ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

西村眞悟氏からメルマガです。~「尖閣と拉致が暴露したもの」

2012年10月18日 | 政治

尖閣と拉致が暴露したもの
No.788 平成24年10月18日(木)

 この度、東日本被災地復興予算の驚くべき流用が明らかになった。予算の執行は、政府与党の専権である。
 従って、その流用の責任は政府与党にある。
 しかるに、前原という者が、流用の責任転嫁の屁理屈を恥ずかしげもなく述べたという。
 そして、この同じ者が、この秋の尖閣周辺領海内への中共の公船による侵入と中国国内で盛り上がる反日デモや反日暴動という事態が発生した責任は、はじめに尖閣を買収すると公表した石原慎太郎東京都知事にあると述べた。

 錯乱し、脳乱したという他ない。
 予想されたとはいうものの、その無能と卑屈な対中屈服に愕然とする。

 尖閣防衛と拉致被害者救出は、東アジアはすでに動乱期に入っていることを示している。
 しかるに、その当事者であるにもかかわらず、日本だけが安全カプセルの中に入っているかのように錯覚して尖閣と拉致を直視しない者に限って風に乗る。
 直視しているものは過激とか右翼とか言われる。
 そして、この間違った風潮を利用し助長して、「生活第一」のスローガンで政権にありついたのが彼ら、民主党内の野田、前原そして某また某の松下政経塾グループだ。
 
 そして、このカプセル内のひ弱なのが政権に入ったのを攻勢を強めるチャンスと見たのが中共だ。
 従って、彼は尖閣に圧力をかけてきた。
 三月に、中共は、政府の船を尖閣領海内に侵入させて、「日本の実効支配を打破するために定期的に侵入する」と言った。
 つまり、「実力で尖閣を奪う」、すなわち戦争も辞さず、と言ったのだ。これ、既に匪賊である。
 しかしながら、この時、総理の野田は、「消費税に命を懸ける」だけ。

 ここにおいて石原東京都知事が、国が何もしないなら東京都で尖閣を購入すると思い余って決断した。それを国民が支持した。
 国民は、尖閣を断固として守ることを支持したのだ。

 しかし、日本国民に尖閣を守られては匪賊強盗の仕事がし難い。従って、匪賊は反日プロパガンダを煽り、いつまでも共産党の道具として使う為に無知蒙昧な儘に止め置いている群集を使嗾して反日デモを繰り返えさせた。
 この共産匪賊特有の戦法に、尻尾を股の間に入れた犬のように慄いて錯乱、脳乱したのが民主党の野田、前原の政経塾コンビだ。
 この責任が、百パーセントわが国固有の領土を強奪すると喚いた共産匪賊にあるという子供でも分かることがわからず、
 こともあろうに、領土を守ろうとした石原さんとそれを支持した日本国民に責任を転嫁するとは、開いた口が塞がらない。
 
 この政経塾コンビは、尖閣購入に関して石原知事と会談したとき、知事が「戦争も辞さず」と言ったので仰天して国有化をせざるを得なかった、と言う。
 ○○も休み休み言え。
 共産匪賊は、既に三月、尖閣を強奪すると公言しているではないか。これが、「戦争も辞さず」という意味であると理解できなかったのか。

 民主党は、「日本は日本人だけのものではない」とか、「東シナ海を友愛の海にする」とか、「東アジア共同体」とか言ったルーピーと世界で呼ばれた未熟児を恥ずかしげもなく総理に出した。
 しかし、中共が「戦争も辞さず」と言っている時には意味が分からず、石原知事が言ったときにびっくり仰天するこの政経塾コンビは、ルーピーを通り越して既に痴呆だ。

 かつて十年前、十三歳で北朝鮮に拉致された自分の娘が死亡したと小泉内閣に告げられた母、横田早紀江さんは、その三十分後の悲嘆のなかの記者会見で、
「(拉致は)日本の大変な問題であることを暴露しました」と言われた。

 この暴露という言葉は、予言のごとく今甦っている。
 尖閣と拉致、国土と国民救出は、戦後憲法体制の矛盾を暴露し、その中で抜け目なく泳いでいる者たちの、偽善、臆病、卑怯、無能、無責任、無益、そして有害性を暴露している。

 よって、ここまで暴露されたなかで行われる次の衆議院総選挙には、わが国の亡国か再生かの運命がかかっている。

 我が国の抱きしめたくなるほどいとおしい固有の領土である尖閣は、あらゆる犠牲を払ってでも守り、
 我らの同胞(はらから)は、
 あらゆる力を行使しても絶対に救出し、父母兄弟姉妹の家族は抱きしめねばならない。 
 近いうちに、これを断行する祖国を再興しよう。 

☆ いつもながら素晴らしい文章だ、そしてカリスマでもある。
  ただ「戦争」は、はじめるにはたやすく、引くのが困難である。(三国志や史記にも書いてある、もちろん孫子にも)
  名将が軍の「しんがり」を務めるのは、「先陣をきる」よりも100倍も難しい。

  まず、民主党政権を倒してからである。国内を統一せねばならない。地域主権や地域分権などというバカ党もいる。

  ところで平沼氏が「西は橋下」と言ったことの釈明は、平沼氏が説明すべきだけれど、眞悟氏にも是非説明して頂きたい。
  西村氏は堂々と拒否するべきである。
  それを第一に、支持者に説明し、真正保守の最善の策を練るべきではないか。
  平沼さん、何バカなことを言っているのかって。恥ずかしいことに「橋下」が批判したというではないか。当然だ。

  私は「たちあがれ日本」が安易な妥協でその場をつなぐのが、未来を壊すことだと心配している。
  関西の「たちあがれ日本」の政治家たちは「日本一」である、それを「橋下偽維新」とどうしろというのだ。
  それだったらなぜ安倍さんと組まないのか・・・。
  私は政治の素人だから、わかるようにくわしく説明して頂きたい。

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マリオ・デル・モナコ、カムバック後のコンサートから、ヴェルディ「オテッロ」

2012年10月18日 | オペラ
Mario del Monaco "Niun mi tema" Otello


マリオ・デル・モナコが生涯をかけて歌ったヴェルディ「オテッロ」のフィナーレから【私を恐れる者はいない】をお聴き下さい。
交通事故を乗り越え、カムバックしたマリオ・デル・モナコのリサイタルから。

これはテレビから動画にしたもの、映像はともかくとして、この声、表現の素晴らしさは入神の域でしょう。


ヴェルディの後期のオペラはシェイクスピアの「オテッロ」そして「ファルスタッフ」でした。

ヴェルディの「オテッロ」はテノーレ歌手が誰でも歌えるものではなく、心理的にも深く表現され、しかも声は輝かしくドラマティックな強靭さがなくてはなりません。

「マリオ・デル・モナコ」最高の名演名唱といえましょう。
ヴェルディのこのオペラはまさにデル・モナコのために書かれたようなものと思う程です。

英雄オテッロはムーア人の血を引いており、白人の妻、デスデモナという絶世の美女と相思相愛になり、デスデモナは貴族の令嬢でありながら親の反対を押し切ってオテッロと結婚します。
そしてオテッロはさまざまな戦いに勝利し、英雄と讃えられますが、それをねたんだ配下のヤーゴが、デスデモナは若い士官カッシオを愛していると吹き込みます。

最初は相手にしなかったオテッロも、何度も繰り返し妻の裏切りを吹きこまれると、猜疑心が起こり、だんだんヤーゴの策略にはまっていき、ついに無実のデスデモナを殺してしまいます。
その後、デスデモナの無実を知り、オテッロは「誰も私を恐れる者はいない」と、妻の殺害を深く悔やみ、短剣で自殺します。

今までオテッロ陥落をもくろむヤーゴに翻弄されていたオテッロが「勝った」のはこの時でした。
信じあっていた夫婦の間を裂くようなたくらみをした配下のヤーゴ、こともあろうに英雄がそれをだんだん信じ込み、破滅する。
「強さ」とは同時に「弱さ」でもあったのか・・・
しかし、その前にヤーゴは自分が完全に破れたことを知ります。

このフィナーレの歌は、猜疑から解放されたオテッロ、かけがえのないデスデモナを自分の手で殺してしまったことを悔いながら、ヴェルディの「すべてを洗い流すような天上的ピアニッシモ」で終えます。

音楽は限りなく美しく、オテッロは死後再び英雄としての名誉を回復する・・・といっても殺されたデスデモナは何と不幸な女性か!!と思ってはいけないそうで。


晩年のマリオ・デル・モナコは人工透析の為、舞台から引退し、やがてレッスンの時、この歌を歌って床に倒れ伏し、ピアニストに助け起こされたことを思い出します。
「マエストロ!ブラーヴォ!!」その場面が今も思い起こされます。
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H24/09/08 史上最強のトークバトル(題名)~西村眞悟・田母神俊雄

2012年10月18日 | 政治
H24/09/08 史上最強のトークバトル。 西村眞悟。



9月8日、私ははじめて大阪府の堺に行き、演説を聴きました。
それはその時の動画です。


H24/09/08 史上最強のトークバトル。 田母神俊雄。

爆笑が何度も・・・面白い語り口。


H24/09/08 史上最強のトークバトル。西村眞悟VS田母神俊雄。

これ、司会がしゃべりすぎ、たちあがれ塾の卒業生ということだけど・・・。


☆ 中山恭子氏の講演会で頂いたチラシを見て、さっそく行ってきた講演会の動画です。
  こうして振り返って動画を聴いてみると、細かいことがよくわかります。
  私ってあの時、やっと「堺」に着いて(乗車券は失くすし、方向音痴の為、全力集中して堺まで来て、ヘトヘトになった)
  講演が聴けたけれど、疲れきってあまり集中できていない。
  ちょうどチャイナの「反日暴動」の時でした。


  でも、今月、八尾で聴いた三宅博先生の凄い講演には到底及ばない。というのは「実践」からきている真実の声であった。
  これは今は内容が書けないのが残念・・・。
  三宅・藤井聡のコンビって明るくて、そして強烈な闘いと人情があって、激しく感動したものだったっけ。 
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