ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

わが盟友、フローラはな様の言葉に励まされる・・・「いつも紙一重」の私のエントリーに。

2011年04月02日 | 日記

 昨日の私のエントリーで「いつも紙一重」を書きました。
そこでその終わりの方にこんなことを書いたのです。

『でも地震のニュースや政府の無能の話は、もう我慢ならない、心がメチャメチャになるような気がする、音楽だけが救いなのにそれを聴いてどん底の気分にもなる。(音楽が言う「誰が救いと言った?」)

音楽は厳しい・・・決して慰めてくれない・・・音楽に生きてきた私にとっては。(音楽家にとってはいつも音楽と真剣勝負になる・・・たとえ、今、音楽ができない環境でも。魂が音楽の中に入ってしまって、格闘し燃えているのだ!)

音楽は容赦なく、とことん追い詰めるのだ。そして私は「何をいうか!」とそれに立ち向かっているのである。

変な腐れ縁である。』



            フローラはな様のコメント転載
2011-04-02 09:56:25
ありきたりですが芸術は本業にすると格闘なので厳しいです……でも…
アマチュアからすると「プロがいなくては話にならない」のです。
素人が普段着気分で楽しんでいるだけの芸術では指針がなくなります。
まるで今の政権じゃないですか?そこにもここにも…「プロじゃないからいいのよ」気分のヘタヘタがゾロゾロ大手を振っているなんてゾォWWとします。
プロの方には申し訳ないですが、今までもこれからも「極める」という姿を保ち続けてそれを素人に示してもらう必要があります。
こういう政権が誕生したのは国民が政治のプロを望まなかったこともあるとおもいます。
なんとなくヌルイ生活(平和ボケ お花畑)に馴れてしまって、それがずーーーっと続くと思っていた…。経済さえうまく回ればいい…みたいになって。でも戦争がなくても、この大震災のように自然は状況を無視して平気で牙を剥くのです。
阪神のときに被災地以外の地域の人ももっとそのことを肝に銘じておくべきだったんではないでしょうか?政治家を選ぶときには、国難になったときに国民と一緒に悩み苦しみ引き上げてくれ前に進む力を与えてくれる人を選らばなくてはならないですね。口先だけなら何とでもうまいことが言えます。



コメント (6)
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支援物資を止めてる奴がいるらしい「ミヤネ屋」で梅沢さん暴露!

2011年04月02日 | 日記
支援物資を止めてる奴がいるらしい


31日の「ミヤネ屋」で梅沢さんが訴えています。
支援物資がいきわたっていない、積み上げている、「私が運びます」と言っても、「許可が必要です」と断られた、赤ちゃんは一日一回しかミルクが飲めない状況なのに!

鶏様、ありがとうございます。
この動画、皆様で広めて下さい、お願いします。

鶏様のコメント欄もご覧下さい。
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いつでも紙一重

2011年04月02日 | 日記

 毎日、たまらないニュースで知らず知らずのうちに、心がすさむような気がする。
みんなバラバラで、そしてみんな心が傷ついていく。
それを自分で意識しないだけに、ふと気がついた時、心の傷の深さに呆然とするのだ。

誰が悪いわけでもない、この恐ろしい災害に・・・そして何も打つ手がない、ヤル気のない政府をひきづり降ろすこともできない無力感に・・・。
この政府を我慢して、総力で災害復興に、救出に、そして救援物資に・・・と思ってきて、そのほとんどが見事に(予想通りだが)裏切られてきた。

1日、いいニュースといえば海上で、壊れた家が漂流していてその上にいた犬が救助されたこと。
「良かったな~」と喜びながら・・・しかしあまりにも惨い事実が、必ずくっついてきて苦しめる。
ニュースを見るのはもうやめようと思う。本もやめようと思う。
でも見ずにはいられないのだ。
そしてヴェルディ「レクイエム」を聴き、心の痛々しさを癒すどころか、ヴェルディは現実をドカッとつきつけるようだ。

私は強いのか弱いのか・・・そして毎日の老親介護、父は今、大変元気で活発だ。
でも、私はニュースを見て、そのままフロアーに寝てしまい、起きあがれない精神状態のことも多い。
起きあがると父が怒って怒鳴っている。

そして父の世話をする。
申し訳ない・・・これが精一杯よって声をかけながら、自分の不甲斐なさにあきれはてる。

父の誕生日の時、妹が東京から来て、妹に「一日でもいいから父の面倒を見て、私、一日でも遊びに行きたいの」、と言うと
「イヤだ!こんなの!こんなになる前だったらいいけど!」って振られた。
妹は天真爛漫で、言いたい放題。
多分、そう言うだろうと思っていたので、思わず笑ってしまった。
「お姉ちゃん、慣れてるし上手いじゃない?面倒見るの」って、やっぱり私でないとね、なんてバカな私は納得する。

妹には期待していないが、それでいいと思っている。
親の面倒をみるのは、大変だけど(母親の時はこれどころではなかった)、面倒を見ながら、私自身が親に甘えているところもあるのは確かだ。
能天気というか、アホというか・・・。

でも地震のニュースや政府の無能の話は、もう我慢ならない、心がメチャメチャになるような気がする、音楽だけが救いなのにそれを聴いてどん底の気分にもなる。(音楽が言う「誰が救いと言った?」)

音楽は厳しい・・・決して慰めてくれない・・・音楽に生きてきた私にとっては。(音楽家にとってはいつも音楽と真剣勝負になる・・・たとえ、今、音楽ができない環境でも。魂が音楽の中に入ってしまって、格闘し燃えているのだ!)

音楽は容赦なく、とことん追い詰めるのだ。そして私は「何をいうか!」とそれに立ち向かっているのである。

変な腐れ縁である。
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