ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

これでも菅は動じないのか! お人好しの日本国民、いいかげんに目を醒ましましょう。

2011年03月28日 | 事件

読売の記事です。先程、漂泊の旅人様から送られてきました。


                     あの日、総理「少し勉強したい」と原発視察

福島原発
 政府の原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は28日の参院予算委員会で、東日本巨大地震発生の翌12日に菅首相が東京電力福島第一原子力発電所を視察したことについて、「首相が『原子力について少し勉強したい』ということで私が同行した」と明らかにした。


 首相は12日朝、ヘリコプターで同発電所を訪れ、約50分滞在して東電職員らから状況の説明を受けた。

 この視察で東電の初動対応が遅れたとの指摘が出ている。班目氏は「現地で首相が行ったことで何か混乱があったとは承知していない」と述べたが、「勉強目的の視察」に改めて批判が出る可能性もある。

(2011年3月28日16時51分 読売新聞)




  ベッラあとがき

これ、もう何とかしないと日本はダメになる。菅が「少し勉強をしたい」と原発を見学している間も、被災地では多くの方々が亡くなり、また苦しんでいた・・・。

いいかげんなテレビ報道(多くは売国マスコミ)などに惑わされて、日本国民が見殺しになっていることも知らずに、何も批判せず、「誰かがなんとかやってくれる」と決め込んで、必死の説得にも耳を貸さなかった人々よ!
政府の被災地対策、57%が「よくやっている」という国民の意識は、本気か?(私は自衛隊や消防、医療チームのことを「よく頑張って下さっている」と思っているけれど、まさか民主党政府のことを???)

これでは日本は消えますよ!!どうすればいいのか、・・・民主党はどんな党か、みんなが知って日本を日本にすること!

これから日本国民が、どうするか!ということですよ!!!  国民が声をあげることです!!!

せっかく送った物資も外で雨露をかぶり、「平等に分けられないから配っていない」ですって?
義援金も「どうして遣うか決められない」・・・一刻を争う今、言うことか!!
そして菅、さらにそれを見逃し保身をはかった者たちよ!
国民の命をどう思っているのか!

フランスから核分裂を防ぐホウ酸や、防護服をもらうって、今頃になって?
フランスはずっと声をかけていた・・・。
もう日本だけのことではない。

 国民はどう判断するんだ! 正念場ですよ!!

まだテレビの報道は「口蹄疫」も最初はスルーだった、「尖閣」など重要な事件の時もスターのスキャンダルで花盛りにしていた、おかしいと思いませんか?

自衛隊の命をかけた活動も、一切スルーしています。
これでもまだ、テレビを信じますか?
テレビは乗っ取られていると思いませんか?

大災害で苦しんでおり、自衛隊の大半が救出や運搬などに手が一杯の今、ロシアは戦闘機で2度、日本領空を脅かし、中国は海上自衛隊の船を走行に危険なほどヘリで近付く・・・これは事件としてニュースで報道されていますか?

そして今日の、菅総理の「見学」ニュース、テレビで報道されていますか?

☆今月24日に当時の日本の総理、伊藤博文を暗殺した「安重根」の記念碑が佐賀の無量寺に建てられたこと、ご存知ですか?
 どこの国が、自国の総理を暗殺したテロリストの記念碑を建てているでしょうか?
 しかも、伊藤博文は「日韓併合」に反対していたのですよ。

 伊藤博文の子孫という松本外務大臣は、韓国を特別扱いし、この非常時に京都で日韓会談をしているのです。
 名誉ある祖先を踏みつけて韓国に媚びる理由は「小心者」で、何か勘違いしているのですか?
 そんなもの撤去させるのが子孫でしょうが!
 祖先とは似ても似つかぬ「ゲテモノ」です! 

☆ボランティアをまとめるはずの辻元清美は、大阪で「勉強会」をのんびりやっているそうです。
 仕事をしていません。命にかかわる大切な仕事です。それをなぜ今「大阪」で???
 能力も常識もありませんね!



コメント (4)
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これは被災地で活躍なさっているナースの方の手記です、「赤い旗」

2011年03月28日 | 事件

朝からこれを読んでいました。
生々しい現地の様子・・・ぜひ、ご一読下さい。

赤い旗
2011-03-23 16:51:26 | 皆様へ

陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ地面と瓦礫の山。

津波の被害で壊滅的の場所です。
本当に何もなくて
残っている建物も廃墟と化していました。

5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が突き刺さっていて何度も目を疑いました。

何の匂いだろう?
焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。


あとすごく静かでした。
報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している音だけが響いている感じ。

雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降っていたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。
足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。

一分間黙祷をしながら
もっと早く来るべきだったと思いました。

避難所や病院に行く前に
ざっと市内を案内される。

ここは商店街でした、
ここは郵便局だよ、
ここはおいしいラーメン屋、
ここは公民館、
ここは幼稚園、、、

ただの瓦礫の山。

15mくらいの真っ黒な津波が往復して全てを飲み込んでいったとのこと。
避難勧告が出て準備をしていたり、逃げる最中にみんな流されて行って
誰かのせいにすれば少しは矛先が出来て醜い感情を出せるけど、天災だから怒りの持って行き場がないと言っていました。


年に数回海を敬うお祀りもあっていつも海に感謝をして暮らしていたんだよ、それなのに・・・と
現地の人は案内しながら涙を流していました。

もうこの時点で私も泣きそうだったけど、絶対泣かない約束だったから
現実から目を背けて曇った空ばかり見ていました。

案内する人の後ろをずっと手をグーにして肩をすくめてついていきました。

風が吹くとどこからか
セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が足元に飛ばされてくる。

そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。


「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」

正直つらかったです。


ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?

「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」

人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。

リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。

テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。

映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。

案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。

この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。

瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。

その下から続々見つかる遺体。

そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。


初日はあわただしく避難所をまわってお年寄りの血圧測定と健康相談でした。

無我夢中で多分、私に笑顔はなかったんじゃないかな。
高齢者が多いな、という印象でした。

電気が復旧していないので暗くなる前までに1人でも多く血圧を測ってあげたくて本当に無我夢中でした。


脈をとっていると私の手を握り返してきて

「孫と同じくらいだな、看護婦さん。あったかい手だねぇ」

とそのまましばらく目を閉じているお婆さん。


両手を合わせて拝んで
何回も何回もお礼を言うおじいさん。


寝たきりなのに飛びきりの笑顔を見せて起き上がろうとするおじいさん。


美味しそうに小さなおにぎりを食べる子供たち。


毛布に包まって眠る赤ちゃん。


健康相談では「体育館では眠れないよ」
「親類と連絡がとれなくて眠れない」
と眠れない訴えが多く
血圧も高めなかたがたくさんでした。

すっかり暗くなる頃には
私の腕が上がらなくなっていました。


10数ヶ所の避難所、それでもまだまだたくさんまわれなかった避難所と救護所だらけでした。

あとから聞いたのですが
私は初日だけでも数百人の血圧を測ったらしい。

でも全然足りないくらい、測ってあげられなかったお年寄りのほうが断然多かったです。

気付けば朝トイレに行ったきり夜更けになっていました。


反省会や明日以降の予定のミーティングを終え、移動の疲れや現地を目にしたショックと
避難所まわりであっという間で忙しく過ぎた1日でした。


避難所だってぎゅうぎゅうで
もちろん私たちは寝る場所もなく
初日の夜は遺体安置所のわきの簡易プレハブに男女関係なく雑魚寝。


疲れているのに眠れるわけがなく、
持ってきたiPodを聞きながら友達と撮った写真を見たり圏外のままの携帯にこの文章をずっと打っていたり
友達がくれたメールを読み直して
1日泣くのを我慢していたのでバスタオルに包まってずっと朝まで泣いていました。


ベッラあとがき

医療チームの皆様、口では言えないほどのご苦労がたくさんおありだと思います。
この様子を実際に医療に携わっていらっしゃる方がお書きになって、読む私も涙があふれます。

泣いてはいけないのですね。
冷静にならないと、そしてしっかり向き合って治療しないとならないのですね。

夜、バスタオルの中で泣いた、ということ・・・私など発狂寸前でしょう。
「がんばって」など安っぽくきこえるし、ご努力なさっている方々に申し上げるなんてできません。

政府の方々、どうか、この生々しい文をお読みください。
そしてこの方々の努力が報われるような、対策をしっかり立てて下さい。・・・・・(やはり涙です、ごめんなさい)
   
コメント (4)
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