眼前を様々なシーンが走馬灯のように過ぎ去っていく。それを喜ともなく悲とも無く見つめている自分は一体何者なのか?このような過去の情景に接するとき、時間という舞台にせり上がってくる造影が主体となって、見つめている我は添え物のような無機的な立ち位置にあって、まさに夢中の主客転倒した情景観察者の様子を呈しているのである。この我が健在な内はまともな生身だが、霧のように霞んでくると人間卒業になるらしい。人は出会いによってそれぞれの人間模様を作り出して、内面の奥行きを広げていくものだが、どのような対応をしてきたかによって、目も当てられないような恥ずかしいことも、また、忘れ去りたいほどの懺悔をも呼び起こすことになる。
沢山の負の面を抱えた人生に気づいたとき、他者に対する思いやりも生じるだろうし、人間が優しくなれる。歳をとるってことはいいことなのだ。
沢山の負の面を抱えた人生に気づいたとき、他者に対する思いやりも生じるだろうし、人間が優しくなれる。歳をとるってことはいいことなのだ。
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