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時事問題を中心にブログを書く日々です。
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アメリカは「潘事務総長の“戦勝式典”出席は適切」・西村眞悟氏「うその上を行進」中国戦勝パレード

2015年09月02日 | 政治

★ アメリカはこんなもの、自国の国益をこうインスタントに考えているのも「アメリカ」なのかも。

「潘事務総長の“戦勝式典”出席は適切」米国務省
テレビ朝日系(ANN) 9月2日(水)11時53分配信
 中国の戦勝記念式典に国連の潘基文事務総長が出席することについて、日本政府が懸念を表明しているのに対し、アメリカの国務省は「戦争の犠牲者を敬うことは適切だ」と述べました。

 米国務省・トナー副報道官:「米国は悲劇的な戦争を戦い、命を落とした犠牲者を敬うのは適切だと考えている」
 トナー副報道官は1日の記者会見で、潘事務総長の抗日戦争勝利70年の記念式典への出席は適切だとしたうえで、「アジア各国が連帯を強め、平和と繁栄の新しい時代をもたらすことを期待する」と述べました。日本政府は「国連はあくまで中立であるべきだ」としていて、訪米した衆議院の大島理森議長も潘事務総長に日本の政府や国民が懸念を示していると伝えていました。



2015.9.2 09:55更新

【抗日70年行事】
米国務省 抗日記念式典で「未来に焦点を」 反日機運へ配慮 国連事務総長参加についてはコメントせず

 【ワシントン=加納宏幸】米国務省のトナー副報道官は1日の記者会見で、北京で3日に開かれる「抗日戦争勝利70周年記念行事」に関し、「悲劇的な戦争の多大な犠牲者に敬意を表するのは妥当なことだが、米国は未来や戦後続いた平和と繁栄、アジアとの協力に焦点を合わせている」と述べた。反日感情を高めることのないよう中国を牽制(けんせい)したとみられる。

 トナー氏は、国連の潘(パン)基文(ギムン)事務総長が式典に出席することについては「国連が決めることだ」と述べるにとどめた。潘氏の出席をめぐっては、日本政府が国連の中立性の観点から不快感を表明している。

 米政府はオバマ米大統領の代わりにボーカス駐中国大使を行事に出席させる。


★ ロシアも旧ソ連の時代と変わっていない。

「日本に25日間で勝利した」 ロシア戦勝70周年行事(朝日新聞デジタル)


 ロシア各地で2日、第2次世界大戦の戦勝70周年を祝う記念行事が開かれた。北方領土を管轄するサハリンでは、「南サハリンとクリル諸島(北方領土と千島列島のロシア側呼称)を解放した日」として、軍事パレードが行われたほか、北方領土でも献花などの式典があった。第2次大戦の結果を強調し、戦勝国であるロシアの立場を内外にアピールした。

 サハリンでのパレードには、700人以上の兵士と軍事車両24台、航空機14機が参加。午後には艦船が海上でパレードする。地元報道によると、サハリンで陸海空軍がそろってパレードするのは初めて。

 ツィリコ東部軍管区副司令官はあいさつで「8月にソ連は日本と戦争を始め、25日で勝利した。米英が4年でできなかったことだ」と強調した。





★ 西村眞悟氏の「時事通信」~日本政府はこれをしっかり読めば?

ウソの上を行進する抗日戦争勝利70周年軍事パレード
                         平成27年8月30日(日) 西村眞悟

 習近平は、権力闘争と権力の堕落腐敗、株価暴落の経済破綻現象、そして、天津の大爆発と各地の小爆発と社会不安発生の、やることなすこと無茶苦茶になってきた政権運営の渦中で、せめて、
 「(中国共産党の)抗日戦争勝利軍事パレード」だけは、豪勢にやりたいのだろう。

 しかし、我々日本人は、そのパレードの日である9月3日が近づけば近づくほど、
 それは「ウソ」だ、と繰り返し、
 我が外交は、
1.昭和20年9月2日のアメリカ戦艦ミズーリ号における降伏文書調印国は中華人民共和国ではない。
 2・また、9月3日は何もない日だ。
 その時、中国共産党軍は、延安の土の穴蔵に土蜘蛛のように潜んでいて日本と戦っていない。
 3.日本軍と戦ったのは、蒋介石の中国国民党軍であり中国共産党ではない。
 4.よって、習近平が仕組む9月3日の抗日戦勝利70周年軍事パレードは、
 何もない日の「ウソ」の上に乗ったパレードである。
 と、世界にアピールし、
 参加予定国に「ウソ」を北京にまで見物に行く暇はないと思わせる広報活動を展開すべきである。
 
 もっとも、自分の親父も含めて日本国軍人として中国国民党軍と戦った祖父の世代をもつ国の大統領がパレード見物に行くのは、勝手にさせておけばいい。
 それは、彼らの特有かつ宿痾の呪われた支那従属病であるからだ。あの国連の事務総長もそうである。
 これは、朝鮮流の身内抜擢を国連人事に持ち込んだ破廉恥な事務総長である。

 さて、
 航空自衛隊の佐藤守閣下によると、
 その軍事パレードには、女性儀仗隊が行進するらしい。
 それも、平均年齢二十歳、身長百七十八センチのすらりとした美人ばかりがミニスカートで行進するらしい。
 全員モデルのような女性だと中国紙が解説しているが、
 モデルのよう、ではなく、全員モデルなんだ。
 そのモデルを突然召集して、連日連夜訓練し、三キロの銃を構えさせて歩かせるのだから、
 彼女たちの体が悲鳴を上げているという。可哀想な話である。
 習近平は、嫁さんが女優だから、モデルに執着するのか。

 そして、九月三日、中国共産党の幹部連中は、
 目の前を行進する女性儀仗隊を眺めてヨダレをたらすというわけだ。あほらし。
 
 この共産党幹部連中は、習近平自身が先行自白しているように、堕落しきっている。
 ある抜群の美人女優が、エイズであると発表された時、
 真っ青になった共産党幹部は決して一人ではなく、十人、さらに二十人単位であったと聞いた。
 結局、独裁者は所詮独裁者である。
 中国共産党のレベルも、同じタイプの美人を集めて「喜び組」を作って外国人の気を引こうとする北朝鮮の金王朝の馬鹿らしさと同じだ。
 それに拍手する韓国と国連からの参観者は、馬鹿に見えること請け合いだ。

 次ぎに、軍事パレードであるが、
 軍事専門家の間では、どういう新兵器が新しく登場するかに関心が集まっている。
 しかし、このパレードで見せびらかす各種兵器と兵隊の使用目的は行進前からはっきりしている。

 それは、中国共産党の自己保全と覇権の確保と維持の為である。

 従って、天安門事件やチベットそしてウイグル弾圧やベトナム侵攻で明らかなように、
 中国共産党が見せびらかす兵器と兵隊は、
 
 自国の人民の殺戮と、
 少数民族殺戮、そして、周辺諸国攻撃、即ち、邪悪な目的の為に使われる。

 では、この九月三日にパレードを行う人民解放軍が天安門事件のように「攻撃対象とする人民」
 以外の中国人つまり共産党幹部とはどうゆう人種なのか。これを観誤ってはならない。
 次ぎに掲げるように、二人の先人が既に適切に教えてくれている(口語訳)。

 明治十二年、帝国陸軍将校福島安正の清国偵察報告「隣邦兵備略」
 「清国の一大弱点は公然たる賄賂の流行であり、これが百悪の根源をなしている。
 しかし、清国人はそれを少しも反省していない。
 上は皇帝、大臣より、下は一兵卒まで官品の横領、横流しを平然と行い、
 贈収賄をやらない者は一人もいない。
 これは清国のみならず古来より一貫して変わらない歴代支那の不治の病である。
 このような国は、日本がともに手を取ってゆける相手ではありえない。」

 大正二年、内田良平著「支那観」
 「相変わらず、金銭万能が支那の国民性の持病となっている。
 堂々たる政治家を自任する者にして、美辞麗句とは裏腹に振る舞いは汚れ、
 彼らの心事が巷の守銭奴と何ら変わらないのは昔のままである。」
 「少しでも多くの金銀を得ようと固執し、財宝を盗み、大甕の酒を飲み、
 美味の肉を食らおうとするほかには、何の関心ももたない。」
 「支那人は、詐欺を義務とさえ考えているようである」

 以上を総合すれば、
 邪悪な独裁帝国の主席、習近平の九月三日の抗日戦争勝利七十周年軍事パレードは、
 
 ろくでもない奴らが、
 ウソをでっち上げて、
 ろくでもない目的のために使う武器を見せびらかす、
 エログロショーをまじえた、
 ろくでもないパレードである。

 よって、近来、めずらしい見せ物、と、
 モデル行進の部分を中心にTVにて一瞥されるのも、また一興であろう。




コメント (6)
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稲村公望先生の『フーバー大統領回想録』 (その8・9・10)未定稿

2015年09月02日 | 政治

★ 「フーバー大統領回想録」ですが(その10)でいよいよ核心に触れてきました。


フーバー大統領回想録(その8)未定稿

第五の誤りは、41年の冬にルーズベルト大統領が、米国がドイツと日本に対して、宣戦をしないで戦争を始めた。
これは、数週間前の選挙の約束に全面的に違反する行為であった。1940年の大統領選の公約に違反するものであった。
ルーズベルト大統領は、ヒトラーがロシアを攻撃することを知っていて、ロシアに情報を提供もしていた。
ドイツに対する宣戦布告無き戦争を回避するべきであった。
貸与法においても、イギリスに対して、金融の方法で、武器を、そのほかの物資や、船舶を購入するとか、国際法を遵守すべきであった。
つまり、政治家道は、その事態のなかで、注意深くじっくり待つ政策をとることが必要であった。
アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治家道が失われたのが、ヒトラーがロシアを1941年に攻撃したときに、
共産ロシアを支援して、アメリカとロシアが非公然の同盟関係になったことである。
大英帝国を救うにはアメリカの軍事力が必要であるとする考え方は例え誤った理論であったにしても、どこかに消えてしまった。
ロシアを米国が支援すると言うことは、共産主義が世界に広がることであった。
ドイツとロシアの戦争に米国は巻き込まれるべきではなく、平和が持続するという最大のチャンスがあったのであるが、
それをルーズベルト大統領は、その機会を無視して捉えることができなかった。
(つづく)

フーバー大統領回想録(その9)未定稿

いよいよ、フーバーの回想録は、日本について言及を始める。第8番目の大失態として、1941年7月の日本に対する経済制裁に言及する。
圧巻である。原文は僅か五行に整理されている。太平洋での日本の戦争は、自衛の戦争だったのである。
7月の全面経済制裁は、弾を撃たない戦争であった。
戦争を仕掛けたのはアメリカのルーズベルト側であったと、フーバー元大統領は回想録にまとめて書いている。(つづく)


フーバー大統領回想録(その10)未定稿

「第八、第8番目の、ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一ヶ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。
その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった。
ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。」
念の為、回想録の原文を掲げることにしよう。上記の日本語訳は筆者による仮の訳であるから、誤解をさけるために。

「Eighth. The eighth gigantic error in Roosevelt's statesmanship was the total economic sanctions on Japan one month later, at the end of July, 1941.
The sanctions were war in every essence except shooting.
Roosevelt had been warned time and again by his own officials that such provocation would sooner or later bring reprisals of war.」


ハーバート・フーバー元大統領の回想録は続く。
第9番目の失敗が、ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したことであると書く。

Ninth. The ninth time statesmanship was wholly lost was Roosevelt's contemptuous refusal of Prime Minister Konoye's proposals for peace in the Pacific of September, 1941.
The acceptance of these proposals was prayerfully urged by both the American and British Ambassadors in Japan.


この和平の提案を受け入れられることを、日本に駐在するアメリカの大使もイギリスの大使も、双方が祈るが如く、和平提案の受け入れを促すものであった。

The terms Konoye proposed would have accomplished every American purpose except possibly return of Manchuria--and even this was thrown open to discussion.
The cynic will recall that Roosevelt was willing to provoke a great war on his flank over this remote question and then gave Manchuriato Communist Russia.


近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、交渉して議論する余地を残していた。
皮肉に考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、
しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう。

以上が、フーバー回想録に Refusal to Accept Konoye's Peace Proposals との題で記録されている。(つづく)


★ 私のブログに稲村先生の許可を得て「プレミアムメールマガジン」から『フーバー大統領の回想録』を転載しているので、まだご覧になっていらっしゃらない方は下記のリンクをクリックなさってください。


稲村先生の「フーバー大統領回想録」http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/91d88b218e1d01dc966d2d138179dd35(その1・2)
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/bff71e65cc5dc652747190e6d304ac2a
(その3)

http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/1f7dcbd75e3e208e857b3ba6a30dba9c(その4・5・6・7)



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