西洋の視点・視座から世界史を捉える手法から、アジアを基点に世界史を捉える見方への抜本的な修正を訴える意欲的な歴史概説書である。歴史学的な正しさは素人の私には分からないが、本書を読んで、新たな歴史の捉え方を知り、見方を変えることで知っていたはずの世界史が随分と違った世界に見えたことはとても新鮮だった。
20頁にもわたる「はじめに」は筆者の気合に満ち溢れている。私でも知っている西洋史・イギリス史の大家である川北稔氏までもが、批判の俎上に上がっていてびっくり仰天だった。読み進めると、全く忖度しない文章は気持ちが良いが、トンデモ本ではないのか、と思わせるところもある。
いくつか本書の記載と私のナイーブな反応の具体例を挙げると、
・シルクロードは東西をはるかにつないだ道というよりは、各地の北の遊牧と南の農耕の境界で生じた小取引(マーケット)・街が東西に連鎖展開したとみるべきである。遊牧・農耕・商業の三要素が交錯するところからアジア史は始まる。(PP42‐44) <私:これは納得。なるほど>
・ギリシャ・ローマもオリエントの外縁拡大の産物にほかならない。フェニキア・ギリシャ・およびその拡大であるローマ・カルタゴが一体となったのが、ローマ帝国であり、いわゆる地中海文明とはオリエントの一部であるシリアの拡大としてとらえるのが正当である。(PP55‐56) <私:ホントですか!?初めて聞いたわ!>
・なので、ギリシャ・ローマも独立の文明ではなくオリエントの文明の延長であり、地中海文明・ローマ帝国をヨーロッパの祖先としてとらえるのも、誤解である。もっともそうした誤解が欧州のアイデンティティとなり、以後の歴史を動かし、現代世界の礎になっている事実は、当時の客観的な史実とは別に認めなくてはいけない」(PP55‐56) <私:誤解が歴史を動かしてきたって、ちょっと言い過ぎてない?>
・(7世紀のイスラームの地中海席捲について)ローマの内海だった地中海がムスリムに奪われたとみなすのは西欧中心史観であり、歴史的にはシリアと地中海は不可分であり、ギリシャ・ローマもフェニキア・シリアが拡大してできたものだから、元来はオリエントの一部であった。それがアレクサンドロス死去以後、シリア以西が東のペルシャとたもとを分かったので、いわゆる地中海世界も分立した。だとすれば、イスラームの地中海制覇とは、地中海世界がようやく東のオリエントに回帰し、分かれていた東西が統合したことを意味する。千年の間、分立と拡大を続けたオリエントがイスラームのもと、再統一を果たした事象として見た方が良い。(p83) <私:むむむ、そうくるのか・・・>
・オリエント・地中海の先進的な都市文明を「ルネサンス」で濾過して、農村ベース・封建制のキリスト教=ヨーロッパに伝播した。そうした視角からすれば、フリードリヒ大帝以前のシチリア、あるいはルネサンス期のイタリアの都市国家は、規模こそ異なっても、中央アジアのオアシス国家と似ている。(中略)…中央アジアがイスラームの西アジアと非モスリムの東アジアをむすびつける役割を果たしたように、イタリアはオリエントとヨーロッパを結合させた。(中略)・・・・地中海史はルネサンス以後、名実ともに西洋史となった。そして、地中海がオリエントからヨーロッパに転換したその時、地中海とイタリアが占めた世界史的な役割は、終焉を迎えようとしていた。大航海時代である。(PP203‐204)<私:ここで「普通の」西洋史に帰着するのか・・・。(´▽`) ホッ>
専門家(筆者も大学の史学の先生だから立派な専門家だが)が読めば突っ込みどころは満載なのだろうけど、専門家でない人(少なくとも私)にはその視点の新しさが刺激的だ。首をひねりつつ、唸り、疑心暗鬼になりながらも、読み進めることができたのは、筆者の暑い思いが本書に宿っていて、それに引っ張られたからだと思う。
《目次》
はじめに 日本人の世界史を
第1章 アジア史と古代文明
第2章 流動化の世紀
第3章 近世アジアの形成
第4章 西洋近代
おわりに 日本史と世界史の展望