Franco Corelli: Niun mi tema (1981)
上記の動画はコレッリが突然引退する直前のコンサートで、実質的に「引退コンサート」となってしまった。
これだけの声で、誰が引退を考えただろうか・・・。
そして決して歌わなかったヴェルディ「オテッロ」を歌っている。
コレッリの声は情熱に燃え、若々しい。そして力強い声は会場を圧倒する。
コレッリが心ひかれるヴェルディの最大のオペラとされる「オテッロ(オセロー)」、
彼は、オテッロはあの先輩テノーレ、マリオ・デル・モナコ引退後も、決して歌おうとはしなかった。
それはコレッリの「自己を知り、別のパーソナリティーである」ことを認識した賢さとも見えたが、実際に「オテッロ」を歌いたかったのを最後まで自己抑制したということ。
また、それは正しい判断とも言えた。
最後のコンサートでその「オテッロ」の終幕のアリアを歌った。そしてコレッリはこれでよかったと自分への厳しさをファンは知ることになる。
Mario del Monaco - Dio mi potevi
これはドイツでのコンサートと録音で、英雄オテッロが、ひとつの不確かな疑いからやがて破滅へと向かうモノローグである。
最後の「おお、ジョイア(愉快)」というところは聴かせどころであり、苦しみの声である。
オテッロの悲劇のはじまりであった。
ヤーゴの悪意ある嘘を信じていく恐ろしい自分の心、そして妻のデスデモナへの不貞の疑いはだんだん独り歩きして、オテッロの精神を蝕む。
マリオ・デル・モナコ渾身の歌である。一世一代のオテッロ歌いであった。
初来日の時、まだクラシックの劇場もなく、宝塚劇場でデル・モナコはその「オテッロ」で聴衆を異常なまでの歓喜を与えたのか、伝説的名演といわれ、また昭和天皇もデル・モナコの偉大な声を堪能されたという。
控えにいた練習指揮者、岩城宏之氏は「たったひとりの人、孤高の名歌手」と圧倒された昔を懐かしんで書いていた。
アクセス数 閲覧数:4,464PV
上記の動画はコレッリが突然引退する直前のコンサートで、実質的に「引退コンサート」となってしまった。
これだけの声で、誰が引退を考えただろうか・・・。
そして決して歌わなかったヴェルディ「オテッロ」を歌っている。
コレッリの声は情熱に燃え、若々しい。そして力強い声は会場を圧倒する。
コレッリが心ひかれるヴェルディの最大のオペラとされる「オテッロ(オセロー)」、
彼は、オテッロはあの先輩テノーレ、マリオ・デル・モナコ引退後も、決して歌おうとはしなかった。
それはコレッリの「自己を知り、別のパーソナリティーである」ことを認識した賢さとも見えたが、実際に「オテッロ」を歌いたかったのを最後まで自己抑制したということ。
また、それは正しい判断とも言えた。
最後のコンサートでその「オテッロ」の終幕のアリアを歌った。そしてコレッリはこれでよかったと自分への厳しさをファンは知ることになる。
Mario del Monaco - Dio mi potevi
これはドイツでのコンサートと録音で、英雄オテッロが、ひとつの不確かな疑いからやがて破滅へと向かうモノローグである。
最後の「おお、ジョイア(愉快)」というところは聴かせどころであり、苦しみの声である。
オテッロの悲劇のはじまりであった。
ヤーゴの悪意ある嘘を信じていく恐ろしい自分の心、そして妻のデスデモナへの不貞の疑いはだんだん独り歩きして、オテッロの精神を蝕む。
マリオ・デル・モナコ渾身の歌である。一世一代のオテッロ歌いであった。
初来日の時、まだクラシックの劇場もなく、宝塚劇場でデル・モナコはその「オテッロ」で聴衆を異常なまでの歓喜を与えたのか、伝説的名演といわれ、また昭和天皇もデル・モナコの偉大な声を堪能されたという。
控えにいた練習指揮者、岩城宏之氏は「たったひとりの人、孤高の名歌手」と圧倒された昔を懐かしんで書いていた。
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