ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

杉田水脈氏出版記念パーティーにて、元日本海軍艦上爆撃機パイロットの大野善也氏と再会!! 

2015年09月14日 | 政治

昨日、大野善也氏の講演のyoutubeをUPすると書いてから、杉田水脈前衆議院議員の出版記念パーティーに出掛けた。
会場は伊丹のシティホテル、広い宴会場の両側に椅子が並べられ、そのひとつに私はほっとして腰かけた。

次に広島から中丸啓先生、千葉から西田譲先生、大阪の西野弘一先生、西村眞悟先生がいらっしゃった。
そして中山成彬先生が来られた。

しばらく会場を見ていると、あとで入ってこられたご高齢の方を見て「大野さんだ!!」と驚いた。
大野さんはじっと前方を見ておられ、私はそっと声をかけた。
8月の勝兵塾で、大野氏の講演を聴いて思わず人の前で涙を流してしまった私、そして講演中、
ペアになっていた同僚兵士を失ったところになると顔を覆われ、大野氏は涙声で言葉が止った時に私も涙を抑えることができなくなってしまった8月の講演。

大野さんは私を見て思い出して下さったようだった。
私は大野さんに席を譲ったけれど、ずっと立っていると仰って遠慮なさった。
私も立っていることにした。
杉田先生は先月同じ勝兵塾の講演で大野さんといっしょだったから、ご招待なさったのかもしれない。
杉田先生にも大野さんが来られましたよ、とお伝えした。

先生方のご挨拶が終わり、ビュッフェスタイルで料理が並べられ、乾杯となった。
もちろん大野さんのためにお料理をお皿に盛っておすすめした。
私は中山成彬先生に大野さんをご紹介、宮崎から来られたばかりの中山先生は、大野さんのお話をきいて驚いていらっしゃった。そして中山先生はなんとお優しいことか・・・。
広島の中丸先生にご紹介すると、中丸先生は緊張して名刺を渡され、しばらくお話をされてた。

(ステージでの様子はまた動画になると思う。倉山・杉田両氏の対談もニコニコチャンネルで同時中継だった。)
パーティーの様子は杉田先生がサイトにお書きになっています。(今朝発見!!)
http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8332779.html



大野さんは現在90歳の元帝国海軍艦上戦闘機パイロットである。

やがてステージで水脈チャンネルの撮影がはじまり、ゲストの先生方も登壇された。
中山成彬先生は「ここに元海軍の艦上戦闘機パイロットの大野善也さんが来られています。」
日本の為に戦ってくださったと大野さんを讃え、共にステージに上がられた。

中山先生はフロアーに戻ってからも大野さんとお話をされて、大野さんの著書やヘレン・ミアーズの本の話をされていた。
もちろん私はお料理や飲み物を運び、お食事をおすすめした。

西村眞悟先生ははやくお帰りになったが、その前に大野さんとお話をされていた。
西村先生は「今、他の原稿を書いていて≪時事通信≫が滞っている」と仰ったので私は「先生は偉大な思想家であり作家でもいらっしゃいます」とお伝えした。


8月の勝兵塾の動画が出来ていたのでUPしようとしたが、音声にピーとかなりひどい雑音で残念である。
だから次のエントリでお話の大意を書いてUPしたいと思う。

西田譲先生にはイタリアのテロリスト、赤い旅団のアントニオ・ネグリを政府が入国許可したことについて国会質疑で取り上げて下さったことを感謝し、しばらくお話をした。西田譲先生は古代ローマのお話もされたのだった。
中丸先生も西田先生も昨年三宅先生にご紹介いただいた。(私を覚えていてくださった。)
三宅先生は四国に講演でこの会にはご出席されていない。

「レイテ」の空も戦闘機で飛ばれた大野さんは私の父の戦友であると思う。
お帰りは車で、と仰るので「どなたと来られたのですか?」とお伺いすると「ひとりで車を運転してきました。」と仰る。
中山成彬先生は「鍛え方が違う」と感心されていたが大野さんは「反射神経です」と即答。
ホテルの前の駐車場までごいっしょした。

帰宅が遅くなった。そしてヴェルディの「トロヴァトーレ」からカップッチッリの歌う≪君の微笑み≫を聴いた。
聴き終わってからも、心の中で朝までその曲が繰り返し響いた。

大野さんは90歳になられても、戦死した仲間の方々を思い、今も涙される。
私はそれが耐えられない思いで「共有」してしまうのだった。

中山成彬先生は「君が代、あなたの声だったのですね、響き渡っていました。声楽家だったのですね。」って仰った。
実は「君が代」は、はじめて手加減なしで歌った。
もちろんベルカントで。喉がこの時は甲状腺手術の前のように戻ったかのようで、ホールを響かせることに怖くなかったのに気付いた。

大野さんは「トンボの目」という本をお書きになっていらっしゃる。(ペンネームは大野徳兵衛)
さっそくアマゾンで取り寄せることにした。
そして論文も送ってくださるので楽しみ。

★ カップッチッリが歌うヴェルディ「トロヴァトーレ」より≪君の微笑み≫カラヤン指揮・・・今朝の明け方まで心の中で繰り返し響いた曲。そしてアリアが素晴らしいのはもちろんだが拍手のあとからのところの迫力の展開(4分50秒から)、声の勝利だなあって思う。それに「端正な表現」を崩していない。

Il balen del suo sorriso... Qual suono! (Il Trovatore) - Piero Cappuccilli



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【次世代の党】倉山満×杉田水脈トークショー みんなで学ぼう 日本の軍閥 出版記念パーティ

2015年09月14日 | 政治

★ さっそくyoutubeを見つけましたのでUPします。

1/2【次世代の党】倉山満×杉田水脈トークショー みんなで学ぼう 日本の軍閥 出版記念パーティ

・・・ご参加の先生方も登壇された。22分から90歳になられた元海軍艦上爆撃機パイロットの大野善也氏が中山成彬先生のご紹介でトークに参加。


2/2【次世代の党】倉山満×杉田水脈トークショー みんなで学ぼう 日本の軍閥 出版記念パーティ

・・・人気の軍人は東郷平八郎が一位、二位は・・・???

・杉田水脈氏のフェイスブック
https://www.facebook.com/mio.sugita.5?fref=tl_fr_box&pnref=lhc.friends.unseen

・杉田水脈氏のサイト(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/sugitamio/archives/8332779.html




このエントリ、下記を追加しました。

・・・私は会場の後方の隅でそっと静かに思いを馳せていた・・・

中山成彬先生に『戦火のマエストロ』近衛秀麿先生がヨーロッパでユダヤ人を逃れさせていたお話をした。

「僕は他の事はいざ知らず、事ユダヤ人に関する限りはナチスドイツ政府のなすことは絶対に協調できない。そこで純然たる人道上の問題として、力の及ぶ限りユダヤ人の国外脱出を援助することを決意したのであった。
僕が職務上、国外旅行の比較的自由であった立場を利用して、1940年以降スイス、オランダ等の越境の危険をおかしながら出国に成功したユダヤ人の数は10家族を超えた」(近衛秀麿氏「戦火のマエストロ」)


指揮者、近衛秀麿氏は日本人ではじめて国際的な活躍をした。小澤征爾はいつも「君は2番目の日本人指揮者だ」といわれたという。日本の国歌「君が代」のオーケストラ編曲もしてそれは今に受け継がれている。

中山先生はよくご存知だった。





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トランプ氏発言、アメリカ人の本心か、そして勝兵塾の機関誌に書かれていたことの衝撃

2015年09月13日 | 政治

「米攻撃されても日本は助けない」トランプ氏
2015年08月26日 21時37分

 【ワシントン=小川聡】2016年米大統領選の共和党指名候補争いで支持率首位の不動産王ドナルド・トランプ氏(69)は25日、アイオワ州ダビュークで演説し、日米安全保障条約について「日本が攻撃を受けたら我々は即座に助けに行かなければならないが、米国が攻撃されても日本は我々を助ける必要はない」と不満を表明した。

 米国の外交交渉の問題点を指摘する文脈で述べたもので、「公平だろうか」とも語った。安保条約で日本は、米軍に基地を提供する義務を負っているが、トランプ氏はこの点は説明しなかった。

 安倍内閣は、日本の防衛につながる活動をする米軍などを対象にした限定的な集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法案の成立を目指している。トランプ氏が今後も同様の発言を続けた場合、米国民の間で日米同盟のあり方に対する不満が高まる可能性もある。

2015年08月26日 21時37分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

★ トランプ氏の発言だが、やはり影響は思ったより大きく、政治に素人なだけに思い切った発言が一般に受け入られてきているようにきいた。ギブ&テークのハッキリした発言だが、アメリカの今までのことには関心がないのか、アメリカの合理主義なのか。
アメリカも白人が少なくなりつつある。大きく世界の情勢が変わるだろう。
このニュース、8月後半だったが、今も気になる。

もうひとつ、気になること。

私はアパの勝兵塾を聴きにいくことがあるが、そこで渡される冊子で書かれているアパの元谷会長の考えには閉口している。

>・・・「私は真の日米友好のためには、アメリカが逃れられない原爆投下の呪縛を解いてあげなければならないと考えています。
アメリカは日本の終戦の意志を知りながら原爆を投下したいがためにそれを黙殺し、完成を待って広島と長崎に投下しました。
その理由はソ連を牽制してコミンテルンの世界赤化の勢いを削ぎ、第三次世界大戦という「熱戦」を「冷戦」に変えることでした。
日本はこのアメリカの原爆投下の真の理由をきちんと認めてあげるべきです。
原爆投下の罪悪感から自らの正当性を主張するためには「日本が悪い国だから原爆を落とされた」としなければと思い込んだアメリカは、中国が主張する南京大虐殺など東京裁判史観を日本人に刷り込み、韓国が主張する従軍慰安婦強制連行を黙認したのです。
今度の安倍首相の戦後70年談話は呪縛を解くのには最高の機会です。
原爆投下の真の理由を認めることを明言することで、日米関係を新しいステージへと向かわせることができるはずです。
こういう意見をいう人は、日本でも非常に少数なのですが(笑)」
(アパホテルの「アップルタウン9月号」から、駐日トーゴ共和国大使との対談)


しかし、保守が考えを出せるところはそんなに多くないのも確かで少々複雑な気持ちである。
元谷氏の考えに同調できないが、その会に出演して堂々と原爆問題を語る政治家の勇気と正しさはその場を乗っ取った、と激励したい。
判断は聴き手がする。

次回はそのアパの勝兵塾で現在90歳になる元海軍パイロットの大野善也氏の講演をUPする予定である。
私は前にも書いたが、不覚にもその場で大泣きしてしまった・・・。

http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/e61d94adff699f71dbd95f7578deb9df
コメント (8)
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『集団的自衛権』の歴史をヴェルディのオペラ「レニャーノの戦い」で聴く

2015年09月12日 | オペラ
  
A. Stella, F. Corelli & E.Bastianini "Act IV" La Battaglia di Legnano

・・・11分から圧巻です。

★ バスティアニー二、コレッリ、ステッラという1960年代最高のヴェルディ歌手で演奏されたヴェルディ『レニャーノの戦い』、
長いので11分からどうぞお聴きください。(patriaパートリアとは「祖国」のイタリア語)

★ 巨大な敵、赤ひげバルバロッサ(神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世)がイタリアに侵略してきたとき、イタリアの各都市国家は一丸となって戦い、ヨーロッパを制覇したバルバロッサを撃退しました。

これが歴史に名高い「ロンバルディア同盟」です。

ヴェルディの名作『レニャーノの戦い』、ミラノのスカラでの歴史的な名演です。





WIKIより『ロンバルディア同盟』のこと
ロンバルディア同盟(伊:Lega Lombarda)は、1167年12月1日に結成された北イタリア・ロンバルディア地方の26(最終的には30)の都市(クレモナ、マントヴァ、ベルガモ、ブレシア、ミラノ、ボローニャ、パドヴァ、トレヴィーゾ、ヴィチェンツァ、ヴェローナ、ローディおよびパルマ等)による軍事同盟、後には経済同盟の性格も持つ。教皇派(ゲルフ)の中心。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はロンカリアでの議会で北イタリア支配を要求し、1158年と1166年に北イタリアに侵攻した。これに対抗するため、ミラノを中心としたロンバルディアの都市はローマ教皇アレクサンデル3世の支持を得て軍事同盟を結成した。

1176年5月29日のレニャーノの戦いでフリードリヒ1世を破り、1183年にコンスタンツ条約で皇帝の権威を認める代わりに都市の自治を承認された。この後、同盟は1198年と1208年に更新されている。

1226年にフリードリヒ2世が北イタリア支配を目指して侵攻してくると、同盟は再びこれに対抗した。1288年、第6回十字軍(破門十字軍、1228年 - 1229年)。

1237年のコルテヌオーヴァの戦い(イタリア語版、フランス語版、英語版)で敗れたが、フリードリヒ2世はミラノに対して無条件の降服を要求したため、ミラノは他の5都市と連合して徹底抗戦を続け、結局、フリードリヒ2世はブレーシアの包囲を解いて撤退しなければならなかった。

その後もロンバルディア同盟は教皇の支持を得てフリードリヒ2世と対抗したが、1250年にフリードリヒ2世が亡くなると同盟も解散した。




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稲村公望先生の『フーバー大統領回想録』 (その11・12・13)未定稿

2015年09月11日 | 政治

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フーバー大統領回想録(その11)未定稿

近衛文麿は、昭和20年12月16日未明に自決したときの「遺書」に、「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。
これに対して深く責任を感じておるが、いはゆる戦争犯罪人として米国の法廷に置いて裁判を受けることは堪へ難いことである。
殊に僕は支那事変に責任をかんずればこそ、此事件解決を最大の使命とした。
そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にある徒の結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。
その米国から今犯罪人として使命を受ける事は、誠に残念に思ふ。しかし、僕の志は知る人ぞ知る。
僕は米国に於てさへそこに多少の知己が在することを確信する。
戦争に伴ふ興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に基づく流言飛語と是等輿論なるものも、
いつか冷静さを取り戻し、正常に伏するときも来やう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されやう。」と書いた。
Tenth.
The tenth loss of statesmanship was the refusal to accept the proposals which his Ambassador informed him came from the Emperor of Japan for a three months' stand still agreement in November, 1941.
Our military officials strongly urged it on Roosevelt. Japan was then alarmed that Russia might defeat her ally, Hitler.
Ninety days' delay would have taken all the starch out of Japan and kept war out of the Pacific.
As the Stimson diary disclosed, Roosevelt and his officials were searching for a method to stimulate an overt act from Japanese.
Then Hull issued his foolish ultimatum and were defeated at Pearl Harbor.
The train of losses and this Japanese victory in the Japanese occupation of all South Asia were incalculable.
Further, with loss of sea control , Hitler and Togo were able to destroy our shipping in sight of our own shores.

最後のTogoは、文脈からして、Tojoのミスプリと思われるが、回想録の内容としては極めて重要な内容である。
(つづく)


フーバー大統領回想録(その12)未定稿

フーバーの回想録は、昭和16年の11月に, 天皇陛下が3ヶ月間のスタンドスティル、すなわち冷却期間をおこうとの提案を、
駐日の米国大使を通じてされたが、ルーズベルトはこの提案をも拒否したと書いている。
米国の軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルーズベルト大統領に促している。
当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。
九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本から全ての糊の部分を取り去ることになって、太平洋で戦争する必要を無くしたに違いない。
スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。
だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾で負けたのだ。
損害がどんどん発生して、南アジアでの日本の占領で日本が勝利することは、計算できなかったのだ。
更には、制海権を失って、ヒトラーと東条が、米国の海岸が見えるところで、アメリカの船舶を破壊することができるようになったのである。
(つづく)


フーバー大統領回想録(その13)未定稿

フーバー回想録の原本の879ページに掲載されている。
昭和16年の11月の土壇場で、三ヶ月の冷却期間の提案が日本から行われたとの記述がある。
上記の翻訳は筆者の訳であるので、万一間違いもある可能性があるが、例えば、taken all the starch out of Japan のスターチとは何かよくわからない。
慣用句であろう。英語と翻訳の専門家のご意見を頂戴したい。
徳富蘇峰は、昭和17年3月8日東京日日新聞に「日本が七重の膝を八重に折って、
提携を迫るも、昨年(昭和十六年)8月近衛首相が直接協商の為に洋上にて出会せんことを促しても、まじめに返事さへ呉れない程であった。
而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を作って蜘蛛が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。
而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我をして已むに已まれずして立つに至らしめたのだ。」と書いているが、
ようやく、フーバー大統領の回想録が、70年の時間が経って、徳富蘇峰のその言論がアメリカ側からも裏付けられたと感じる次第である。
(つづく)

★ 私のブログに稲村先生の許可を得て「プレミアムメールマガジン」から『フーバー大統領の回想録』を転載しているので、まだご覧になっていらっしゃらない方は下記のリンクをクリックなさってください。


稲村先生の「フーバー大統領回想録」
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/91d88b218e1d01dc966d2d138179dd35(その1・2)

http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/bff71e65cc5dc652747190e6d304ac2a(その3)

http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/1f7dcbd75e3e208e857b3ba6a30dba9c(その4・5・6・7)

http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/0e10bb174289bbdeaedf9687203f1c44(その8・9・10)



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