ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

中山成彬先生、ありがとうございます。(感涙)・・・・・・・ 追加、 歌「椰子の実」

2015年09月14日 | 政治

★ 昨日、再会した大野善也氏(元帝国海軍艦上爆撃機パイロット、現在90歳)を中山成彬先生にご紹介し、中山先生は登壇された時、大野さんを会場の皆様にご紹介して下さった。

私はあの時、中山成彬先生が大野さんとじっくりお話なさって、それで大野さんのことを即ご理解下さったことに、限りない優しさを感じて何度も頭を下げ、思わず涙が・・・でも必死にこらえた。
大野さんへの尊敬は、わが父への思いに通じる・・・同じ「レイテ」です。
至らない娘である私が今もなお、国を護って命をかけた今は亡き父へのかわらぬ感謝と尊敬、あの8月の勝兵塾の講演から、父と大野さんが私の心の中で重なった。


さっそく中山成彬先生はツイッターで、大野さんのことをお書きになっている。

中山なりあき ‏@nakayamanariaki · 9時間9時間前
大野さんの「トンボの目」を読んだ。歴史、政治、思想、文化、教育・・トンボの目のように複眼的思考で書かれたというが、さすが元操縦士、視野は広く深い。素晴らしかった日本人の国民性が戦後歪められたと切歯扼腕される。自分で大阪から車を運転して来られ、会の間中立っておられた。元気な90歳。


中山なりあき ‏@nakayamanariaki · 10時間10時間前
夕べ祝賀会で大野徳兵衛さんという大正14年生の旧軍の戦闘機乗りにお目に掛かった。台湾沖海戦、レイテ沖海戦等に参戦、何度も撃墜されながら生き残った。負傷したが、死んだ戦友に申し訳ないと恩給は貰われなかった。戦後、警察官を4年勤めた後起業し私塾も開かれた。今頂いた著書を読んでいる。


・・・中山成彬先生


★ 大野善也さんは「大野徳兵衛」というペンネームで本を書いていらっしゃる。
「トンボの目」、そして大野さんがご紹介くださった「ヘレン・ミアーズ」の本を急遽取り寄せている。




そして90歳の大野さんのお心にはいつも戦友の死を悼む憂いと悲しみがあります。
それは私たちも共有する悲しみであり、日本に命をかけて守って下さったご英霊への敬虔なる思いです。


・・・絵はBera Channelさま


椰子の実


・・・父はよくこの歌を好んで歌っていた。

コメント (6)
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杉田水脈氏出版記念パーティーにて、元日本海軍艦上爆撃機パイロットの大野善也氏と再会!! 

2015年09月14日 | 政治

昨日、大野善也氏の講演のyoutubeをUPすると書いてから、杉田水脈前衆議院議員の出版記念パーティーに出掛けた。
会場は伊丹のシティホテル、広い宴会場の両側に椅子が並べられ、そのひとつに私はほっとして腰かけた。

次に広島から中丸啓先生、千葉から西田譲先生、大阪の西野弘一先生、西村眞悟先生がいらっしゃった。
そして中山成彬先生が来られた。

しばらく会場を見ていると、あとで入ってこられたご高齢の方を見て「大野さんだ!!」と驚いた。
大野さんはじっと前方を見ておられ、私はそっと声をかけた。
8月の勝兵塾で、大野氏の講演を聴いて思わず人の前で涙を流してしまった私、そして講演中、
ペアになっていた同僚兵士を失ったところになると顔を覆われ、大野氏は涙声で言葉が止った時に私も涙を抑えることができなくなってしまった8月の講演。

大野さんは私を見て思い出して下さったようだった。
私は大野さんに席を譲ったけれど、ずっと立っていると仰って遠慮なさった。
私も立っていることにした。
杉田先生は先月同じ勝兵塾の講演で大野さんといっしょだったから、ご招待なさったのかもしれない。
杉田先生にも大野さんが来られましたよ、とお伝えした。

先生方のご挨拶が終わり、ビュッフェスタイルで料理が並べられ、乾杯となった。
もちろん大野さんのためにお料理をお皿に盛っておすすめした。
私は中山成彬先生に大野さんをご紹介、宮崎から来られたばかりの中山先生は、大野さんのお話をきいて驚いていらっしゃった。そして中山先生はなんとお優しいことか・・・。
広島の中丸先生にご紹介すると、中丸先生は緊張して名刺を渡され、しばらくお話をされてた。

(ステージでの様子はまた動画になると思う。倉山・杉田両氏の対談もニコニコチャンネルで同時中継だった。)
パーティーの様子は杉田先生がサイトにお書きになっています。(今朝発見!!)
http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8332779.html



大野さんは現在90歳の元帝国海軍艦上戦闘機パイロットである。

やがてステージで水脈チャンネルの撮影がはじまり、ゲストの先生方も登壇された。
中山成彬先生は「ここに元海軍の艦上戦闘機パイロットの大野善也さんが来られています。」
日本の為に戦ってくださったと大野さんを讃え、共にステージに上がられた。

中山先生はフロアーに戻ってからも大野さんとお話をされて、大野さんの著書やヘレン・ミアーズの本の話をされていた。
もちろん私はお料理や飲み物を運び、お食事をおすすめした。

西村眞悟先生ははやくお帰りになったが、その前に大野さんとお話をされていた。
西村先生は「今、他の原稿を書いていて≪時事通信≫が滞っている」と仰ったので私は「先生は偉大な思想家であり作家でもいらっしゃいます」とお伝えした。


8月の勝兵塾の動画が出来ていたのでUPしようとしたが、音声にピーとかなりひどい雑音で残念である。
だから次のエントリでお話の大意を書いてUPしたいと思う。

西田譲先生にはイタリアのテロリスト、赤い旅団のアントニオ・ネグリを政府が入国許可したことについて国会質疑で取り上げて下さったことを感謝し、しばらくお話をした。西田譲先生は古代ローマのお話もされたのだった。
中丸先生も西田先生も昨年三宅先生にご紹介いただいた。(私を覚えていてくださった。)
三宅先生は四国に講演でこの会にはご出席されていない。

「レイテ」の空も戦闘機で飛ばれた大野さんは私の父の戦友であると思う。
お帰りは車で、と仰るので「どなたと来られたのですか?」とお伺いすると「ひとりで車を運転してきました。」と仰る。
中山成彬先生は「鍛え方が違う」と感心されていたが大野さんは「反射神経です」と即答。
ホテルの前の駐車場までごいっしょした。

帰宅が遅くなった。そしてヴェルディの「トロヴァトーレ」からカップッチッリの歌う≪君の微笑み≫を聴いた。
聴き終わってからも、心の中で朝までその曲が繰り返し響いた。

大野さんは90歳になられても、戦死した仲間の方々を思い、今も涙される。
私はそれが耐えられない思いで「共有」してしまうのだった。

中山成彬先生は「君が代、あなたの声だったのですね、響き渡っていました。声楽家だったのですね。」って仰った。
実は「君が代」は、はじめて手加減なしで歌った。
もちろんベルカントで。喉がこの時は甲状腺手術の前のように戻ったかのようで、ホールを響かせることに怖くなかったのに気付いた。

大野さんは「トンボの目」という本をお書きになっていらっしゃる。(ペンネームは大野徳兵衛)
さっそくアマゾンで取り寄せることにした。
そして論文も送ってくださるので楽しみ。

★ カップッチッリが歌うヴェルディ「トロヴァトーレ」より≪君の微笑み≫カラヤン指揮・・・今朝の明け方まで心の中で繰り返し響いた曲。そしてアリアが素晴らしいのはもちろんだが拍手のあとからのところの迫力の展開(4分50秒から)、声の勝利だなあって思う。それに「端正な表現」を崩していない。

Il balen del suo sorriso... Qual suono! (Il Trovatore) - Piero Cappuccilli



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【次世代の党】倉山満×杉田水脈トークショー みんなで学ぼう 日本の軍閥 出版記念パーティ

2015年09月14日 | 政治

★ さっそくyoutubeを見つけましたのでUPします。

1/2【次世代の党】倉山満×杉田水脈トークショー みんなで学ぼう 日本の軍閥 出版記念パーティ

・・・ご参加の先生方も登壇された。22分から90歳になられた元海軍艦上爆撃機パイロットの大野善也氏が中山成彬先生のご紹介でトークに参加。


2/2【次世代の党】倉山満×杉田水脈トークショー みんなで学ぼう 日本の軍閥 出版記念パーティ

・・・人気の軍人は東郷平八郎が一位、二位は・・・???

・杉田水脈氏のフェイスブック
https://www.facebook.com/mio.sugita.5?fref=tl_fr_box&pnref=lhc.friends.unseen

・杉田水脈氏のサイト(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8332779.html




このエントリ、下記を追加しました。

・・・私は会場の後方の隅でそっと静かに思いを馳せていた・・・

中山成彬先生に『戦火のマエストロ』近衛秀麿先生がヨーロッパでユダヤ人を逃れさせていたお話をした。

「僕は他の事はいざ知らず、事ユダヤ人に関する限りはナチスドイツ政府のなすことは絶対に協調できない。そこで純然たる人道上の問題として、力の及ぶ限りユダヤ人の国外脱出を援助することを決意したのであった。
僕が職務上、国外旅行の比較的自由であった立場を利用して、1940年以降スイス、オランダ等の越境の危険をおかしながら出国に成功したユダヤ人の数は10家族を超えた」(近衛秀麿氏「戦火のマエストロ」)


指揮者、近衛秀麿氏は日本人ではじめて国際的な活躍をした。小澤征爾はいつも「君は2番目の日本人指揮者だ」といわれたという。日本の国歌「君が代」のオーケストラ編曲もしてそれは今に受け継がれている。

中山先生はよくご存知だった。





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