なんのために。
なんのために、合気道をならうのだろう。
転んだり襲われたときに身を守るため。礼儀を身につけるため。学校以外の人間関係を作るため。自分に自信が持てるように。
なんのためにピアノを習うんだろう。
音符が読める方が世界が広がる。なにか楽器を弾く時の基礎になる。根気よく続ける習慣がつく。
なんのためにわざわざ義足を長めにするのだろう。
将来大人になったときに、少しでもいろんな可能性をのこすため。年齢が若いうちの方が身体適応能力が高いから、筋肉が履いている義足に合わせてついてくることを期待するため。早めに大人用の部品を使うため。
なんのために習字を習うのだろう。
字が綺麗になると、人生のいろんな場面でいいことがあるように思うため。一生の趣味にも。
なんのために学校へいくのだろう。
集団生活の中での行動の仕方を学ぶため。集団の自分を生かせる方法を見つけ出すため。
なんのために勉強をするんだろう。
将来の就職の選択肢を増やすため。基本的な個人や家族の権利を守るためにも、ある程度までの教養は必要であり、それにつながる基礎知識だから。
なんのために家族っているんだろう。
家族の長いスパンでの幸せを一緒に考えながら、支え合い、助け合い、影響しあい。自己受容の場であり、基本的な生活習慣や礼儀、価値観などを子供たちが学ぶ場。育ちは人を大きく変えると私は思う。
なんのために。
ふと考えてみた。
皆さんはどう思いますか。
版画作品
お姉ちゃんの小学四年生の作品。
リコーダーを吹く姿を写真に撮って下書きをして、彫刻刀で版画作品を創ったものです。
なかなか細かく彫れていますね。
先生からも「そっくり!」とことコメントで褒めてもらっていて、いい出来栄えだったようです。あまり言わなかったけど嬉しかったみたい。そりゃ嬉しいですよね。
笛を持つ手はやはりむつかしいですね。写真を見ながらでもこのアングルだとデッサン難易度高そうです。
良く描けてるほうかな。(^^;;
しかし彫刻刀の使い方。
性格が出ますね。結構几帳面で根気もあるのかも。上手に彫れていますね。
爪一つ一つまで丁寧に。目なんかも丸く見えるようにしながら掘る方向を同じにするあたり、こだわりが感じられますね。
子供達の性格
昨日、手際のことを書いた。
昨日、手際のことを書いた。
どうやらお姉ちゃんは 今のところ見る限り、そんなに要領がいい方ではなさそうだ。
ちなみに、妹さんは憎たらしいくらいに手際がいい。要領も素晴らしい。
お姉ちゃんが言われているのをよく聞いていて、自分が言われてもいないのにやってみせる。お姉ちゃんは聞き流してるのに。(^^;;
さらには、アピールしてくる。(^^;;
なんというか。
もしかしたらそういうところは、お姉ちゃんはママに、妹さんは私に似ているのかもしれない。
ママとお姉ちゃんはのんびり屋さん。ぼーっとするのが好き。なんだか普段はそうでもないのに、たまにこだわり出すとすごい力を発揮する。
私と妹さんはたぶんせっかちかな。いつも次々になにかをやりたがる。じっとしていられない。
ちなみに、妹さんは憎たらしいくらいに手際がいい。要領も素晴らしい。
お姉ちゃんが言われているのをよく聞いていて、自分が言われてもいないのにやってみせる。お姉ちゃんは聞き流してるのに。(^^;;
さらには、アピールしてくる。(^^;;
なんというか。
もしかしたらそういうところは、お姉ちゃんはママに、妹さんは私に似ているのかもしれない。
ママとお姉ちゃんはのんびり屋さん。ぼーっとするのが好き。なんだか普段はそうでもないのに、たまにこだわり出すとすごい力を発揮する。
私と妹さんはたぶんせっかちかな。いつも次々になにかをやりたがる。じっとしていられない。
それでいてネガティヴなところはお姉ちゃんは私に似ていて、ポジティブなところは妻と妹さんは似ている。
子供達の性格。
私たち夫婦の性格を部分的にわかりやすく引き継いでいる感じがして面白い。
だからして、相手によって私が話した方がいい場合とママが話した方が効果的な場合があるね。
似ている場合はいいんだけれども、ママにの場合には(^^;;。
対処方法がわからなかったり。
難しいわ。(^^;;
しかし。
お姉ちゃんがのんびり屋さんなのは、少し心配。周りでフォローしてくれる人がいるうちはいいけども、ノーフォローだときついだろうな。
周りを大切にする気持ちと、備える大切さを学ばせなきゃね。
失敗は 学びのいい機会とよく言う。
今のうちにある程度、失敗する体験をさせないといけないね。
あんまりフォローしすぎないようにして、よく気をつけてみてあげながら。
なんだか
そうして子供達の性格を見ながら考えていると、自分や妻にも当てはまるなと思うことがあることを発見したりすることもある。
子育ては親育て。
たくさんの学びがあるものですね。
はい。
早め早めに
お姉ちゃんに小さい頃から、何度言い聞かせただろう。何をするのにも「早め早めに」。
たぶん数え切れない。
性格なのか、お姉ちゃんはのんびり。
本気になると早いけど、普段はあまり急がない。ギリギリでも平気。少し遅刻してもあまり苦にしてない。
義足を履いている娘さん。
将来のため、やはりいろんなことは「早め早めに」しておかないと、いつかどこかで致命的な失敗をするのではないか。
親は取り越し苦労をするものだ。
たぶん言われる方も、嫌だろうな。
それを証拠に、私と二人で行動するときのお姉ちゃんは手際がよい。(^^;;
怖いのかな。(^^;;
また今日も、あんまり予定通りに勉強をしていないから叱ってしまった。
「予定より少し早めにすすめておいて、なにかあって予定通りにできないことがあっても、大丈夫なようにする癖をつけてね。」
なんというか。
娘さんの性格的には難しいかなと思いつつ。言わざるを得ない。普通よりは「予定通りにいかない」ことが起きやすいわけだから。備えることは、社会人になれば求められてしまうだろうから。
厳しいだろうか。
しかし、だれも他人はそこまで言わないだろうし、子供の頃からの習慣は大切な気がするのだ。
学校の意義
学校は、試験やテストの成績という限定的な要素だけを伸ばす場所ではなく、『人間的な成長機会』を与える場所。
?学校という社会で生きる事により、人と調和をしながら生きる事を学び、規則校則の中で生活する事で、秩序の成り立ちを学ぶ。人の気持ちを感じ、社会の生き方を感じ、友情や愛情・喜怒哀楽の感情を育て、未来を生きる上で必ず必要な『自我』を築き上げる。
?極論を言えば、子供の頃のテストや試験の点数なんて、将来を生きる上では、何の役にも立たない。
?しかし、自我というのは、人間の根底の部分になる。人に優しく、愛し、受け入れながら生きる事ができるか。社会に優しく、愛し、受け入れながら生きる事ができるか。これができるかできないかで、将来の幸せは大きく異なってくる。
以上 WEBの一部引用記事を自分なりに咀嚼してまとめ直してみたもの。
そう「学校とは。」
難しい問いだと思う。
娘が学校で学ぶべきこと。
自らの障害を理解しながら、できることできないことを把握し、予定調和や規律の中で、どうやって折り合いをつけていくべきかを学ぶ。選択肢が一つではないことを学ぶ。
自らの不自由を受け入れ、それをカバーするべく自らのありたい姿を模索する。
当たり前に、目立ちながら生きること。
実はとても大変なことだけれど。
それを自分なりに受け入れた上で、逆に生かしていくことができれば、生きやすくなる。
そんな風に思うのだ。
人には得意不得意があり、できることできないことがある。なりたい自分も夢だって違う。
学校という場で、様々な経験をしながら、たくさん嫌な思いや失敗もしつつ自我を築き上げられればいいな。と思う。
どうしても過保護になりがちな障害児がいる家庭。
娘が外で頑張れるように、自宅をオアシスにしてあげること。困った時に頼れるような人間関係を保つことを忘れずに。
でもある意味心配しすぎずに、任せてやらせてみること。
とても大切に思うのだ。
この観点から障害児の学校選択を考えた時、いろんな議論が生まれる。いろんな場合がありいろんな家族がいる。
ただ一つだけ思うのは、だれにでも自我形成はかけがえのないものだということ。
そしてそのための機会として学校を捉えた時には、ある見方が生まれるということだと思う。
何が言いたいかわからないかもしれないけれど、ふと考えた。
わかる人にはわかるかもしれない。
独り言として、備忘録。
なんというか、考えてしまったな。
風邪
参りました。
金曜夜から発熱して、二日間。風邪症状に苦しみました。
特に頭痛がきつかった。家族に謝り土曜日はかなり寝かせてもらい、鎮痛剤を飲みながらなんとか頑張りやり過ごし、日曜日には半回復。月曜日には薬を飲めば気にならないくらいになりました。
ふぅ。
土曜日に、午後幸いにも内科がやっていてくれて、注射を打ってくれたことと。薬がもらいたこと。
金曜日夜から土曜日昼まで、私を少し一人で寝かせてくれた家族のおかげさまです。
はぁ辛かった。
合気道の稽古、いつもは娘と二人、同時に稽古しているので見れないのですが、ゆっくり見学。動画も撮れました。
ちょうどいいことに、娘にとってハードルが高い技をやりまして。悪戦苦闘しつつもなんとかする凄さがわかりました。
日頃、先生方がしきりにいう、「なんともいえない絶妙なバランス」という意味も少しだけわかり、なんだか嬉しかったです。
合気道 続くといいなぁ。
副産物で土曜日の昼は キッシュ作りだったらしく。食べたんですが身体がきつくて、写真どころではなくて撮っていません。でもすごく、美味しかったです。(^^;;
書いている今は、だいぶ治ってきていて、ようやく一息といった感じです。
今日も無理せずに早く寝ます。
お姉ちゃん。
この3日くらい、右足断端末が荒れ気味
薬を塗り地味に治して、今日はあえて保湿だけで様子を見ます。
明日朝、どうなるか。
場合により、また朝に対処ですね。
さてさて
洗濯したら寝よかな。
北野玲個展
岐阜中日ビルにて開催されている「北野玲個展」を観に行ってきました。
少し前のブログでも書きましたが、玲さんの在廊に合わせるために時間を調整しつつ、のんびりとした予定で。
岐阜中日ビル。
岐阜大学に八年間通っていたのに。一度も行かなかった(^^;;。
はじめ、どこにあるのかわからなくて、探しました。
場所は、岐阜の中心部。
名鉄岐阜駅から真北へ5分くらい。
東柳ヶ瀬の東端にいちしています。
今回の個展はその建物の二階。
「アートカフェ 中日茶房」というところで開催されていました。
当日、雨だったので少し心配していたのですが、岐阜駅前ってすごいですね。
駅を降りてから、交差点を横断する以外はずっと歩道に屋根があるんです。
これだと、かなり子連れのお客さんとか車椅子の方もきやすいですね。そうした街づくりになっているんだなと、今回改めて思いました。(^^;;
到着したら、運のいいことに他に北野玲さんのお客様はいなくて、ゆっくりとお話をさせていただくことができました。
お店はカフェになっていて、コーヒーが200円。ジュースもありますし、お腹が減った人のためにドーナツが置いてあります。
どんな場所かと言いますと…
丸机が六個
それを囲んでゆったりした椅子が四脚づつくらいでしたでしょうか。
壁際には作品を飾るための天井から吊るすチェーンがほぼ全面に張り巡らされ、床には壁2面に床から50cmくらいの高さに、奥行き70cmくらいの台が折りたたみ式で備え付けられていました。二階まではエレベーターがあり、トイレもすごく広い。^o^
なんだかすごくゆったりと見やすい会場だなぁ。というのが印象でしょうか。
作品は アクリルガッシュやら、デジタル画から色鉛筆のデッサン。ポートレートデッサンからヌードデッサン。タロットカード画から絵本作品。
本当に幅広い作品達が、それぞれに独特の雰囲気を持って展示されていました。
まるで4~5人くらいの合同企画のようなボリューム。すごいです。
途中、同じくRAT会員の方にもお会いできる機会をいただいて、いろんなお話を聞かせていただけました。
なるほど皆様の様々な想いや経緯があって、今のRATがあるんだなと、あらためてよくわかり、嬉しい気持ちになりました。
結局、あっという間に3時間。
ずっと話し続けて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
本当に楽しい。
何枚かとても気に入った絵がありまして。
その中で絵葉書になっていたものを二枚だけ、最後にいただいてきました。
不思議だったのは、わたしが気に入ったものの半分くらいは玲さんのピックアップには入っていなかったこと。
やはり人により、絵の好みは別れるんだなぁとあらためて思いました。
暖房が効いていた部屋で。長いこと話したせいかしら(^^;;。少し咳が出ます。
予防で持っていたマスクで抑えていましたが、いけませんね。(^^;;
早く寝るようにします。
追伸
今回、あらためて。
私をRATにお誘いいただいたことが、ものすごい貴重な機会だったのだなと、改めて思いを強くしました。
おかげさまですごく毎回楽しみになりつつあるエッセイの執筆。あのとき誘っていただいたからこそなのだなぁと、感謝する気持ちになります。
いつまで続くかわかりませんが、できるなら私も一緒にRATの行く末を見届けてみたい。
そんなことを考えた1日になりました。
北野玲さんの個展
詳しくは以下のページより
http://reik85.wix.com/rei-1
玲さんの在廊に合わせて、来訪していただくとなお一層楽しめると思われます。
なにより、主催者さまが素晴らしい。