妻の実家の滋賀県日野町に行ってきました。
毎年5月3日には、馬見岡綿向神社の祭り「日野祭」が行われています。
綿向神社には、各町内から繰り出された曳山が集結し、それぞれお囃子を奏でていました。
この曳山江戸時代の中期から末期にかけて作られた物で、かけられている見送りや
彫刻などなかなか見事なものがあります。
町内には16基の曳山があるそうですが、この小さな町でこれだけのことができたというのも、近江商人の財力のすごさを物語っています。
ほぼ毎年来ているこの祭りで、今年大きな変化があったのは・・
本殿にお参りする人の長蛇の列。
今までには見られなかった現象です。これも人々の生活の苦しさの反映なのでしょうか。
祭りに繰り出される御輿。3基の御輿が町内を練り歩きます。
おもしろいのが、御輿の担ぎ手の服装
若い女性が着るような、ピンクや赤の襦袢?を重ねて着て、その上から半被を羽織ります。それに地下足袋とねじりはちまき。
子ども達も派手に着飾ります。ただし、すべて男の子です。
初めて日野祭りをみた頃、この服装はなんとも奇妙に見えましたが、今ではすっかり慣れ何の違和感も感じません。
妻の実家の町内も隔年で曳山を担当する「山番」と御輿を担ぐ「御輿番」をしなければなりません。数年前までは妻の弟が、今は大学生の甥が頑張っています。
日野の町を歩いてみました。
曳山や御輿が通る道の両側の家々にはこの「桟敷窓」が作られています。
ここでお客さんをもてなしながら、祭り見物をしてもらうのです。
何とも贅沢ですね。
ちょっと上に上がらせていただいていたら、お稚児さんの行列がやってきました。
こんな感じで眺めるのでしょう。
この桟敷窓、ここ数年テレビなどで紹介されてから数も増えたように思います。
もう一つ日野祭の最近の楽しみは
古い街並みを生かした「桟敷窓アート」
昔の民家を使って、地元の工芸作家の作品展を開いています。
織り、陶芸、染め、木工、漆・・・など見応えのある作品をいろいろ見て回りました。
その中の一つ、蔵を利用した展示場では
日野椀の展示をしていました。
この日野椀、昔はたくさん作られ、近江商人の主力商品だったようですが、江戸末期には製造が途絶えていました。
それを「日野椀復興の会」の木工家北川高次さんが復活させたのです。
素朴な椀ですが、普段使いができるようMR漆を使い大変丈夫に作られていました。
毎年5月3日には、馬見岡綿向神社の祭り「日野祭」が行われています。
綿向神社には、各町内から繰り出された曳山が集結し、それぞれお囃子を奏でていました。
この曳山江戸時代の中期から末期にかけて作られた物で、かけられている見送りや
彫刻などなかなか見事なものがあります。
町内には16基の曳山があるそうですが、この小さな町でこれだけのことができたというのも、近江商人の財力のすごさを物語っています。
ほぼ毎年来ているこの祭りで、今年大きな変化があったのは・・
本殿にお参りする人の長蛇の列。
今までには見られなかった現象です。これも人々の生活の苦しさの反映なのでしょうか。
祭りに繰り出される御輿。3基の御輿が町内を練り歩きます。
おもしろいのが、御輿の担ぎ手の服装
若い女性が着るような、ピンクや赤の襦袢?を重ねて着て、その上から半被を羽織ります。それに地下足袋とねじりはちまき。
子ども達も派手に着飾ります。ただし、すべて男の子です。
初めて日野祭りをみた頃、この服装はなんとも奇妙に見えましたが、今ではすっかり慣れ何の違和感も感じません。
妻の実家の町内も隔年で曳山を担当する「山番」と御輿を担ぐ「御輿番」をしなければなりません。数年前までは妻の弟が、今は大学生の甥が頑張っています。
日野の町を歩いてみました。
曳山や御輿が通る道の両側の家々にはこの「桟敷窓」が作られています。
ここでお客さんをもてなしながら、祭り見物をしてもらうのです。
何とも贅沢ですね。
ちょっと上に上がらせていただいていたら、お稚児さんの行列がやってきました。
こんな感じで眺めるのでしょう。
この桟敷窓、ここ数年テレビなどで紹介されてから数も増えたように思います。
もう一つ日野祭の最近の楽しみは
古い街並みを生かした「桟敷窓アート」
昔の民家を使って、地元の工芸作家の作品展を開いています。
織り、陶芸、染め、木工、漆・・・など見応えのある作品をいろいろ見て回りました。
その中の一つ、蔵を利用した展示場では
日野椀の展示をしていました。
この日野椀、昔はたくさん作られ、近江商人の主力商品だったようですが、江戸末期には製造が途絶えていました。
それを「日野椀復興の会」の木工家北川高次さんが復活させたのです。
素朴な椀ですが、普段使いができるようMR漆を使い大変丈夫に作られていました。