Wilhelm Furtwangler, Wagner & Goebbels
ナチス時代のコンサート、ワーグナーの最高作品とされる「ニュルンべルグのマイスタージンガー(ニュルンべルグの名歌手、と訳される)」を指揮するのは、フルトヴェングラー。
彼の胸中や如何に・・・。
彼はナチスの旗の下でコンサートを開き、ドイツの芸術の最高水準を誇示するようにナチスに利用されたのだが、彼はユダヤ系の楽員をそっと逃していたのであった。
ナチスは滅び、戦後、徹底して命を張ってファシスト政権に抵抗したイタリアのトスカニーニと並び、世界最高の指揮者とされたが、自分の思いを貫き通したトスカニーニの晴れやかさとは違い、戦後の扱いも微妙で、しばらく演奏の口がかからなかった。
そのフルトヴェングラーを呼んだのが、何とイタリアのミラノ・スカラ座であり、トスカニーニがイタリアに復帰したのとほとんど同時だった。
これは、ナチス政権のもとで、ワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲を指揮するフルトヴェングラー、苦渋に満ちた表情。
以前、パリ在住のバリトン歌手のKen様が、コメントでお書きになっていたこと、それは
「ヴァーグナーオペラの主題は、文化的国粋主義でも、純血主義国家でもなく、そうした主義や国家を超越した「愛」、あるいは、愛の超越、だと思います。
トリスタンとパルジファルと指輪はそれぞれ違う主題で書かれているようで、まったく同じ主題を違うスタイルで書いてるのだ、とぼくは考えます。
愛といっても惚れた腫れたの愛ではなくそれは
(ショーペンハウエルから受け継いだ)Mitleid苦を分かつ愛。」(以上Ken様のワーグナーのことでコメントされた文)
指揮者フルトヴェングラーはそのMitleidそのものだったのかも知れない。
☆ ここに書いたら穢れるような気がするのだが、昨日の愚番組「ワイドスクランブル」で、愚かで悪質な辻元清美に同調していた美輪明宏!
これは、「人生相談」で人気があるようだが、以前、彼の(彼女の?わからん!)書いた文で、三島由紀夫が映画にワーグナーを使用することに対し、「ワーグナーは暗い、あなたに合わない、フランスの音楽にすべき」と言ったそうだ。
私は三島由紀夫がワーグナーに憧れ、理解し、それを自分の映画に使用したい気持ちはよくわかる。
なぜなら、ワーグナーの音楽は「自己犠牲を讃える」美学と合致するからである。
フランスの音楽はそうではない。
タイプが違う。
あの茶髪ならぬ「黄髪」には理解できないだろう。
知ったかぶりで言い散らかして人々をケムに巻くのはよくない。
以前、石原東京都知事が当選した時に何と言った?
「東京都民の民度は低いのね!」
かしこぶってバカな男(女?)は、美しい芸術を理解せよ、というが、その歌はもはや音程も定かではなく、気品もない。
自分自身を鏡に映したことがあるのか、と問いたい。
そして「断定的」にものを言うのは、宗教でもって他人に虎の威を借りたような「ものいい」をする人独特の雰囲気だ。
求道者としての謙譲はない。あるのは「威圧」であり「脅すような押しつけ」である。
私はそれを徹底して嫌うのだ。
ナチス時代のコンサート、ワーグナーの最高作品とされる「ニュルンべルグのマイスタージンガー(ニュルンべルグの名歌手、と訳される)」を指揮するのは、フルトヴェングラー。
彼の胸中や如何に・・・。
彼はナチスの旗の下でコンサートを開き、ドイツの芸術の最高水準を誇示するようにナチスに利用されたのだが、彼はユダヤ系の楽員をそっと逃していたのであった。
ナチスは滅び、戦後、徹底して命を張ってファシスト政権に抵抗したイタリアのトスカニーニと並び、世界最高の指揮者とされたが、自分の思いを貫き通したトスカニーニの晴れやかさとは違い、戦後の扱いも微妙で、しばらく演奏の口がかからなかった。
そのフルトヴェングラーを呼んだのが、何とイタリアのミラノ・スカラ座であり、トスカニーニがイタリアに復帰したのとほとんど同時だった。
これは、ナチス政権のもとで、ワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲を指揮するフルトヴェングラー、苦渋に満ちた表情。
以前、パリ在住のバリトン歌手のKen様が、コメントでお書きになっていたこと、それは
「ヴァーグナーオペラの主題は、文化的国粋主義でも、純血主義国家でもなく、そうした主義や国家を超越した「愛」、あるいは、愛の超越、だと思います。
トリスタンとパルジファルと指輪はそれぞれ違う主題で書かれているようで、まったく同じ主題を違うスタイルで書いてるのだ、とぼくは考えます。
愛といっても惚れた腫れたの愛ではなくそれは
(ショーペンハウエルから受け継いだ)Mitleid苦を分かつ愛。」(以上Ken様のワーグナーのことでコメントされた文)
指揮者フルトヴェングラーはそのMitleidそのものだったのかも知れない。
☆ ここに書いたら穢れるような気がするのだが、昨日の愚番組「ワイドスクランブル」で、愚かで悪質な辻元清美に同調していた美輪明宏!
これは、「人生相談」で人気があるようだが、以前、彼の(彼女の?わからん!)書いた文で、三島由紀夫が映画にワーグナーを使用することに対し、「ワーグナーは暗い、あなたに合わない、フランスの音楽にすべき」と言ったそうだ。
私は三島由紀夫がワーグナーに憧れ、理解し、それを自分の映画に使用したい気持ちはよくわかる。
なぜなら、ワーグナーの音楽は「自己犠牲を讃える」美学と合致するからである。
フランスの音楽はそうではない。
タイプが違う。
あの茶髪ならぬ「黄髪」には理解できないだろう。
知ったかぶりで言い散らかして人々をケムに巻くのはよくない。
以前、石原東京都知事が当選した時に何と言った?
「東京都民の民度は低いのね!」
かしこぶってバカな男(女?)は、美しい芸術を理解せよ、というが、その歌はもはや音程も定かではなく、気品もない。
自分自身を鏡に映したことがあるのか、と問いたい。
そして「断定的」にものを言うのは、宗教でもって他人に虎の威を借りたような「ものいい」をする人独特の雰囲気だ。
求道者としての謙譲はない。あるのは「威圧」であり「脅すような押しつけ」である。
私はそれを徹底して嫌うのだ。