてね、みんなでろうれい(老齢)年金””明るい老後を 9月15日”。まだ、「敬老の日」ではなく、「としよりの日」が9月15日に固定されていた時代だが、作品には、年寄りへのいたわりがあり、年寄りへの温もりがある。調べてみたら当時の日本人の平均寿命ははまだ、男性65.32、女性70.19歳であった。(昭和35年)今のように核家族ではなく、親子孫三代家族が当たり前の時代だったのだ。ポスター展の展示には、その時代、養老院といわれた老人施設の写真も展示されていたが、老人たちには笑顔さえ見られる。超高齢化時代、考えさせられるものがあった。

忘却の東京大空襲と陸軍記念日

2017-03-10 06:46:03 | 2012・1・1
「3月10日」は、日本の近現代史にとって二つとも、もっと記憶されるべき日だと思う。一つは72年前の昭和20年3月10日の米空軍Bー29による東京下町大空襲。この空襲で民間人、非戦闘員を含む10万人の方が犠牲になっている。もう一つは、112年前の明治38年3月10日で、わが国は旅順(今の瀋陽)の戦いに勝ち、日露戦争を最終的に勝利に導いたた記念日。戦前までは「陸軍記念日」として祝っていた。

東京大空襲の夜、僕は中学3年生だった、幸い東京の山の手に住んでいて被害にはあわなかったが、強い北風の中、下町方向に上がる業火の白煙を今でも昨日のように覚えている。東京都では平成2年、この日を「東京都平和の日」に制定、平和国家の首都として、戦禍を再び起こさないよう平和を祈念し、被害の大きかった地に建てられた記念碑の前で式典を行うようだが、今一つ知られていない。とくに6年前の東北大震災の後は、その陰に隠れてしまった感がある。

まして陸軍記念日の「3月10日」についてはほとんど知る人はない。戦前は日露の役は、小学唱歌「出師営の歌」”旅順開城約なりて、敵の将軍ステッセル乃木大将と会見の所はいづこ出師営」と歌われ、小学生の僕でも知っていた。しかし、今や、日露の役も出師営も乃木大将も陸軍記念日も完全に忘れ去られ、僅かに乃木大将の名前は、乃木大将を祀る神社横の地名からとった「乃木坂46」の女性アイドルグループの名として残っているだけだ。。

聖徳太子の名前も教科書から消える世の中である。東京大空襲も陸軍記念日もやがて、人々の記憶から忘れられてゆくのだろうか。それにしても、大空襲の日が「平和記念日」とは、あまりにも空々しい気がするが。

安倍内閣支持率の急落 政治の流れの潮目

2017-03-09 06:38:43 | 2012・1・1
日経新聞が読者を対象にしたアンケート調査によると、2月25日には63.7%あった安倍内閣支持率が3月7日には37.1%と半分近くに低落した、とネット情報にあった。例の「森友学園」をめぐる数々の疑惑が浮上した結果でる。昨日、ひねもす,テレビの”ワイド.ショー”を見ていたが、どの局も「森友学園」の理事長を国会へ招致し、疑惑を晴らすべきだという野党の要求に賛成である。反対なのは変な理屈をつけ、ごねている自民党だけである。

昔流の言葉でいえば「森友学園」は”疑惑のデパート”である。安倍総理は”マスコミのイメージ操作”だと強弁しているが、国会の事務方の答弁を聞いている限り、国民は納得しがたい。それに加えて、伝えれる「森友学園」の異常な教育方針である。僕は教育勅語を暗記させられ、「愛国行進曲」を歌い、出征兵士を送った世代だが、とてもついて行けない。たとえ私人であっても、何故、総理夫人は、こんな学校に名誉校長の名前貸しをしたのだろうか。その責任を感じず、”戸惑っている”では済まされない。

安倍総理の言う”イメージ操作”かもしれないが、「森友学園」と接触があった自民党の鴻池祥肇議員の言動もおかしい。本人は記者会見まで開き、疑惑を頭から否定しているが、取材の記者に対して”そこをどけ。どかないと蹴とばすぞ”という言動は、安倍総理の”向きになって”(民進党福山哲郎議員の言葉)答弁する態度に通じるものさえ感じる。

安倍内閣支持率の急落は一過性ではないような感じがする。「森友学園」問題とは直接関係ないのだが、東京都政の豊洲市場移転問題をめぐる石原慎太郎元知事の小池百合子知事批判と、僕にはオーバーラップして見えてきた。自民党の過去の体質を持つ人の老害である。安倍総理がその継承者といわないが、昨日わが家に届い自民党区議の区政報告会のパンフの写真は「安倍晋三」ではなくて「石破茂」とのツーショットであった。潮目の変り目に来ているのであろうか。

52万人待機老人がいるというのに特養4分の1が空房 その矛盾

2017-03-08 05:59:50 | 2012・1・1
読売新聞の社会面の横組みの雑報欄に小さく「全国の特養4分の1が空房」という記事が載っていた。一般読者にとっては、あまりニュースバリューがないかもしれないが、僕ら老人にとってはベタ記事とは思えない。超高齢者社会、全国で52万人もの高齢者が特養老人ホーム入りを待っているというのに、その4分の1が空きベッドだというのである。

僕の周囲でも最近、老人施設に入居する友人、知人が増えてきたが特養老人ホームに入居した話は聞かない。政府や自治体の援助がある特養ホームは入居料も安く、一般に環境もよいということで入居希望者が多く、厚労省の推定では全国で52万人が待機中だという。ところが、平成25年の法改正で、入居条件が要介護3以上となっため、若干、待機数は減った。それでも大変な競争率だ。

何故、こんな矛盾が起るのだろうか。読売の記事によると、原因は”介護職員の採用が困難””職員の離職が多い”からだという。政府は”一億総参加社会”実現を目指し、”介護ゼロ”の旗を掲げているのに、実態は違う。厚労省の統計によると、全企業の平均月収は32万9000円なのに対し、介護職員は21万9000円と、10万円の開きがある。それに、一般的には介護職場は3K(きつい、きたない、危険)職場とされている。

要介護3は”日常的な排泄や食事、入浴に介護が必用で、理解力が低下し、軽い認知症”と定義されている。特養入居待機の老人の中に要介護3以上の資格者がどの程度いるのだろうか。毎日のように老々介護や認知症による悲劇が新聞に載っている。待機児童と同じように待機老人問題も政府は忘れないで欲しい。

常在戦場 4月の解散風

2017-03-07 06:48:13 | 2012・1・1
自民党内で4月総選挙という解散風が吹き始めたと産經新聞(3月6日付首都圏版1面トップ)が書いている。同紙によると、その最大の要因は7月2日投開票の東京都議選であるそうだ。小池百合子都知事率いる「都民ファーストの会」の勢いを前に、先手を打とうということらしい。そんな状況を反映したのか、昨日わが家に、電話で年齢、支持政党などを聞くアンケート調査がかかってきた。

総選挙は総理の専権事項で、安倍総理は否定しているが、昨日の参院予算委員会の質疑をテレビ中継で見て、僕は近々、総選挙があってもおかしくない予見がした。一昨日の自民党全国幹事長会議で”常在戦場”を唱えていた総理が、昨日早朝、北朝鮮から弾道ミサイル4発を排他的経済水域に撃ち込まれながら、NSC(国家安全保障会議)を開かず、結果的には民進党福山哲郎議員の指摘で慌てて開催した感じを与える。

まさか、ここ数日来の「森友学園」をめぐる問題が影響したとは思いたくないが、やはり「北」への強い態度を表明するためにも総理は国会を延期してNSCを開催すべきであった。福山議員の質疑に対しての総理の答弁も、例の”イメージづくり”で、関与を強く否定した。福山議員も言うように、僕も総理夫妻は、「森友学園」の被害者だと思う。しかし、そうならば理事長を国会に喚問し、真相を明らかにすべきである。JNNの調査では78%の人が喚問に賛成である。

安倍総理は先日の自民党大会で連続3期9年の総裁の道が開かれ、長期政権も期待されている。マスコミの世論調査の支持率も高い。これに反して野党民進党は低迷を続け、今選挙があっても大敗は間違いない。世論も自公の長期政権を望んでいる。「森友学園」を早く幕引きする意味でも、総理は議会解散の伝家の宝刀を抜くべきかもしれない。

地久節と激動の昭和を生きられた香淳皇后

2017-03-06 06:55:57 | 2012・1・1
戦前昭和の時代、3月6日は地久節といい、皇后さま(香淳皇后)の御誕辰の日で、これを祝い東京の小学校では授業がなかった。地久とは「老子」の天長地久という言葉から来ているが、子供だった僕は、耳から入る”チキュゥ”から、何故皇后さまの誕生日が「地球」なのか不思議に思ったものだ。少年だったので、その程度の想い出しかないが、一部の高等女学校では、式典があり「地久節」の歌を合唱した。
  ♯ 「地久節」(作詞 税所敦子、作曲 林広守 明治25年小学唱歌)
     あきの宮居の奥深く 照る月影の明らけき
    わが君が代はひときわの 光たふる鏡なり

僕らの世代にとっては、香淳皇后より皇后さまといえば、明治天皇の皇后さま、昭憲皇太后で事あるごとに皇太后さまの御歌を合唱したものだ。食事の前にとなえた”うるはしゅうして”で始まる御歌も皇太后さま作と聞いていたが、はっきりしないない。が、唱歌の時間に習った”金剛石も磨かずば”で始まる「金剛石の歌」は、昭憲皇太后さまの作である。

後年、知ったのだが、香淳皇后も昭憲皇太后にも劣らない御歌詠みであった。激動の昭和の時代を天皇陛下に連れ添って、ご苦労された気持ちが御歌に表れている。
      ▽  やすらかに眠れとぞ思う君のため命ささげしますらをのとも
         (東京原宿の東郷神社海軍之石碑)
      ▽  ララの品積まれるを見てとつ国のあつき心に涙こぼしつ
         (戦後食糧難時、横浜埠頭石碑) 
          
         

忘れかけ始められた「東京小空襲」

2017-03-05 06:24:31 | 2012・1・1
72年前の昭和20年3月4日早朝、東京は3時間にわたってB-29の空襲を受けた。主として今の谷根千(谷中、根岸、千駄木)地区を中心にした下町だったが、何故か遠く離れた僕が住む柿の木坂(目黒区)もポツン―と被害を受けている。当時も住宅街だったが、近くに旧府立高校(現在の桜修館中高校)の建物があったため帰途、落していったものらしい。江戸時代から続く末広稲荷と周辺の住宅100m四方が全焼、たまたま学童疎開地から受験のため帰京していた6年生の女生徒が直撃弾を受けて即死している。

B-29による米国の東京空襲が本格的に始まったのは、サイパン陥落後の昭和19年11月24日からで、翌20年8月15日までの9か月間に106回を数えている。しかし、10万の犠牲者を出した東京大空襲の被害があまりにも大きかったため、他の空襲は忘れられがちで、僕の記憶にも4月15日の京浜空襲、5月23,24日の山の手空襲があるだけで、他の「小空襲」については、いつ、どこでやられたのか知らない。

僕が今の地に強制疎開により引っ越してきたのは、3月10日の大空襲のあとであるから、この柿の木坂空襲はしらないわけだが、数年前、散歩の途中、たまたま末広稲荷に立ち寄り「由来」を読んで”3月の大空襲により焼失”とあるのに疑問を持ち、調べた結果、真相を知った。この空襲の焼跡の写真は、東京空襲の写真を広く撮影している石川光陽氏のアルバムにもある。昨日春の陽気に誘われて、久しぶりに末広稲荷に参拝したが、祥月の空襲記念日なのに参拝客は一人もいなかった。

屈辱は晴れましたか 石原慎太郎氏の”老害”

2017-03-04 06:50:00 | 2012・1・1
石原慎太郎元都知事の記者会見を昨日テレビの生中継で見た。石原氏の会見は都議会百条委員会の召喚(20日)を”待ちきれない”として氏の希望で開かれたものだが、会見に先立ち、その心境を”屈辱を晴らしたい。果し合いに行く、昔のサムライの気持ちだ”と語っていた。この会見の前に開かれた定例の会見で小池百合子都知事は”(石原氏の発言は)この時代の人独特の言いかたです”と軽く聞き流していたが、石原氏より高齢の僕が聞いても恥ずかしい大時代的な発言である。

豊洲市場問題の核心は、移転をめぐる過去の行政側の対応について、どうして、こうなったのか、当時のトップだった石原氏から聞きたいのであって、石原氏の個人的な屈辱を晴らすものではない。都民は石原氏が記者会見で、何か新事実を明かすのではないかと、若干期待していたが、結果的には、相変わらず”知らず””存ぜず””記憶にない”の連続であった。いみじくも会見後、石原氏が記者団に語っていたが”果し合い”の成果は五分五分だった”つまり、やらずもがなの会見であった。

石原慎太郎元知事には悪いが”老害”が始まっている。都民の多くは、何故巨額の費用を使って、こんな市場が出来たのか、これからの反省を兼ねて知りたいのであって、過去の知事から、現知事への批判を聞きたくはない。石原氏は、小池知事は”安全と安心をとり間違い、迷路に入っている”と批判しているが、石原氏は、あの盛土がなく、水浸しの市場のままでも市場をオープンすべきだったと思っているのだろうか。案の定、その後の地下水調査でも危険物が発見されている。

石原氏の発言は責任逃れと取られても仕方がないものだった。それよりも、現在進行中の問題に対して、過去のハエも追っていない人物が、口を出すべきではない。過去の栄光に自己陶酔した男の老害である。



米国のファーストレデイからの感謝のメッセージ

2017-03-03 06:40:41 | 2012・1・1
「ひな祭り」の季節なのに昨日の東京は真冬に逆戻りした感じで、満開をすぎた紅梅なのか、それとも早咲きの桜なのか、近所の大学跡の公園で、真紅の花が冷雨に煙っていた。(写真)"三寒四温”の季節である。寒い日があっても、暖かい日もあり、その繰り返しで春がやってくる。加齢と共に、毎年その到来が待ち遠しくなってきた。

そんな中で、海の向こうの米国から、今年のポトマック桜祭り開催委員長のメラニア.トランプ大統領夫人から105年前、当時の尾崎行雄東京市長が友好親善のしるしとしてタフト大統領に贈った桜の苗木に対して改めて感謝するメッセージが届いた。今年はワシントンも温暖気候のためか、桜の開花予想も早いらしい。米国からは”アメリカン.ファースト”の夫君からだけの声ばかり聞こえてくるが、メラニア夫人には”夫唱婦随、”ファーストレデイとしての気配りが感じられる。

これに反して、日本のファーストレデイ、安倍総理夫人、昭恵三さんの「森友学園」をめぐる言動が国会でも批判されている。総理は昭恵夫人がすでに、名誉校長を辞任、さらに私人としての言動だと弁護しているが、国民からみれば、夫人の言動はあまりにも軽率で、お粗末だ。どんな理由があっても、教育の場で、隣国を批判するような学校を躾の模範校として推挙するような言動は許せない。私人だといっても外遊の際、総理と一緒にタラップで一緒に手を振る夫人を国民は公人としてみる。総理には同情するが、強弁である。