橋下徹「狼は生きろ、豚は死ね」
石原慎太郎さんが動く意義 No.790 平成24年10月27日(土)
二十五日、石原慎太郎さんが、ついに都知事辞任、国政復帰そして党結成を表明した。
もともと、たちあがれ日本は、石原慎太郎さんを顧問にして結成されたが、それはこの日の為である。
「この日」を待望していた。
では、「この日」の意義は何か。
それは、真の「戦後から脱却する政治勢力」が始めて政党として姿を顕すことである。
これによって、政界が「戦後勢力」と「戦後脱却勢力」に分別される。
これは、具体的には、現下の情勢では、「対中屈服派」と「独立自尊派」として明らかになる。
さらに、日本政界は、今まで「風」で動いてきたのだが、
「この日」を境に、その「風」が如何に足が地に着かないいわば芸能プロダクション的現象であるかが明らかになる。
「風」とはつまり、「民営化の風」、「生活第一の風」、今の「維新の風」そして「減税日本の風」また「脱原発の風」。
これが芸能プロダクションであることは、風ごとに、かつての小泉チルドレン的現象がいつも湧いてきて、選挙が近づけば、どっと芸人希望者(本当の売れない芸人もいる)が群がることで明らかではないか。
中共の歴史攻勢と闘う畏友の河村たかし君は、「減税日本」という党を造っているようだが、この「風」の中では、もうじき誰かが「脱原発日本」という党を造っても不思議ではない。
とはいえこれらは、我が国家の存在を解体させようとする深刻な思想戦、宣伝戦を仕掛けられている現在において、こともあろうに「国家のない頭の中」に吹く風である。
従って、この風が吹く度に我が国は弱体化し、喜ぶのは、具体的には、支那と朝鮮そしてアメリカ、特に支那と朝鮮だけだ。
そこで、「戦後から脱却する政治勢力」が、決定的に明らかにするのは何か。
それは、日本人の中に、日本弱体化を喜ぶ支那人や朝鮮人やアメリカ人のマインドをもって政界に巣くい財界を牛耳る似非日本人の分厚い層が存在しているということである。
さっそく、政界や財界で、石原氏の国政復帰に、「中国を刺激する懸念」を表明する者がいるし心中そう思う者がいるが、それがこの者達が、もはや日本人ではなく支那に飼育された似非日本人に成り下がっていることの証しである。
つまり、石原記者会見は、さっそく有益な効果を、日本政財界そしてマスコミ界や学会にもたらしているということだ。
また、四月に石原東京都知事が、尖閣諸島を都で買収すると発表したときに、「中共を刺激すれば恐い」と慌て錯乱して、こともあろうに我が国固有の領土に対する我が国の実効支配を放棄するために(日本人を上陸させず調査させず開発させず)、尖閣を国有化した野田総理と松下政経塾を鼻にかけた未熟児の面々の反国家性は明々白々となる。
さて、「戦後からの脱却」とは何か。
それは、歴史の回復に基づく日本国憲法廃棄である。
石原さんは、本年六月十三日、東京都議会において都議会議員土屋たかゆき(註)君の質問に答えて、「日本国憲法廃棄」を明確かつ公式に答弁している。
これこそ、政治家の決断であり政治主導の見本である。
昭和二十年から二十七年まで、我が国を軍事占領していた占領軍が、昭和二十一年二月の十日間で、日本を永遠に連合国の脅威にならない弱体国家に止めおく占領方針にを実施する為に、
「占領中に占領軍兵士に書かせた日本国憲法と題する文書」
を占領解除後六十年以上にわたって後生大事に「憲法」として扱っていて、これからもその枠内で生きようとする者、もっとはっきり言えば、祖国が占領軍なき被占領国体制に閉じこめられていることを幸いに、そのなかで出世して地位を得ようとする者、つまり戦後の利得を狙う者に、「維新」も「改革」もへっちゃくれもない。
石原氏は、この憲法廃棄の決断をひっさげて政界に帰り「最後のご奉公」に臨むのである。
従って、今まで「保守の面」をして安楽に生きてきて現在の堕落した政界をつくった者も保守ではなく、実は日教組と変わらない「戦後左翼」に分類される。つまり、戦後とはよく言われるように、自民党が金を出し日教組が子ども達に反日教育をする「総左翼体制」だったのだ。
つまり、国民は「日本的保守」とは何かを知ることになる。これは、既に日本政界に於ける大きな貢献である。
平成九年五月、私は、石原慎太郎さんと沖縄県石垣島で待ち合わせた。私は関空から石垣島に行き、石原さんはフィリピンから船に乗って石垣島に来た。
そして翌日、ともに尖閣諸島魚釣島を目指して海に乗り出し、石原さんは、島に上陸する私をサポートしてくれた。
平成二十四年十月、今度もまた、わくわくする思いで、政界に乗り出すことになる。
誇りある日本の存続、サバイバルをかけて。
☆ やはりそうだったのか・・・西村眞悟氏も最初からそのような考えだったのか。彼は「剛に見えて柔であり、その柔は<保守というオーケストラの『指揮者』でなく、『ソリスト』である」と思う。
ソリストは指揮者のようにオーケストラの方向性よりも、自分がその中でいかに演奏するか、というのが使命であり、時には(真正の巨匠といわれる偉大なソリスト>は指揮者の方向性を引っ張る力があり、かつての巨匠は聴衆を目の前に圧倒的な「音楽的勝利」を聴かせ、聴衆を歓喜させたものだった。
しかし、今はそのような「巨匠」といわれる天啓を示すようなソリストはいない。
凡庸な指揮者に対しても、凡庸なソロが精一杯で「目立ったミスなく」その曲の形をなぞるだけ、・・・たまにはそうでないソリストもいるが、凡庸な指揮者はそれを毛嫌いする。指揮者を超えるような者は許容しないのだ。
ありあまる才能は自分自身の演奏解釈の中で長く過ごすと錆びることもあるのではないか。
今、正しく「ソリスト」とされるのは、藤井聡氏ら(中野氏もそうだが)学者であるようにも思える。
私は石原都知事のあまりにも性急な「ソリスト」に対し、「指揮者」として毅然たる態度を示すのが平沼赳夫氏や中山恭子氏、三宅博氏と思っている。
この人たちは面と向かっては言わないだろう・・・組織の一員であるかぎりは。
しかし、それを石原氏は先の会見の中で「狭い」と笑っていた。
選挙は数であり勢いである。そこがコンサートでの芸術家とは生き方が違う・・・いいえ、芸術家も「芸能プロダクション」である。しかし、かつての名演奏家は「舞台」では神の声のような演奏をしたものだった。
かつての自民党に逆らった政治家の怨念もあるだろう、しかし今は「国家・国民」を第一に考えるべきではないか。
橋下より安倍氏のほうが正しく、また数もあるのに、なぜそれを認めないか。
はじめるのはやさしいが、鉾をおさめることのほうがもっと難しい。
このような「ファンファーレ」は「ファンファーレ」であり、シンフォニーやオペラではない。これは音楽家である私の直感だ。
★註・・・土屋たかゆき氏・・・月刊誌「WILL」9月号で『尖閣を竹島にするな』で野田かずさ都議員と対談、野田かずさ氏は橋下に傾倒、土屋氏は見事なまでの「橋下」批判をしていた。最近、野田かずさ氏は東京「維新」に入党。土屋氏は見事、真正保守としての見識を示していたことで記憶している。
復興予算流用を自公に責任転嫁したのに正論言われたw
これはおもしろい、まずご覧下さい。
いつのまにか・・・「正論」になっています。評判の動画!!
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10.26石原慎太郎東京都知事定例記者会見
「たちあがれ日本」の議員への不満を述べたというので・・・聴いてみたら石原さんだから「たち日」の議員も黙ったようだけど、これは「納得」ではないでしょう。
橋下と組む、は次の「支部長会議」でひっくりかえる可能性もあるように思う。
だって、「西は橋下」とは思っていないし、かえってあんな素人集団相手に内紛ってことにならないかと思う。
仮になるとすれば、橋下があの「西村眞悟」を説得できるかな?あの誇り高い西村氏を!
そして「維新」にはカイドウなどから資金をもらっていた谷畑がいる。自民の前は社会党という谷畑である。
カイドウと戦った三宅博先生がどのように谷畑といっしょにやれる?
「西」のことをもっとわかったら石原さん、どう言うでしょう。
平沼さん、また気をつかったのですね・・・。与謝野さんの時も、タイゾーの時もそうだった。
真面目な支持者が大量にぬけていったことをまさかお忘れでは?
中山恭子さんも賛成はしていないように思えます。
橋下と連合しても、橋下はなんでも自分の独断で決める「中小企業の社長」ということ。
「たちあがれ日本」のままでは票は入らない、といって橋下「維新」と組むと、人々は反発するだろう。
「維新」には自分のことばかり考えて橋下の威力で選挙に勝とうとしているのが多い。
「たち日」はそういう利権や保身から最も遠い党だが、自民党に面白くない思いをした人もいる。落武者である。
「支部長会議」は30日か・・・三宅博先生が「特定失踪者問題」で各地を回っていらっしゃるのも、その頃には終わっているだろう。大阪の西村眞悟は剛に見えて柔軟なところも・・・感じるのだ。
安倍さんとは組めないとは思わなかった。あの時、安倍さんを庇ったのは当時無所属だった平沼赳夫氏だけだったのに、話ができるのに、かつての「怨念」は大きいって?
橋下とは「反対」である。「橋下」と組んで大阪でかえって不利なのではないか・・・「維新」候補者は大阪の人々に信じてもらえない人たちである。「男・平沼」という信頼あつき国士は・・・。
石原さんは強い個性の政治家だが、音楽で言えば「指揮者」ではなく、ソリストだ。
平沼さんは、数年前の脳梗塞から健康が心配だ。指導者でありご意見番である。
中山恭子さんはどうお考えだろうか。
「たちあがれ日本」の議員への不満を述べたというので・・・聴いてみたら石原さんだから「たち日」の議員も黙ったようだけど、これは「納得」ではないでしょう。
橋下と組む、は次の「支部長会議」でひっくりかえる可能性もあるように思う。
だって、「西は橋下」とは思っていないし、かえってあんな素人集団相手に内紛ってことにならないかと思う。
仮になるとすれば、橋下があの「西村眞悟」を説得できるかな?あの誇り高い西村氏を!
そして「維新」にはカイドウなどから資金をもらっていた谷畑がいる。自民の前は社会党という谷畑である。
カイドウと戦った三宅博先生がどのように谷畑といっしょにやれる?
「西」のことをもっとわかったら石原さん、どう言うでしょう。
平沼さん、また気をつかったのですね・・・。与謝野さんの時も、タイゾーの時もそうだった。
真面目な支持者が大量にぬけていったことをまさかお忘れでは?
中山恭子さんも賛成はしていないように思えます。
橋下と連合しても、橋下はなんでも自分の独断で決める「中小企業の社長」ということ。
「たちあがれ日本」のままでは票は入らない、といって橋下「維新」と組むと、人々は反発するだろう。
「維新」には自分のことばかり考えて橋下の威力で選挙に勝とうとしているのが多い。
「たち日」はそういう利権や保身から最も遠い党だが、自民党に面白くない思いをした人もいる。落武者である。
「支部長会議」は30日か・・・三宅博先生が「特定失踪者問題」で各地を回っていらっしゃるのも、その頃には終わっているだろう。大阪の西村眞悟は剛に見えて柔軟なところも・・・感じるのだ。
安倍さんとは組めないとは思わなかった。あの時、安倍さんを庇ったのは当時無所属だった平沼赳夫氏だけだったのに、話ができるのに、かつての「怨念」は大きいって?
橋下とは「反対」である。「橋下」と組んで大阪でかえって不利なのではないか・・・「維新」候補者は大阪の人々に信じてもらえない人たちである。「男・平沼」という信頼あつき国士は・・・。
石原さんは強い個性の政治家だが、音楽で言えば「指揮者」ではなく、ソリストだ。
平沼さんは、数年前の脳梗塞から健康が心配だ。指導者でありご意見番である。
中山恭子さんはどうお考えだろうか。