その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

村上春樹さんが書くロンドン音楽会事情

2012-03-21 00:48:26 | 
 先週末から、村上春樹さんの『意味がなければスイングはない』というエッセイを読んでいます。感想はまた読み終わったら書きますが、その本の中で、村上さんがロンドンの音楽会事情を書いているところがあって、これがまた印象的でしたので、ちょっとご紹介してみたいと思います。村上さんは、1988年の春に1か月ぐらいロンドンでアパートメントを借りて暮らしていたそうです。

「ロンドンという都市は、何はともあれクラシック音楽を聴くには理想的な場所である。選択肢が充実していて、毎日毎日どこかしらで聴く価値のある演奏会が開かれている。もちろんニューヨークだってそれは同じで、たくさんの演奏会場があり、世界各国からやってきた有名な音楽家の演奏会が目白押しになっているわけだが、マンハッタンの真ん中にいると、クラシック音楽のコンサートに行こうという気持ちがあまりわいてこない。もちろん、これは僕だけの、個人的な感じ方にすぎないのかもしれない。でも常に前のめりになって動いているような、ニューヨークの街の刺激的な雰囲気に比べると、ロンドンには「何があっても、とくに動じない」的なたたずまいがある。そしてそういう空気を日常的に吸っていると、とりあえず散歩がてら(というか)コンサートに足を運びたくなってくるのだ。

 コンサート・ホールで目にする客層も、ロンドンとニューヨークでは色合いがかなり異なっているような気がする。ニューヨークの聴衆は、ロンドンの聴衆に比べると、なんとなく知的にとんがっているところがある。がんばっているというか、眉間にいくぶんしわがよっている。ロンドンの聴衆は、もう少しリラックスしている。どことなく「しょせん昨日の続きが今日で、今日の続きが明日だから・・・・・・・」みたいな雰囲気がある。同じプログラムを聴いていても、ニューヨークとロンドンでは音の響き方が違うし、お互いの―――というのは演奏者と聴衆のことだが―――肩の力の抜け具合も違ってるような気がする。

 フランスやイタリアの都市も音楽を聴くことにかけては、もちろんロンドンに劣らず素晴らしい環境ではある。しかし惜しむらくは機能的にいささか不便なところがある。・・・・(後略)・・・」(文庫本pp259-260)

 そうなんです。その通りなんです。ロンドン以外の海外の都市に住んだことがないけど、遊びで10日ほど学生時代に滞在したニューヨークとの比較も全くもって私が感じた感覚そのままだったので、思わず笑ってしまいました。この「自然体」なところが、ロンドンの空気そのもので、私のロンドンが好きな大きな理由の一つだと思ってます。

 多くの人が読んでいるであろう本なので、改めて紹介するまでもないかもしれませんが、膝を打つというのはこういうことだと思うほどでしたので、軽く紹介させていただきました。
コメント (2)
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