★ 民主党はやりたい放題だった。国会でのありさまを語る西田議員。
【西田昌司】憲法九条の真実、安保法制採決の混迷を機に振り返る[桜H27/9/18]
自分の国を自分で護るのは当然、しかし今までそれを政府が避けてきた。
現憲法は占領を前提、自衛権すら放棄するというものだった。
もう一度歴史の真実を説明すべきである。昭和27年までは「おかしい」と思っても国民は議論できなかったが、その後、砂川事件もあり議論できるようになった。
自民党の推薦した学者が「違憲だ」と言い出した。
多くの憲法学者が「違憲だ」と言うが、自衛隊は合憲であり、自然権として「自衛権」はある。
国民が学校で習わないこともあり、何も知らされていない。
独立国として、アメリカとも対等に付き合うにはどうすればいいか、
多くの国民に理解して頂きたい。(大要)
・・・昨年、グアムの英霊に祈りを捧げる三宅博・平沼赳夫・高市早苗各氏
ところで、次の話題、平沼赳夫氏の自民党復党問題について。
西田昌司議員も平沼赳夫先生を尊敬、平沼先生のところに日参されて復党を促されていたが、平沼先生は筋を通すお方だった。
昨年末の選挙で西田先生に「次世代の党」についてお願いしたが、西田先生も心配されていた。
三宅先生と西田先生は盟友であった。「たまたま党が違うだけ」の仲だった。
それがなぜ今、復党か、平沼先生は入院中なので理由を表明することができない事情がある。
私なりにそれを考えてみた。
以前、毎日コメントも書いていたあるブログを久しぶりに拝見した。
そのご年配らしい管理人のブログに行かなくなった理由は、批判はいいがあまりにも尊大さが目についたからであった。
確かにストレートにお書きだが、その表現は他に厳しく、ご自身がどれほど関わったのかはかかれていない。
いわば始終「上から目線」、書き方が私の考えにあわなかっただけであるが。
そこには「次世代の党」について、あれはなんだったのか、と書かれていた。
私はその不遜な書き方に怒りを覚えたが、こんな冷たい書き方しかできない人には説明しても無駄だろう、
「犠牲の精神」は理解できないだろうと思った。
きっとあまりご存知ないのだ、でもこの党の正義とその後の苦しみは尊重してもらいたい。
マスコミは絶対に取り上げることがなかった「次世代の党」。
命をかけた党だった。私はどんな壊滅状態であってもボランティアに行き、強く支持した。
他に行くところもないし、他では精神的に満足できないからである。
自慢じゃないが、選挙は下手であった。それも私にとっては離れる理由にはならなかった。
三月に東京に行ったとき、会場で平沼先生にお会いして「仁徳のある平沼先生あってこそです」とご挨拶した。
漢・平沼先生の人間性に私は魅了されていた。世間の冷淡さの中にあっても毅然として、風格があった。
ところで「次世代の党」平沼赳夫党首が自民党に復党と新聞に出ているが、平沼党首は入院中であり次の和田議員のツイートを参照していただきたい。(和田議員のツイートで知ったので・・・追加しました。)
和田 政宗 @wadamasamune · 9月19日
我が党の平沼赳夫党首についての報道ですが、連休明けの両院議員総会後に党として詳細をコメントします。
決して党を見捨てる方ではなく、事情があります。速やかに詳細を明らかにできずに申し訳ありません。
何卒お察しください。私はもちろん引き続き次世代の党幹事長として党を引っ張ってまいります。
平沼氏は、他を見捨てて自分だけよければいいとする人ではない。
「郵政民営化」に反対して党を出ざるを得なかったこと、刺客をたてられたこと、そして無所属で自民党候補に勝ってきたこと、「たちあがれ日本」をたちあげたこと。
やがて「維新の会」で橋下氏と合流を決めた時、何度もテーブルをひっくり返そうとした怒りをこらえて、後輩を通すために我慢に我慢を重ねたこと。(これは平沼先生が初めて節を曲げられたこと、これもご自身のためではなかった。また言い訳をなさらないことが、誤解を招いたことにもなったが、そこがまた私には魅力であった。)
私は岡山の津山まで平沼氏を追いかけてお会いした。平沼先生は「あの時(橋下氏との京都での対談)は腹がたってね・・・と言われ、はっとして沈黙された。その時、瞬時に平沼先生がいかに犠牲を払っていらっしゃったかを察した。)
また自民党の西田昌司議員は、麻生氏に平沼氏自民党復帰を願い出て実現しそうな時も、平沼氏は筋を通した。
「郵政民営化」に反対し自民党を出された議員を全部自民党に返してから、それらの議員の再出発を祝った会で脳梗塞で倒れられた経過がある。
(ご自身は自民党の幹部が「踏み絵」を要求してきたことに諾とせず、筋を通され、たったひとり無所属のまま残られた。)
そして同志と「平沼グループ」をつくられた。
次に「たちあがれ日本」であった。筋は通してきている。
「維新の会」と合流では<泥をかぶる覚悟>でぜひ国会に出さなくてはならない政治家の為に、はじめて説を曲げられたように思う。
言い訳をしない男気のある政治家であり、この時は支持者からの誤解も多く受けたが、国会が開かれてから「次世代の党」の三宅博・中山成彬その他の堂々とした国会質疑は今までにないものであったことを忘れてはならない。
そして退院されて無理に無理を重ねられて、今再び入院されている。
私は旧「たち日」から「次世代の党」現在まで支持しているが、これで心が動くことはない。
反日勢力の共産党の志位委員長が民主党・社民党などと「野党再編」を呼び掛けている。
保守も「再編」すべきである、と個人的に思っている。
「自民党」の反日議員が出ていくべきであろう。
亀井静香氏はどうするのかわからない。亀井氏の功績は「国民新党」が「民主党」と連携し、
民主党が強くすすめる「外国人参政権」「人権擁護法案」を内部から阻止したことである。
今はここまで。
★ 文中「平沼赳夫党首」と書いたのは九月末まで党首、十月から中山恭子氏が党首になる。
★ ある方よりこのような暖かいメッセージを頂いた。
記憶に残したい政治家
ベッラさん、
ご無沙汰しておりますが、私は何時もあなた様のブログは拝読しています。
皆様のコメントを目をさらにして読んでいます、
いずれ近い内にお邪魔して再びコメントさせて頂きたいと思います。
Мさんのブログであなた様の辛い胸の内を拝見しました、
たとえ平沼さんが自民党へ復党しようと私の平沼さんへの信頼感は変わりません。
小さな次世代の党で苦労した人です、身体も健康では有りません、
いろいろな葛藤が有った政治家生活です、最後は長年住み慣れた自民党で、
過ごさせてあげるのも良いではないかと考えています。
反発する人も多いかと思いますが、平沼さんを受け入れてくれる自民党の
懐の深さに感銘を受けております、これこそ平沼さんの人徳です。
非常識な恫喝、乱闘劇場を見ただけに、受け入れてくれる自民党に感謝し、
古巣へ帰る平沼さんを (武士・もののふ) 暖かく見送りたいと思います。
次世代の党は、必ずよみがえります。