昨日の私のエントリーで「いつも紙一重」を書きました。
そこでその終わりの方にこんなことを書いたのです。
『でも地震のニュースや政府の無能の話は、もう我慢ならない、心がメチャメチャになるような気がする、音楽だけが救いなのにそれを聴いてどん底の気分にもなる。(音楽が言う「誰が救いと言った?」)
音楽は厳しい・・・決して慰めてくれない・・・音楽に生きてきた私にとっては。(音楽家にとってはいつも音楽と真剣勝負になる・・・たとえ、今、音楽ができない環境でも。魂が音楽の中に入ってしまって、格闘し燃えているのだ!)
音楽は容赦なく、とことん追い詰めるのだ。そして私は「何をいうか!」とそれに立ち向かっているのである。
変な腐れ縁である。』
フローラはな様のコメント転載
2011-04-02 09:56:25
ありきたりですが芸術は本業にすると格闘なので厳しいです……でも…
アマチュアからすると「プロがいなくては話にならない」のです。
素人が普段着気分で楽しんでいるだけの芸術では指針がなくなります。
まるで今の政権じゃないですか?そこにもここにも…「プロじゃないからいいのよ」気分のヘタヘタがゾロゾロ大手を振っているなんてゾォWWとします。
プロの方には申し訳ないですが、今までもこれからも「極める」という姿を保ち続けてそれを素人に示してもらう必要があります。
こういう政権が誕生したのは国民が政治のプロを望まなかったこともあるとおもいます。
なんとなくヌルイ生活(平和ボケ お花畑)に馴れてしまって、それがずーーーっと続くと思っていた…。経済さえうまく回ればいい…みたいになって。でも戦争がなくても、この大震災のように自然は状況を無視して平気で牙を剥くのです。
阪神のときに被災地以外の地域の人ももっとそのことを肝に銘じておくべきだったんではないでしょうか?政治家を選ぶときには、国難になったときに国民と一緒に悩み苦しみ引き上げてくれ前に進む力を与えてくれる人を選らばなくてはならないですね。口先だけなら何とでもうまいことが言えます。