ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

Piero Cappuccilli Attila b-flat 何が「大連立」だ!ここでカップッチッリを聴く!

2011年04月08日 | オペラ
Piero Cappuccilli Attila b-flat


私の最も好きな歌手は、このカップッチッリである。
彼の歌を聴くと勇気が出てくる。

世界を制覇した蛮族のアッティラはローマを狙っている。
阻むのは英雄エツイオ、「最後のローマ人」として何としてもローマを護り通す気概をこの歌で示す。

これは作曲家ヴェルディが、他国(オーストリア)に侵略され、当時都市国家だったイタリアを統一しようとする「祖国統一戦線」を支持して書いた曲である。

「最後のローマ人」・・・これが「最後の日本人」という悲劇にならないよう、私たちはわが祖国をみなければならない。
売国政権であり尖閣など売国政策を繰り広げた民主党などと「大連立」など許されない。
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日経が「台湾」の支援を絶賛!!!

2011年04月08日 | お知らせ

あの「日経」が台湾の支援を絶賛している。これはヴィットリア様が見つけられた。
ニュースを全文、掲載しておこう。



       台湾から義援金100億円、どう受け止めるか 最も近い民主主義国、日本にラブコール

2011年4月7日(木)09:00
 台湾からの義援金が官民合わせて1日までに106億円を突破した。9割以上が民間からだ。時事通信などが、そう伝えている。米国からの義援金は3月30日までで99億円。ちなみに日本赤十字社に集まった義援金総額は716億円以上。台湾の平均月収は13万円前後だ。10倍以上の格差がある社会なので、一概にはいえないが、庶民の暮らしは日本人サラリーマンよりつましい。食品など生活物価も安いので、暮らしは貧しくはないが、そんなに余裕のある社会ではない。

 エバーグリーングループの張栄発総裁が日本赤十字に10億円出し、大企業トップの出す義援金の大きさはニュースになっているが、台湾の各地で行われているチャリティー番組やチャリティーイベント、チャリティ・コンサートで集まる一般市民からの募金も大きい。なぜ、台湾人はここまで日本の大震災に心を寄せてくれるのか。この現象を台湾は親日家が多い、台湾人は心が熱い、という言葉だけで納得していいのだろうか。

日本の台湾へ支援表明は早かった
 理由としては、台湾人自身も大震災を経験していることが大きいだろう。

 1999年9月21日の台湾大地震だ。この日未明に台湾中部をマグニチュード7.6の大地震が襲い、当時、新聞記者だった私は夜が明けるのをまって現地へ取材に飛んだ。それが私にとっての初めての台湾訪問だった。

 当時の産経新聞台湾大地震取材班で、阪神・淡路大震災の取材経験があり、中国語を話せる記者は私を含めて2人いた。そのもう1人の記者はスーツケースいっぱいにミネラルウォーターの2リットル・ペットボトルを詰めて持ってきていた。東京から派遣された被災地取材経験のない記者が「あいつ馬鹿か」と言って笑っていた。

 私はその重いミネラルウォーターのスーツケースを引きずってきた記者が阪神・淡路大震災当時、阪神支局勤務で、記者であると同時に被災者であることを知っていたから笑えなかった。彼は阪神・淡路大震災なみの台湾大地震の規模を聞いて、同じような惨状を覚悟して来たのだ。震災を経験したものはその苦しみを忘れることはできない。

 だから阪神・淡路大震災から4年しか経っていなかった日本の台湾へ支援表明は早かった。その対応の素早さに対する感謝の気持ちは、その後も何度も台湾人の口から聞いた。

初動の指示を的確にできたリーダーの有無
 結果的には、台湾大地震での被災地での水や食料の心配は無用だった。被災地では、すぐに被災者自身やボランティアによる炊き出しが行われ、救援物資は都会に近い地域から続々と到着した。

 被災地の雰囲気が、私たちが覚悟していたほど悲惨でなかったのは、気候が夏の盛りを過ぎ、比較的過ごしやすい季節であったこと、震源地が台湾中部の南投県集集鎮という農山村地域で、もともと大都市のようなインフラに頼り切った生活をしていなかったため、被災者自身に過酷な環境での生活力があったことなどの要因もあるだろう。

 極寒の季節、都市を襲った阪神・淡路大震災や、高齢者の多い東北の海岸沿いに津波が押し寄せた東日本大震災とは比較できない。ただ、あえて阪神・淡路大震災、東日本大震災と比較するとしたら、初動の指示を的確にできたリーダーの有無の差はあっただろう。

 「台湾大地震救済日記」(PHP出版)にまとめられてあるが、台湾大震災当時の総統・李登輝氏は地震発生1時間後に10万の軍の出動を命じ、翌早朝には自らヘリに乗り込んで被災地に入り、現地の自治体の首長に自由に使える相当額の現金を渡して、いかように使っても自分が責任を取ると言明した。



  ベッラあとがき
驚いています。いったいどうしたの?
皆様の電話やメールの抗議を無視できなくなったから?
あの時、電話がつながらないほど抗議だったのでしょうか、日本の名誉をかけて抗議した方々のおかげです。それとも、日経は大赤字の経営、このままではつっぱりきれないとでも?「ヴィットリア」様、お知らせ頂いてありがとうございます。
ヴィットリア様の電話抗議がきいたのかもしれません。
早々に抗議記事をブログに書いて下さった「漂泊の旅人」様、ありがとうございます。

 
コメント (8)
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