かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

事件報道など百害あって一理も無いような気がします。いっそやめたらどうでしょう。

2009-06-24 21:35:03 | Weblog
 今日も朝未明の集中豪雨で目が覚めて、睡眠不足気味で一日を過ごしました。雨が降るのは別にかまわないのですが、夜中うるさいのは困りものです。なんでも台風崩れの低気圧が前線を刺激したそうですが、こう連続するとさすがに体調にも影響してきます。どうやら梅雨前線はいったん離れ、天気が回復するそうですから、今夜はぐっすり静かに眠ることが出来るのでしょう。本当に、そう期待したいです。

 さて、冤罪がどうやら確実視される足利の事件で、マスコミが、裁判所と検察と警察ばっかり攻撃して、当時の自分たちの行為にじは頬っかむりするつもりかと思っておりましたら、ようやく報道姿勢についての話が、各新聞社から出てきたようです。裁判員制度が始まるにあたり、各社とも事件報道で予断を与えることが無いようガイドラインを策定しているとのことですが、それに照らし合わせ、当時の報道に問題が無かったか、検証する、という話でした。各社とも、一様に、犯人視するような内容の記事があったことを認めており、警察からの発表を鵜呑みにした紙面を作っていたことを反省しているようです。
 そのこと自体は評価に値すると思いますが、では何らかの改善策がとりうるのか、というと、「それでも容疑者を手中にしている当局からの情報を核にせざるを得ない属性を持つから」事件報道は難しい、とA紙の話にもあるように、これといった具体的な対策は難しく、ガイドラインでも、捜査情報について「犯人視しない報道」の徹底を掲げているくらいで、具体的に「犯人視しない報道」とは何なのか、これだけでは判りかねます。
 私個人としては、そもそも事件報道など必要なのだろうか? という疑問もあります。事件があったこと、位は報道されても良いと思いますし、容疑者が逮捕された、という話もあっても良いでしょう。でも、罪も確定していない段階で実名報道や写真、映像を公開されるのは明らかに行き過ぎのように感じます。秋葉原の連続殺人のように、どうみても疑いようの無い現行犯逮捕な容疑者ならばともかく、事件後何日かたってから捕まった容疑者については、ごくごく小さな扱いで名前も抜きでそっと端っこに乗せるくらいでちょうど良いのではないのでしょうか。
 それに、結局足利の事件でもどこかにいるはずの真犯人は逃げおおせており、犯人逮捕、といわぬばかりな報道で、真犯人の周囲にいるヒト達も今更疑いを持つこともなく、もし何か小さな齟齬を感じても見逃してしまったかもしれませんし、真犯人も安堵してのうのうと人生を送ったのかもしれません。そういうバイアスを世間に与え、事件解決をほとんど不可能にしてしまったことについては、どの新聞も特に反省点として述べてはいませんが、容疑者の人権と同じくらいの重みで、事件解決を結果として阻害したかもしれないことを、マスコミ各社は改めて反省すべきだと思います。

コメント
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