★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

何かが足りない

2023年05月12日 21時14分51秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキング途上、ブランチで頻繁に利用する牛丼御三家。
 先日、その中の吉野家とすき家で、同じミステイクに遭遇した。
 二日連続で、同じミステイクが続いたので記憶に残っている。

 どちらの店でもメインの牛丼は頼まず、朝定食をオーダーするのが常だ。
 牛丼単品よりおかずの品数が多いし、栄養バランスもよく、値段も安い。

 吉野家で注文した朝定食の内容は、ご飯、味噌汁、納豆、牛小鉢、野菜サラダで、それにサイドのねぎ玉子を追加だ。
 すき家のそれは、ご飯、味噌汁、納豆、生卵、味付け海苔、ひじき小鉢で、サイドの青ネギを追加だ。

 両店の定食とも食べ始めてから、違和感に気づいた。
 何かが足りない。
 吉野家の朝定食はサラダが、すき家のそれはひじき小鉢が抜けていたのだ。

 どちらもサイドを追加したので、トレイの上は満載だった。
 たぶん、それでデフォルトのサラダやひじき小鉢を載せ忘れたのだろう。
 店員はどちらもアルバイトらしい若い子だ。

 ここでクレーマーだったら、こう言っただろう。
「ねえちゃん、サラダ(ひじき小鉢)がついてないで。それで同じ値段やったら、詐欺みたいなもんやないか」

 しかし紳士たる私は、静かに店員を呼んで、メニューやタブレットの写真や画像を見せ、これが抜けてるで、と優しく指摘した。

 客にしたら、客と店員は1 対 1だが、店員にしてみたら1 対 n の関係だ。
 nの値、すなわち客の数が多いほど、店員の客に対する意識は分散される。

 そんな時には、誰だってミスはするものだ。
 ましてや、慣れないアルバイトだ。
 ささいなミスなど笑って許す度量を持ちたいものだ。
 
 

ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに磨きがかかってきた。しかしそのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがある。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
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王将と天下一品

2023年05月12日 19時56分40秒 | 徒然(つれづれ)
 大学時代を京都で過ごした私の、当時の生活シーンと切っても切り離せないのが、餃子の王将とラーメンの天下一品だ。
 クラブの先輩に教えてもらって初めて行って以来、老境に入った現在でも、王将は週イチ、天下一品は2ヵ月に1回は通っている。

 私が入学した1973年当時、王将は京都市内に数えるほどの店舗展開で、今でこそ大谷と藤浪の差くらいの珉珉といい勝負だった。
 天下一品に至っては、まだ実店舗さえなく、屋台にビニールシート張りの簡素な仮設店舗だった。

 どちらも貧乏学生や肉体労働者向けで、味はそこそこで、値段も安かったが、店内はお世辞にも清潔とは言い難かった。
 女子供は決して足を踏み入れることはなかった。
 当時は、新興居酒屋と同様、一時の流行りで、これほど長く生き残るとは思いもしなかった。

 それが今や全国にチェーン展開する、片や中華料理界、片やラーメン界を代表するビッグカンパニーだ。
 店内も明るく清潔感に溢れ、若い女性や家族連れも抵抗なく入れる。
 あの頃からは想像もできないくらいの成長ぶりだ。

 初心忘るべからずなのか、両社とも昔とほとんど料理の味が変わっていない。
 継続は力なりということか。

 そんな両社にその創世期から通っている、というのが私のプチ自慢だ。


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最後の晩餐

2023年05月12日 12時50分03秒 | 徒然(つれづれ)
 私が最後の晩餐に決めているのは、王将の餃子とコカコーラだ。
 しかし、よくよく考えると、最後の晩餐を実際に食べられる人間が、果たしてどれくらいいるだろうか。

 大病を患った末に死ぬとしたら、たぶん、食事もできないくらいに衰弱しているだろう。
 病気にせよ、事故にせよ、突然死の場合は、それが予期できないので、最後の晩餐にはありつけないだろう。
 老衰や認知症の場合は、最後の晩餐のこと自体を忘れているだろう。

 可能性としては、自殺の場合か。
 しかし、自殺しようと考えている人間が、最後の晩餐のことまで気がまわるだろうか。
 稀には、最後の晩餐を食べてから自殺しようという、変わったメンタルの人間がいるかもしれない。

 あと、思いつくのは、突如現れた彗星が、地球に衝突することが避けられないケースだ。
 その場合は、地球最後の日が予めわかるので、達観した人間は最後の晩餐を摂るだろう。
 しかし、そのケースが起こる確率は、ほぼゼロに近い。

 とすると、最後の晩餐を食べられるのは、先に述べた、変わった思考の自殺者くらいだろう。
 だとすれば、最後の晩餐を話題にすること自体、無意味なことだ。

 まだ、宝くじに当たったら、という話題のほうが、確率的には高いかもしれない。
 逆に言えば、毎日の晩餐を最後の晩餐と考えて、日々を過ごすしかない。
 

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