ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

2012年10月3日 アンカー 

2012年10月03日 | 政治
2012年10月3日 アンカー A


2012年10月3日 アンカー B


2012年10月3日 アンカー C


2012年10月3日 アンカー D


2012年10月3日 アンカー E [END]



☆ gannrikiさま、ありがとうございます。
  今日も青山さんの「アンカー」はズバリ!!

  削除が心配、できるだけお早くご覧下さい


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【片桐勇治】自民新体制と野田内閣解散の行方[桜H24/10/2]

2012年10月03日 | 政治
【片桐勇治】自民新体制と野田内閣解散の行方[桜H24/10/2]


10月1日に発足した第三次野田改造内閣の恐るべき布陣について、政治アナリストの片桐勇治氏に解説して頂くほか、対決する立場の安倍自民党体制について論評していただき­ます。また、解散時期をとぼけている野田首相を追いつめる戦略はあるのか、マスコミ対策と併せてご見解をお聞きしていきます。

評価の高いコメント

松原仁(人権救済法反対)の留任が無かったのは秋の臨時国会提出­に向けての人権救済機関設置法案閣議決定(前回のものは国会閉会­後故に効力無し)を狙ってのことではないのかな。
恐らく新メンバーは全員賛成派ではないのかな・・・。
「朝鮮学校無償化」の最終判断をこの新内閣でと言っているくらい­だから、数ある売国法案成立の為の最後っ屁内閣だと見てもおかし­くない。
YouQube05117 19 時間前 34

反日勢力の立場に立ってみた場合、一番重要なことは民主党政権を­一日でも長く持たせて、その間に安倍内閣誕生を阻止することだ。
反日勢力は全力をあげて自民党潰しをしてくる。
そして、もっとも恐れることは自民内部から安倍潰しの動きが出る­事だ。
解散するまで、まだまだ油断ならない。

yuukarikoarakun 18 時間前 29 (以上、動画の下に書かれたコメントより)

☆ さすがのマスコミもあきれているような実態です。
  田中真紀子文部科学大臣など、絶望的です。
  松原仁氏を事実上更迭したことも、歯止めがなくなったことだろう。
  国民がしっかりすること、メチャクチャな安倍叩きを許さない姿勢も必要。
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asia-corridoioさまのエッセイから~明治時代の各国の「日韓併合」に関する歴史的記事

2012年10月03日 | asia-corriodoioさまのエッ

欧州のマスコミが続々と日本を批判「過去の反省をしない」=韓国
2012/10/01(月) 11:28


 竹島の領有権問題に関して、スペインのエル・ムンド紙とフランスの週刊誌レクスプレスに続き、ドイツやオランダ、イギリスでも、日本を非難する報道が行われたと、複数の韓国メディアが報じた。


 韓国メディアは、「欧州のマスコミ“日本、過去の反省しない”」「欧州のマスコミ、日本の独島領有権主張を批判」などと題し、欧州各国のマスコミが、竹島の領有権を主張する日本が過去の歴史を反省しないとして、強く批判したと伝えた。

 日本と同様に、第2次大戦戦犯国であるドイツでは9月22日、国営ラジオ放送のドイチェラント・ラジオが「日本の歴史に対する反省不足が、領土紛争に大きな影響を与えている」と批判した。また、中道左派新聞のズード・ドイツ・ツァイトングも19日、「日本が対立を繰り返している理由は、戦争犯罪を認めようと努力していなかったからだ」と指摘。

 一方、フランスの時事週刊誌レックスプレスは27日、「ホロコーストに全面的に責任を負うドイツと異なり、日本は植民地支配に対して完全な責任を負うことはない」と分析した。

 また、オランダの経済紙であるHFD(Het Financieele Dagblad)は22日、「スポーツの競技中にナチスの旗を振ったり、ドイツの一等書記官が公に、オランダの領土の一部の領有権を主張することは想像できない」として、日韓の領土紛争をなぞらえた。

 さらに、イギリスのフィナンシャル・タイムズも12日、「日本は過去の蛮行に対して、驚くほど良心の呵責(かしゃく)を感じずにいる」と非難した。

 欧州各国の主要メディアは、日本とドイツを比較しながら相次いで批判しており、日本に対する否定的な世論はさらに激しくなると伝えられた。(編集担当:李信恵・山口幸治)




併合当時、欧米はこの出来事をどのようにとらえていたか・・・当時の報道を列挙してみよう。

欧米の言論は日本による韓国併合を快哉の声を持って迎えた。逆にこの決断に対し、抗議の声を上げることのないようにとたしなめてもいる。

英国紙「タイムス」(明治43年8月25日)
日本の韓国併合は幾多難問題の解決上ただ一つの健全なる手段たることは業にすでに明白なり。日本は断然従来の島国的地位を棄てその境界は遥かに亜細亜大陸上に延長したる。
その独得たる高尚不撓の勇気をもって拡大せる新運命に向かわんは吾人の確信する所なり。

英国紙「モーニング・ポスト」(明治43年8月25日)
併合は単に名義上の差異にして日本はこれが決定に先立ち韓国と条約関係を有する列国との間にあらかじめ内協議を遂げ同国に於ける外国の利益を保護すべき諸般の準備を整えたるにより何ら重大なる抗議を惹起することなかるべし。

英国紙「スタンダード」(明治43年8月26日)
日本が韓国の独立を消滅せしむるに当たり困難と費用とを避くる為全力を尽くしたることを信じ又韓国が日本の直接施政のもとにむしろ繁栄するに至らんことを希望してもって満足せん。日本は今や自国と同じく他国人をも支配することを得る国民として宇内の好評を博すべき好個の機会を有せり。しかして我が英国は友好的興味をもってこれを注視すべし。

米国紙「ニューヨーク・トリビューン」(明治43年8月31日)
日本が朝鮮貿易に対し全然日本本土と同様の税率を賦課する国際上の権利を有しながら
今後十年間旧韓国の税率措置の如き寛大なる措置を執りたることは韓国独立消滅に対する世界の感情を融和して余りあるべし。



更に韓国の呼びかけで学術的検証も行われている。

2001年11月、ハーバード大学のアジアセンター主催の国際学術会議で、日韓併合についての国際法の学術会議が開催された。

これは韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもとに、韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。

日韓併合を歴史的にどう評価するかと言う学術的な論証を行う重要な会議の性格を持っていた。

出席者はアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まった。



韓国側は韓国併合を国際法上、不法なものとすることを目的としてこの会議を企図した。

しかし、韓国側の目論見とは異なる主張がなされた。

ケンブリッジ大学国際法の権威、J.クロフォード教授は「自分で生きていけない国について周辺国が国際秩序の観点からその国を取り込むという事は当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった。」と主張されたのだった。

勿論、韓国側はこの意見に対し反対の主張をしたが、教授は「強制されたからと言って不法だ。との認識は第1次大戦以降の考え方によるもので、併合当時では全く問題となるものではない。」と、韓国の反論を退けた。韓国は悄然とし、反論さえ封じられてしまった。
更に言うなら、韓国が併合の不当性を強制によるもの・・・だと主張するなら次のエピソードを添えておこう。


『李完用侯の心事と日韓和合』 

朝鮮全権大使 李成玉

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことは
できない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。

そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、
日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、
これは朝鮮人を同類視しているからである。

そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。

日韓併合が問題になるのは、変な話だ。
我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」 (朝鮮全権大使 李成玉)

 


強制には程遠い。


「網も張る前に魚が飛び込んできた」と日本を驚かせた。

☆ asia-corridoioさま、歴史的な記事を挙げて頂き、これは多くの日本人が知るべきと思い、転載させて頂きました。
  これを読むと、全く強制ではありません。
  ただ、この現状をみると「併合」は他の国に任せたほうがよかった、と思うほどです。
  正しい「歴史教育」は絶対に必要ですね。 ありがとうございました。
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中山なりあき氏(たちあがれ日本)のブログから~感動しました。みなさまもご覧下さい。

2012年10月03日 | 政治

先月、大阪に中山恭子氏の講演会を聴きに行き、著書にサインまで頂いて感激した記憶も新しい。
中山なりあき氏(恭子氏の御主人)のブログはいつも拝見しているが、このエッセイは本当に感動的だ。
またおふたりの素晴らしさが手に取るようにわかるので、ここに転載したいと思う。



危うし日本

2012年9月26日 (水)
国を守り、国民を守る
 9月17日の産経新聞「正論」欄に妻、中山恭子の「母の写真見つめたヘギョンさん」の記事が出ている。金正恩体制に変わった今が拉致問題の解決に向けたチャンスであり、政府の最重要課題として取り組むよう求めている。

 その中に、1999年の8月にキリギスで起きた、日本人の鉱山技師4名がイスラム原理主義グループに拉致された時のことが書いてある。その記事を見て当時のことを思い出した。 

 その年の6月、ウズベキスタン兼タジキスタンの特命全権大使に任命された妻をウズベキスタンの首都、タシケントまで送っていった。それから2ヶ月も経たない8月のある日、宮崎の自宅で熟睡中の私に午前2時ごろ電話が掛った。何事だろうかと受話器を取ると、妻の声で、「キリギスで起きた鉱山技師4名が、隣のタジキスタンに連行されている。日本の外務省は発生地のキリギス政府に任せてあるから、現地の大使は動くなという指令を受けているが、犯人側は、日本政府が交渉の正面に出てこなければ明日から1人づつ殺すと言っている。どうしたらいいだろうか」という内容であった。

 とっさの事で、私は事件の内容はよく分らなかったが、「外務本省が何と言おうと、外国にいる日本人の命を守るのは任地の大使の仕事ではないか、1%でも救出の可能性があるのなら、最後までやってみるべきだ」と答えた。いつもは冷静、沈着な妻だが、その時の電話の声はさすがに必死な響きで苦しい立場にあることが察せられた。

 それから約2ヶ月、本省の指令に背いて辞表を懐にした中山大使と数少ないウズベキスタン大使館員の不眠不休の必死の救出活動が続いた。ウズベキスタンと日本は4時間の時差があり、仕事から帰宅した妻が電話する時間は日本では真夜中で私は睡眠不足になりそうだった。しかし、大使のことを考えればそんなことはいっておれない心境で、外務省や官房副長官に面会を求めて大使の行動に理解と協力をお願いした。幸い、犯人達に強い
影響力を持つウズベキスタンのカリモフ大統領の強い支援等により解放に結びつけることが出来た。

 当時はまだ、タリバンという言葉も世に知られていない頃であったが、犯人達はタリバンの過激派の一派であった。最後に、中山大使が犯人側と直接交渉に出かけるという電話を聞いて私は大変心配した。ヌルという司令官に会うために、山を登り、洞窟のような場所に上って行ったという。何百人というひげ面の男達が銃をかまえて立っている中で、一緒に行った男性達は途中で足がすくんで前に歩けなくなったのに、中山大使は通訳と2人、司令官の前に進んで行って直談判したという。いざとなると女性の方が度胸があるのかなと思ったりした。

 ヌルは日本の丹前のような服を着ていて、肥満のせいか体の前がはだけそうになるのを(女性の前だったせいか)一生懸命かき合せようとしておかしかったと妻は後で話してくれた。会談の最初にヌルが「自分はアフガニスタンにいたとき、日本の「おしん」のビデオを見たことがある」という話から始まり、空気がなごんだという。

 この「おしん」は30年前のNHKの朝の連ドラであったが、妻が国際交流基金の常務理事をしていた時、CDを作って世界各国に発送したものであった。そういう人達まで目にしていたのかと国際交流の大切さを思った。尚、このヌル司令官はその後の戦いで死亡したと伝えられている。

 そして、2ヶ月後、人質はやっと解放されることになったが、外務省はキリギスで解放されたことにするために、長い拘束で疲れ切っている人質を歩かせたり、飛行機に乗せたりしてキリギスまで運び、キリギス国内で釈放されたようにつくろった。人の命や健康よりも最後まで面子にこだわる外務官僚の体質に愕然とした思いが今も残る。

 その恭子がウズベキスタンから帰国早々、当時の福田官房長官から、「ギクシャクしている外務省と拉致被害者家族との中に入って融和を図って欲しい」という話が飛び込んだ。妻は福田赳夫元総理大臣に若い頃からお世話になっていたこともあり、福田康夫長官と面識があった。私は福田長官はいい人物に目を付けたなと感心した。私はキリギスの人質事件の時の外務省の対応を知っていたので、中に入ると苦労することも分っていたが、逆に外務省の体質をよく知っている者として、「最後まで拉致被害者の側に立って仕事をするように」とアドバイスして、参与の就任を後押しした。

 その後のことはマスコミに報道されたようなことであったが、政府内で最初は孤立したが、「拉致はテロだ」と断言し、絶対に北朝鮮には返すべきでないと主張する妻に安倍官房副長官が同調し、政府もようやく覚悟を決めて日本国として5人を返さないと発表した。

 その後、曽我ひとみさんが北朝鮮に残してきた家族と何処で会うかが問題になったことがあった。それこそ、たまたま宮崎の自宅でいつもはそんなに早く目覚めることはない私が、朝5時のNHKニュースのスイッチを入れたら、「曽我ひとみさんが北京で会うのに反対しているのは中山参与だけだ」というニュースが流れた。これは大変だと「起きてくれ」と祈るような思いで東京の妻に電話したら、出てくれた。「大変なことになっている。北京で会ったら睡眠薬を飲ましてでも強引に北朝鮮へ連れて行かれる。そして、私達は家族で相談して北朝鮮で住むことを決めたと記者会見させられ、一件落着となってしまうのが落ちだ。早く何とかしなければ」と話し合った。早速、妻は曽我ひとみさんに連絡をとり、曽我さんも北京以外で会いたいというメッセージを出し、最終的にジャカルタで会うことになった。

 ジャカルタでもいろいろなことがあったが、安倍官房副長官は常に曽我さん側に立って尽力され、家族全員が日本に来ることができた。ジャカルタでもスリルの連続であったという。後日ブログに書く時があると思う。

 中山恭子は、大蔵省入省以来、仏留学からワシントン勤務、国際交流基金、そしてウズベキスタン大使と国際的な経験を積んできた。特にソ連邦から独立したばかりのウズベキスタンに勤務し、一党独裁の国家は盗聴器や隠しカメラが設置されるなど厳しい監視体制が敷かれていることを体験した事が、北朝鮮を相手にした時に役に立った。人材を育てることの重要さを思う。

 今、竹島や尖閣の問題等で日本は難しい状況にあるが、国土を守り、国民を守るのは政府の最重要問題である。外交や防衛は素人には出来ない。外交官や防衛に当る者はもちろん、国政に携わる者は全てその使命をしっかり認識した、愛国者であり、国士であって欲しいと切に願っている。


2012年9月26日 (水)


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報道されなかった安倍晋三の功績

2012年10月03日 | 政治
報道されなかった安倍晋三の功績


マスコミはわざと安倍さんの功績を報道せず、バッシングだけ熱心だったのです。
今もまた、安倍さんへのバッシングがはじまっています。
こんなマスコミは「ゴミ」です。

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