かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

失せモノ探しかねて大掃除するも、部屋は片づいたが結局発見に至らず。

2006-04-15 21:53:25 | Weblog
 明日は休日出勤なので、今日のうちにサイト更新を行いました。しばらく休んでいた長編小説の連載ですが、順調にいけば夏コミ終了後くらいまで続く事になるでしょう。ご覧いただいている方には、また気長におつきあい頂ければ幸いと存じます。

 夏コミというと、「ゆりかもめ」がエラい事になっていますね。臨海高速の最寄り駅は混雑して駅から外に出るだけで一苦労させられるので、その混雑がイヤで会場への足を数年前に「ゆりかもめ」へ切り替えた私としては、このニュースは人ごとではありません。是非とも今のうちにしっかり原因究明してトラブルがないよう直しておいて欲しいものです。なんでもちょうど会場では溶接関係の業界展示会が開かれており、「ゆりかもめ」全面運休の影響は無かったそうですけど、コミケとなればそういう専門展示会と2桁くらい違うヒトがあふれかえることになるでしょうから、「ゆりかもめ」がトラブルで止まるようなことになれば、それはとんでもない大混乱をあの一帯にもたらすに決まっています。若い頃ならいざ知らず、今やそんな大混乱を抜けて会場に渡る力は私にはのぞむべくもありませんから、そんな悪夢はないように願いたいです。

 先日から部屋の掃除をしております。私は妙な癖と申しますか、何か事を始めようとするときには、まず掃除して身辺を整えないと落ち着いてできないのです。おかげで色々発見もありました。永らく手入れしていなかったのであちこち何が堆積しているのか判らない状態になっておりましたが、長年どこに行ったか不明だったアイテムがそんなゴミの山の中から発掘されたり、これまで後生大事に取っておいたもの、例えばふるーい周辺機器のマニュアルとかを、さくっと処分して本棚の中身を一新したり、日頃整理整頓とは無縁な生活をしているせいか、こうして時間をかけてエントロピーを最小化した部屋の状況を生み出すのが、一種儀式めいた神聖さすら覚える行為になってしまうのです。
 しかしながら、かなり徹底的に掃除してみても、見つからないものもあります。今、どうしても発見できないでいるのが過去に書いた小説です。短編が1本と長編が1本。その長編は今連載を始めたところなのですが、これの印刷に使った元データが何故か出てきません。幸い一番最初に書いたテキストデータは残っていたのでとりあえずそれを元にしてはいるのですが、編集ー印刷段階で筆を入れた校正部分もありますし、それは印刷直前の原稿を見ないと確認できないのです。今回の掃除でなんとしても見つけたかったのですが、バックアップしたはずのCDが見つからず、いったんあきらめるより無い状況になっております。
 短編も、データがみつかりません。大まかな話の筋は記憶しているのですが、それだけで再現することは到底不可能で、まことに困ったことです。
 まあこういうものは必要が無くなった頃にぽっかり現れたりしますので、気長に探そうとは思いますが、やはり早急に在庫の無くなった本は印刷製本してモノを残しておいた方が良さそうです。

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五重塔耐震構造解析公開実験。結果が新聞社によって全然違うのは、何故?

2006-04-14 23:33:10 | Weblog
 今日は少し肌寒い一日でした。このところやたらと暖かかったので、ひょっとしたら今日くらいが平年の4月中旬の気温なのかも知れません。でも、ヘンな気候なせいか、まだ花が残っている桜が見えます。大半はほとんど散って赤紫色の枝となり、葉が出る前の小休止状態なのですが、そんな中にちらほら淡い桜色がかいま見えるのです。平安時代、寒い年は1ヶ月くらい桜が咲いていたそうですが、今年は寒い、というほどでもないようにも感じますのに、一体どうなっているのでしょう?

 さて、茨城県つくば市にある独立行政法人 防災科学技術研究所というところで、五重塔が何故地震に強いのか、を探るための実験が行われたとのことです。五重塔というと法隆寺が有名ですが、法隆寺に限らず、あちこちにある古い塔には、どういうわけか地震で倒れた、というような記録が無いそうです。あの阪神大震災でも、激震地域で塔が倒れなかったという話を聞きますし、確かに昔の塔は地震に強いらしいです。
 ところが、ならどうして塔は地震に強いのか、という根本的な疑問が、未だに建築学上の謎として、諸説紛々という状況らしいのです。法隆寺の五重塔といえば1300年も昔に建てられた31.5mもの高さを誇る木造建築物です。東大寺にしろ近世の天守閣にしろ、重機も動力もなかった時代によくこんなモノを作ったものだと本当に昔のヒトの力には感心させられますが、力学が発達した現代においても未だ謎と言わしめる五重塔には、まさに神秘的な神々しさすら覚えてしまいます。
 まあ謎とは言いながら、一応それらしい推測はあって、その有力な説の一つが塔の中心を貫いている心柱という長い柱です。もう一つ有力な説が塔そのものの構造で、ちょうど鉛筆のキャップを重ね合わせたような構造になっていて、各層が振り子のように柔軟に動いて振動を吸収する、とか、くねくねと揺れ動いて、揺れを減衰させるとか言うような話を聞いたことがあります。その辺りを検証するため、防災科学技術研究所で法隆寺の五分の一の模型を製作し、振動台に設置して、心柱をいじったりしながら揺らしてみたところ、どうも心柱は地震耐性にはそれほど影響がない構造物だと言うことが見えてきたんだそうです。防災科学技術研究所では更に実験を進めて揺れに強い五重塔の謎に迫る予定だそうなので、現実の建築設計に活用できるとか言う話もあるのでしょうが、私としては、いにしえの知恵の一端が解き明かされるという知的好奇心を満足させてくれそうなその結果に期待したいところです。
 ところでネットニュースを見ていますと、なぜか同じ実験の記事なのに、片一方では心柱効果に疑問という内容、もう一つは心柱に揺れを抑制する効果が観られた、と書いてあるのです。どちらも4大新聞の一角を占める大手新聞社の記事。実験自体は公開で行われましたし、多分説明も所長とか研究の統括者のヒトとかが代表して行ったのでしょうから、その場で開示された情報は常識的に考えて同じもののはずなのですが、どうしてこうも内容が180度違うのか、マスコミの不思議も色々目にしてきましたけど、これもなかなか理解に苦しむ不思議ですね。

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「夢使い」第一話、ようやく観ることができました。

2006-04-13 22:40:29 | アニメ特撮
 ようやく少し時間ができたので、録画していた「夢使い」を観ました。原作は植芝理一のコミックスで、2001年から2004年まで36話が雑誌に掲載され、6巻にまとめて刊行されております。ろりろりしたキャラと変質的なまでの書き込みでやたらと淫靡な印象を与える作風は前作「ディスコミュニケーション」の頃から好きだったのですが、自分の好みはさておいて、何故今頃になってこの作品をアニメ化するのか、正直理解できませんでした。実は観終わった今でもやっぱりよく判らなかったりするのですが、まあ塔子や燐子が動いているのを観られるというのですから、まあ理由などどうでもいいか、と思っております。
 ただ、深夜アニメとはいえ、あの世界を活写することがはたしてできるのか? というのは観る前から楽しみであるとともに、大いに不安を募らせる疑念でした。なんと言っても原作は、カニバリズムあり、両性具有あり、ロリコンあり未成年のアル中ありというおよそタブーなど存在しないかのように妖しい世界を執拗に描き出し、それが話の基軸となり、作風となって、もはや切り離すことなどできないようになっていると思われます。それをふまえて、そのテイストを壊すことなくちゃんと映像化できるとしたら大したものなのですが、その代わりに即打ち切りになってしまうような過激な内容でも困るのです。いえ、過激な内容は一向に構わないのですが、せっかく12回楽しみにできると思っていたのが、1,2回で終了、などとなっては困る、という意味ですが。
 ともあれ、一回目を観た限りでは、その辺の空気はとりあえず百合百合した話で無難にまとめていたのではないか、という気が致します。てるてる坊主から伸びる手が結構なまめかしく見えましたし、かなりソフトになっているとはいえ、原作の雰囲気は出ていたのではないでしょうか? ただ、謎解きものを1回で終わらせるというのは他の作品でも結構無理があるように覚えるときがあるというのに、ましてや複雑に絡み合った諸問題をのんびりまったり解決していく原作のスタイルからすれば、一羽完結という拙速ぶりにかなり違和感を覚えました。それに、あの第1話では、はじめて観る人には話が見えないのではないかとも思いましたし。もっともその点は、最近のアニメではそれほど問題にならないのかも知れないですね。「涼宮ハルヒの憂鬱」も、どう考えても原作知っているヒト以外には理解できない第1話をオンエアしてました。多分2クールとか4クールとか時間かけてやるアニメと違って、1クール未満で完結させるようなものでは、そんな背景描写に時間をとっていられないと言う事情もあるのでしょうし、知っているヒトを最初からターゲットとして絞り込んで製作しているという事もあるのかも知れません。
 まあまだ橘一や三時花も出てないですし、とりあえず評価は保留ということで、来週を楽しみに待つといたしましょう。

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春がおかしいです。

2006-04-12 22:44:09 | Weblog
 通勤に使っている道が、桃の畑と梨の畑の間を走っていますので、ちょうど今、右手にピンク、左手に白、といった風情になります。桜の淡い色合いも含めて、春らしい景色の続く良い季節です・・・って、これは何かヘンです。春の花は梅、桜、桃、梨と順番が決まっていて、同時に満開になるのはまず無いことです。ところが、ようやく桜が散り始めたばかりだというのに、すでに桃も梨も満開の花で彩られています。そういえば、今年は梅もおかしかったです。普通、梅は品種によって咲いていく順番があって、春のはじめの微妙な季節の移り変わりを教えてくれる生きた暦になってくれます。まず小梅が1月末から2月に咲いて、次に鶯宿(おうしゅく)、白加賀、南高と続き、最後は林州で、桜にバトンタッチします。ところが今年は3月になってから、ほぼすべての梅が一斉に花開きました。そういえば小梅がなかなか咲かないので今年は遅いなと思っていたのですが、咲くときはいっぺんだったので、うやむやになっていたのでした。
 おかしいと言えばワラビもヘンです。今日は久々に雨が上がったので外を歩いてみたら、あちこちから緑の鎌首がにょきにょき生えています。でも、昨年なら1週間は前にそういう光景が見えていたはずで、明らかに今年は遅いのです。
 そうかと思うと、春の雨のくせに「濡れていこう」などと洒落るなどとんでもない豪雨が雷のおまけ付きで降ってきますし、天も地も異様な状況を示しております。
 地球温暖化の影響なら、植物の活動も皆早くなっていそうなものですが、そうもならず、といって雨の降り方などはまるで熱帯の様で温暖化の影響っぽくも見えるという、何がなんだかわからない気候です。
 ヘンといえばこの間黄砂もとんでもないほど飛んでおりました。まるで黄色い霧に巻かれているように、全体が曖昧模糊とするなんて、かつて見た記憶がありません。中国大陸の砂漠化が加速度的に悪化している証左ではないかと思われますが、ついでに窒素酸化物や硫化物、あるいはもっと訳のわからない不気味なものなど難儀なものが飛んできていないか心配になります。中国も経済力や軍事力を強化している場合ではない、土地を守り、水と空気を守って行かないと、早晩生命の絶えた無慈悲な荒れ地になって、とても十何億もの人間が暮らしていける土地ではなくなるんじゃないか、と人ごとながら心配になるのですが、そのとばっちりが我が国にまで押し寄せてくるならば人ごとではなくなってきます。できることなら中国全土へ強制的に環境改善のための施策を打ちたいところですが、100年前ならいざ知らず、今は到底叶わない夢です。100年後の人民諸子に、実り豊かな大地を滅ぼした極悪人として記憶されたいのか、と一言いってやりたい気分ですが、かの国の指導者達は、自分の国の行く末に、不安や懸念は抱いていないのでしょうか?

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いよいよ始動します。まずはメイン作家さんとの打ち合わせから。

2006-04-11 22:10:43 | ドリームハンター麗夢
 暖かい雨が降りそぼつ、と思っていたら、雷が鳴ってたちまち土砂降りになっておりました。熱帯地方のスコールって奴はこんな調子なのでしょうか? とにかく例年になく雨が多い春です。

 受付確認ハガキが来たから、というわけではありませんが、夏コミの共同企画のために、以前よりお願いしていたメインの作家さんに連絡入れて、ページ数や内容など、具体的な打ち合わせを始めました。力のある方が意欲的に取り組んで頂けるので、きっと夏には素晴らしいものが出せるに違いない、と今から胸躍らせております。ネット環境のない方ですので、当面携帯のメールで何度かやりとりしてお話を進めて行くことになりますが、最終的には面突き合わせて色々おしゃべりしながら中身の詰めを行わないといけないでしょうね、って、こりゃまるで作家さんと編集者さんみたいです。日頃自分の好き勝手に作品作りしているだけのこの私に、ほんの少しでもコーディネートする才能があればいいんですけどね。もちろん、作品作りは人ごとではありませんから、自分の分もきっちりコーディネートしませんと。多分いつものように好き勝手するだけでしょうけど(笑)。

 最近、睡眠はきっちりとっているのに何故か16時過ぎくらいから眠くなってしょうがありません。ひと頃の状況が嘘みたいにこのところ寝付きがいいですし、朝の目覚めも比較的快調で、花粉症の薬も飲んでいませんし、眠くなる要素はあまり無いはずなんですが、これが春って奴なんでしょうか? 眠いのは夕方だけじゃなくて、例えば帰宅後、半身浴で入浴し、15分もたって身体がぬくもってきますと、たちまち眠たくなってきて、本を読んでいられなくなります。本人はそれでも一応活字を追っているつもりなのですが、何行も進まないうちにかくり、と頭が落ちて、そのたびにふっと目覚める始末。その目覚めた瞬間はそれはもうはっきり頭が冴えて、これなら大丈夫、と思うのですが、またすぐに眠くなっての繰り返しで、一向に読書が進みません。色々やりたいこともありますし、惰眠をむさぼっている暇はないのですが、この睡魔と争って意識を保つのは、並大抵の事ではできそうにありません。うーん、何となくこの文章までろれつが怪しくなってきた気がします。訳のわからないことを書き出す前に、今日はこの辺にして少し早く寝るといたしましょう。

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靖国神社を巡るアレコレを、政治問題にするのがおかしい気もいたします。

2006-04-10 22:28:51 | Weblog
 今日は少し肌寒い雨の一日でした。今週は今日も含めて梅雨のように雨模様になりそうで、今日まで満開を楽しんでいた桜も、すっかり散り果ててしまうでしょう。残念ではありますが、これも日々変化をやまぬ季節のうつろいの一様相、次は目の醒める新緑の季節がすぐそこまできているという印ですから、そう悲しむべき事でもないのは確かです。

 季節が進むと言えば、今日、夏コミ申し込みの受領確認ハガキが届いておりました。早速サークル名や住所氏名をチェック。大丈夫、間違いありません。これがくるといよいよ「夏」が具体的に肌で感じられるようになってきます。あと4ヶ月、ぼちぼち本気出して性根入れていかないと、というところですね。ところで、コミケットサービスから届いたもので、私はこれまで一度も誤植というものを見たことがないのですが、やっぱりあるところにはあるんでしょうか? 

 さて、小沢一郎 民主党新党首が、小泉首相の靖国参拝を批判したことについて、「戦争を主導した人達は本来祀られるべきではない」という言葉には、少し考えさせられるものを感じました。もちろん1950年代中盤までに国会決議で戦争受刑者の即時釈放要請が行われたこと、1956年にサンフランシスコ講和条約第11条に則り、関係11ヶ国の同意を得て、禁固刑に処せられていたA級戦犯の人達が釈放され、彼らの中から政府の要職についたヒトがいるなどは存じておりますが、私もかつて靖国神社に参拝したおり、東条英機をはじめとする大東亜戦争を指導した人達が靖国神社に合祀されている事には、なにか引っかかりを覚えたものでした。死者にむち打つのは日本人の心には似合わない事なのでしょうけど、それでも国家を滅亡の縁にまで追い込み、国民を塗炭の苦しみに貶めた彼ら指導者層の事を思うと、小沢一郎の言うこともわかるような気がするのです。
 一方、では当時たとえば東条英機が昭和天皇の意をくんで戦争反対を声高に叫んだとして、あの戦争が回避できたかというと、まず難しかったのではないかとも思います。政府要人への頻発するテロ行為や、国民をあおり立てるマスコミ、そして簡単に暴徒と化す国民達。これらを前にして、彼ら指導者達がどうあがこうと、戦争突入は不可避だったのではないか、と思えるのです。つまり時代の波に呑まれた不幸な人達、という見方だってできるのではないでしょうか。それでも、そういうのもひっくるめて責任を負うのが指導者というものだとするなら、その責任をとって、日本が国の体をなし続ける間は、免責され、名誉回復されるべきではないとも考えます。
 私のA級戦犯に対する思いは、やはりまだ許し難いという方に針が振れておりますが、だからといって日本国のために殉じた人達を祀る靖国神社への参拝を反対する気にはなりません。A級戦犯の人達の行為は許す許さないで語るべき事ではなく、いかにそこから今日的な教訓を読みとり、これからに活かして行くかを考えるべきなのでしょう。靖国に参るかどうかと言うのは所詮個人的な心情の問題だと思いますし、小泉首相が参ろうが、小沢一郎がそれを批判しようが、日本国のまつりごととは基本的に関係ない私的な行為に過ぎず、それをことさらに取り上げるマスコミこそ、実はこの問題で一番の病巣なような気がしてきました。
 ・・・ところで個人的な希望を言えば、西郷隆盛などは靖国に祀られてしかるべきじゃないかと思うのです。郷里の偉人、という事を抜きにしても、この人なしに今の日本は無く、まさに日本のために殉じた「逆賊」なのですから。A級戦犯合祀の是非なぞ、この問題からすればまさに「とるに足らない」些事だと思います。

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マリア様がみてる「くもりガラスの向こう側」ネタばれ感想です。

2006-04-09 22:16:38 | マリア様がみてる
 今日の更新は結局トップ絵を換えただけになってしまいました。「死神博士は何博士?」というお題の「かっこうのたわごと」は、まだ現段階は資料集めの状況で、まとめるにはもう少し時間がかかりそうです。もっとも、何博士かは既に頭の中で決めているので、調べがついたところで一気に書ききるつもりでおります。何とか今週中に片づけられたらいいんですが、はたしていかが相成りますことやら。

 さて、長々と引っ張ってきた感がございますが、発売から10日ほど経ちましたから、いい加減ネタばれも解禁と言っていいでしょう。というわけで、マリみて新刊「くもりガラスの向こう側」の感想を今日のお題にしてみたいと思います。
 今回のお話は、前作「未来の白地図」の続きも続き、実に「白地図」のラストシーンから始まっておりました。刊行前は、題からしてもなんとなく今度こそ祐巳と瞳子の関係に進展があるか、と言う期待がありました。もやもやした今の状況を突破してくれるんじゃないか、と思ったわけですが、結局今回もそれはかなわずじまいだったのは、マリみてファンならすでに周知の通りです。私はといいますと、表紙が公開された時点で「ああ、これはないな」とあきらめました。祐巳と祥子だけで瞳子が出ていないのですから。これで本文が祐巳と瞳子のオンパレードだった日には詐欺同然だったでしょうけど、これまで「マリみて」で表紙と内容が著しく食い違うことは無かったですし、決着は多分夏か、あるいは秋まで持ち越しだろうと踏ん切りを付けたのです。これで祥子が祐巳に「妹を作れ」とのたまってから5巻。人気作の引き延ばしはこの出版社の常套手段ではありますが、さすがに期待して待つのはそろそろ限界ですね。できれば次こそすっきりケリを付けて、新たな展開につないで欲しいものです。

 といいつつも、今回不満たらたらな内容だったかというと、私個人としてはけしてそんなことはありませんでした。むしろスール・オーディション以来久々に手放しで楽しかったと言えるのではないか、と思っている次第です。それはまずカバーのあらすじにあった、「……祥子について衝撃の事実が明らかになり…?!」という文章で「なになに?」と目を見張り、ついにネットでまことしやかに言われていたような「祥子不治の病説」でも本編で飛び出すのか、と疑ったところから始まり、それが実は祥子と優の婚約解消とわかるところ、更に祐巳が優の家の前までいって、瞳子の秘密について聞き出すのを断念する場面まで、純粋に楽しめたと思います。
 特に、小笠原邸新年会を中心に端々で描かかれる祐巳と祥子の甘々な交流、「永遠のお嬢様」清子小母様の浮世離れした魅力が存分に引き出され、ほほえましい限りの一遍だったと思います。邸宅全体を使った双六という発想も楽しいですし、それぞれの部屋に「ミジンコの間」とか「フリソデウオの間」とか適当もいいところな名前を付けて入り口に張り紙したり、それぞれの部屋に指令を書き付けておいたり、その指令遂行に必要なものを準備したり。あの食事を作らせたらとんでもないことになる「お嬢様」が、一体どうやってあれだけの準備を娘に悟らせることなく成し遂げたのでしょう? もう含み笑いを押し殺しつつ、ただ嬉々として準備にいそしむ姿が想像されて、本当に楽しかったです。それにしても改めて思いますに、アニメの方はこの年齢不詳といってもいいような気がする「お嬢様」ぶりをちゃんと描けておりませんね。マリみて世界では1,2を争う位楽しいキャラだと私は思うのですが、新作では少しは改善されるでしょうか? 

 さて、続刊に期待する上で今回伏線になっているのかな? と妄想をたくましくしておりますのが、ラスト近く、優のところに行くために家を出る寸前、祐巳の足を止めた回覧板。ピッキング被害が多く出ている、という話は、ここだけですとあろうが無かろうがどうでもいい、単なる無駄話に過ぎないくだりです。従って、何らかの形で祐巳と瞳子の間を取り持つ事件として、次の巻でこれが活かされるのではないか、と期待しているのです。そして、はじめの方で弟の祐麒に連れられて詣でたお稲荷さんへ、祐巳と瞳子がお礼参りに上がるようなまとめをしてもらえたら私としては大満足と言うところなのですが、はたして3ヶ月先にはその結果が出てくれるでしょうか?

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「マリみて」新刊の前に……その2は「ドリームバスター」!

2006-04-08 23:14:37 | 夢、易占
 昨夜の反動でぐうたらに過ごしてしまいましたが、一応ビデオにとってあった4月からの新アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を観て、更に少しだけでしたがこれも新しく始まったウルトラシリーズ最新作「ウルトラマンメビウス」を観てみました。「ハルヒ」の方は予想していたよりもきっちり作られているようで、来週はいよいよ「夢使い」も始まりますし、先々楽しみが増えました。「メビウス」は、残念ながら「何これ?」と言わざるを得ないチープな出来に驚かされました。よほどお金がないのか、それなら無理してやらなくてもいいのに、というのが正直な感想です。いえ、別に子供向けだったりするのは構わない、というより、子供のために作るのは当然で、それをこいい年したちらは、童心に戻って楽しませてもらっているだけだと思っております。でも、同じように子供向けに作られている「スーパー戦隊シリーズ」に比べても、あまりに落差が目立つのではないでしょうか? 子供相手だからこそ、安易に手抜きなどせずにしっかり作り込むべきだと思うのですが。「スーパー戦隊」や「仮面ライダー」が新しい要素を次々と取り入れて見事換骨奪胎に成功しているのに比べて、「ウルトラマン」は過去の遺産をただ食いつぶしているようにしか見えず、そのコントラストがあまりに目立つのです。たぶんメビウスを観ることはもう無いでしょう。「BLOOD+」の前番組として、時間調整にひょっとしたら観たりするかも知れませんが……。
 
 さて、そんなこんなで適当に時を過ごしつつも、活字だけはしっかり時間をとって楽しんでいたりします。
 今日読み終わったのは、宮部みゆきの「ドリームバスター3」(徳間書店)。人気シリーズなのでしょうか、初刊は2001年末に出ているのですが、そのまま続いているみたいです。
 題名が「ドリームバスター」、初刊の帯に書いてある言葉が「あなたの悪い夢退治します!」それで作者が宮部みゆき。これだけ揃っていたら、ドリームハンター麗夢にはまっているこちとらときては、買って読まないわけにはいかないではありませんか。というわけで初刊を買った4年半前には、実は大したことがない、という感想を抱いておりました。何がつまらないといって、その世界設定があまりにも前近代的というか幼稚というか、とにかくリアリティというものとはほど遠いように感じてしまったからです。
 物語の大筋を申しますと、地球とは異なる世界「テーラ」で不老不死を実現するため、実験体として利用されていた極悪人達の意識が、最終実験の大失敗のため開いてしまった「穴」を通って地球に逃げだしてしまいます。悪人達は地球の人間達の意識下に忍び込み、悪夢を見せたりして悪さをするわけです。それを、「ドリームバスター」と呼ばれる「テーラ」の賞金稼ぎ達が、意識だけをデータ化して送信できる装置を使い、極悪人達を捕らえににいきます。物語は、逃げ出した極悪人の一人を母に持つ若干15歳の少年がドリームバスターとなり、相棒の筋肉ムキムキな初老の男とともに、日本人担当となって悪党どもを捕まえに人々の夢の中にお邪魔する、というものです。
 麗夢で言えば、「夢魔」の説明をしてくれているような1巻でしたが、「テーラ」の設定が異世界というには薄っぺらで色々つっこみどころ満載な感じで、今ひとつのめり込むのが難しく感じられたのです。
 そ多分この作家には、瀬名秀明や貴志祐介のような緻密な物語世界構成力を期待してはいけないのでしょう。それよりは登場人物の掛け合いやストーリー展開をほどよく味わえば良いのではないでしょうか? 実際、陳腐だろうが貧弱だろうが、それについての説明よりも、既にそれを前提としてお話を進行させている続刊はそこそこ楽しく読めました。特にこの3巻について言うなら、そんな作者の特性がよりはっきり出ているようにも感じます。3巻は2巻の継ぎ足しの話と、2巻で解決できなかった話の締めの話、それに4巻につなぐための導入部という3部構成ですが、主人公に絡めるためのお約束みたいな少女キャラが登場したりして、実際の中身はもっと細かく章分けしているように感じられます。この作家は、それくらいの文章量の方が、テンポ良く読ませるのかも知れません。何にせよ、4巻が出たらまた読むことでしょう。なんと言っても続きが気になりますからね。瀬名秀明の新刊ほど渇望するところまではいきませんが、それなりに読書を楽しむにはよい作家だと思います。

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今日は歓送迎会で民主党党首選の結果も二次会の席で見ました。

2006-04-08 01:42:13 | Weblog
 今日は、というか既に午前0時を回っているので、「昨日は」が正しいのでしょうが、意識の上ではまだ今日のうちのような気がしております。その、ようするに今から数時間前が職場の歓送迎会でした。定年退職される方、人事異動で他の職場に移られる方、また他の職場からこちらに来られた方、年に1度の大勢集まっての宴会です。その後は2次会でカラオケ店に移動。4月第一週の金曜日の夜、という条件だったにもかかわらず、30分待ちくらいで部屋にはいることができました。それで帰宅、一風呂浴びて今やっとPCの前に座って日記をしたためているわけです。

 それにしてもこの田舎町は何故かターミナル駅周辺にカラオケ屋さんがほとんどありません。数年前は駅前にちゃんとあったのですが、閉店して既に久しく、以来新しい店は出てきません。カラオケって、もう衰退しつつあるのでしょうか? 大阪の街を歩いているとそれでもあちこちにカラオケ屋さんがありますし、オフ会でも大阪や京都でカラオケは定番で利用させてもらっています。そんな状況を見ると衰退とは言えないようにも思えるのですが、何故か我が町ばかりは違うみたいです。できれば色んなカラオケ屋さんができて、通信カラオケもそのときそのときで選べるようになってくれたらいいのですが、そうもいかないようです。
 そのカラオケ店で、民主党の党首選が小沢氏の圧勝で終わったというニュースを見ました。「政治生命のすべてをつぎ込む」と決意のほどを表明し、「まず何よりもわたし自身が変わる」と宣言するその姿は、これまでの民主党党首には無かった剛さを伺わせるものがあります。あとは果たして本当に民主党をどん底から引き上げる力があるのかどうか。何の根拠もないのですが、私にはどうしても小沢氏が「眠れる獅子」なんじゃないか、という疑いが晴れません。かつての清国が、何のかんのいってスゴイ力を秘めている、と思われていたのに日本に負けてその脆弱ぶりを露呈してしまったがごとく、小沢氏も表に出ないことで凄まじい力を秘めているかのような印象を周囲に与えているだけのような気がしてならないのです。強い野党が必須の現状に置いて、そんな思いはまさに杞憂であって欲しいと思いますが、はたして現実はどうなるのか、今後の民主党の行く末には目が離せません。

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クラークという名前には、懐かしさを覚えさせられます。

2006-04-06 21:34:54 | Weblog
 今日はずっと積みっぱなしだったタイヤチェーンを降ろして片づけました。さすがに桜も満開となっては使う機会が訪れることはないでしょう。朝はまだ寒いときもあるので部屋のストーブは置いてありますけど、いよいよ本格的な春がきて、やがて初夏へと移る頃には、これも物置にしまい込むことになります。暖かいというのは単純に気持ちがいいものです。

 さて、そんな中、1冊の本を読み終えました。マリみて新刊「くもりガラスの向こう側」と一緒に買った文庫本で、「宇宙のランデヴー」アーサー・C・クラーク著 ハヤカワ文庫 です。マリみての新刊を探し当てたあと、何気なく本屋さんの中を徘徊するうちに、平積みになっていたのが目に入りました。まず気になったのは、クラークの本が平積みになっているという事でした。クラークというと、1960年代にアイザックアシモフやロバート・A・ハインラインとともに御三家としてサイエンス・フィクションの黄金時代を築き上げた方で、「幼年期の終わり」や「2001年宇宙の旅」など、私も学生の頃はむさぼるように読んだものでした。そんな前世紀のいわば古典に属する作家の本が、新刊と同じく平積みになっているというのは、新鮮な驚きを覚えさせてくれる事件です。そんなわけで、それほど中身も確かめることなく、そのまま連れて帰ることにしたのでした。結局家に帰ってから確かめましたら、中身自体は1973年に書かれた小説で、ハヤカワ文庫収録も1985年と21年前(なんと、ドリームハンター麗夢が世に出た時と同じ……、クラークとは何の関係もありませんけど(笑))という結構古い本でした。平積みになっていたのは、今年新しい増し刷り(18刷)が出たためだったのです。
 こうしてマリみてとクラークを併読してきたわけですが、我ながらなんて嗜好をしているのか、と自分でも不思議な点はさておいて、読んで第一感は何とも懐かしい感じがいたしました。お話の内容は、作者得意の宇宙異文明遭遇譚です。太陽系内に人類が広がる2130年、外宇宙から直径20キロ、長さ40キロ、外郭厚1000メートル、自転周期4分という巨大な金属筒が飛んできます。異星人の手になるその物体にファースト・コンタクトの期待を込めて一隻の宇宙船が派遣され、内部の探検に乗り出します。お話はほとんどすべてがこの探査チームの活動を追って、進められます。艦長が中心となって幾人かのスタッフがお話を進めていく様は、往年の「スタートレック」などのドラマのような雰囲気でそれもまた懐かしさを覚える一因なのだと思われますが、他にも言葉の端々にちりばめられた軽妙な語り口や全体にみなぎる畏れと緊張感。しっかりした科学考証。どれをとっても間違いなくクラークの筆になるものに違いなく、それがぴたりと私の懐古的感情にはまったのです。といって中身に古びた様子は伺えません。今でも十分楽しめましたし、ヒューゴー賞とネビュラ賞同時受賞作というのも伊達ではないと思います。
 玉に瑕は、どうも薄っぺらに見えがちな登場人物や世界状況の設定で、惑星連合なる組織の会議のシーンは今となってはかなり幼稚に見えてしまいます。この点については既に発表当時から指摘されていたと後書きにもありましたが、クラーク自身の社会や政治に対する考え方や時代的制約を考えると、致し方ない点もあるのでしょう。それにそもそもそういう社会情勢を描くことを目的としたものではなく、あくまでも未知なるものに準備もままならないまま果敢にも挑んでいく人間達の姿を描く物語なのですから、それを念頭において読めば、十分堪能することができると思います。
 ところで懐かしさついでに調べてみて驚いたのですが、クラークってまだご健在だったんですね。それも現役でちゃんと小説も書いているんだとか。正直ただ一言、「スゴイ」と思ってしまいました。

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桜の開花速報くらい、ちゃんとやって欲しい。

2006-04-05 22:46:48 | Weblog
 スギ花粉情報サイトから最新情報のお知らせがメールで届いたので早速見に行きますと、一昨日期待を込めて予測したように、明らかにスギ花粉の量が減少している様子が見て取れました。天気予報では相変わらず「非常に多い」とか「多い」とか言っておりますが、我が県における3月30日から4月3日の実測値は、1平方センチ当たり0~2.5個、とほぼ無いといって良いレベルです。明日から再び天気が良くなりますので油断は禁物かも知れませんが、もうすぐマスクなしで過ごせるようになるのでは、と期待も高まります。

 天気予報といえば、公共放送でやっておりました桜の開花予報がどうもヘンです。私の職場である山の中でさえ、桜はすでに一昨日から満開になっているというのに、より暖かなはずの下界の街中のある地域は、まだ1分咲きだというのです。ちなみにやや街に近い我が住まい周辺も、見事な桜色がおぼろに風景をかすませるほどに、絢爛豪華な満艦飾ぶりを演じております。それなのにどうして同じくらいの気候なはずのところが、まだ1分咲きだというのでしょう? 品種が違うとかいう可能性はなきにしもあらずですが、それにしても高いところにある山桜ならともかく、街に植えられた桜(おそらく染井吉野に違いありません)が、そんなに遅いはずがありません。私が思うに、これはきっと、開花速報に不適な異常に咲くのが遅い樹を調査対象にしているか、はたまたろくろく桜も見ずに当てずっぽうでいい加減な速報を流しているかのどちらかでしょう。もし前者だとすると、樹によって確かに早い遅いはありますけど、花が咲いたかどうかを一本や二本の樹で判断するものでしょうか? 普通の感覚なら、幾本かの樹を見て、大体中間の樹を選ぶなり、全体を平均するなりするものではないでしょうか? アナウンサーだって、通勤途上見ているはずの桜の様子を思い起こせば、自分が読み上げている数値の異常さに気づいてもいいようなものでしょうに。
 しかしもし後者だとすると、もう何をかいわんやで、視聴者をバカにするのも大概にするがいい、と言ってやりたくなります。この調子なら、満開と報じられたときにはきっと若葉が青々と茂っていることでしょう。たかが桜の花と言えばその通りかも知れませんが、天下の公共放送がこんないい加減な情報を堂々電波に乗せて公言しているのを見てしまいますと、まだまだかの巨大組織は自浄・改革の努力が足りないのではないか、と思えてしまいます。本当に、こんな状況で受信料とか言われても、納得して払うのは大変難しいのではないでしょうか? 
 もし明日同じ速報を見て、いきなり満開になっていたりしたらもっと笑えてしまいますけどね。一言昨日は間違いでした、と言ってくれればまだ納得もいくんですが。
 
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頻繁なる情報流出の責任は、雇用者にこそあるのではないのか、と私は思います。

2006-04-04 21:28:23 | Weblog
 今日は帰宅途中突然ヘッドライトが消えてしまいました。ライトが切れることは過去にも経験がありますので、慌てずハイビームに切り替えてライトの高さを調整……と思ったら、ハイビームを示す表示が点灯しています。しかも、おかしい、と思って切り替えスイッチをぱちぱち入れ直しても、ハイビームの表示はそのままで、ライトはいっこうにつく様子が見えません。雨の夜道でライトがつかない、というのはこれまでお目にかかったことの無い大ピンチです。これは大変! と雨がしのげる陸橋の下に止まって、車載工具で念のためライト部分をはずしてみました。見ると、別にライトが切れているわけでもなく、ケーブルが抜けていたりすることもないし、外観上は何の異常も認められません。おかしいな、とスタートキーを回してみたら、パッとライトが点灯しました。狐につままれるとはまさにこのことで、どうして消えたのかもわかりませんし、再びついた理由も不明です。まあ悩んでいてもしょうがないので、再びライトをセットし、帰路につきました。すると、言えもほど近くなったところでまた、すぅっとライトが消えました。ハイビームの表示の異常も同じです。ここでようやく、どうやら接触不良か断線といった障害が発生しているんじゃないか、と思い至りました。帰宅後テスターなど道具をそろえて改めて調査に取りかかり、15分ほどで接触不良箇所を発見、補修して接点復活剤を振りかけ、元に戻しました。多分これで持つとは思いますが、休みの日でも時間をかけてもう一度しっかり調整しておきたいところです。

 さて、新聞にアンティニー以外の情報暴露ウィルスの記事が載っておりました。ここのところ毎日のようにウィニーによる重要情報の流出が報じられており、あたかもウィニーそのものが悪であり、ウィニーの削除・使用停止が重要、みたいな話が出ていたりしておりましたが、これでやっとそんなものが何ら対策になっていないと言うことが理解されるようになるのでしょうか。
 そもそもネットに接続すれば、様々な脅威や危険と出会う事になること、あたかも道を歩けば交通事故に遭遇する可能性が生じるのと同じくらい当たり前なことだと私などは思います。そんな風に、ネットは危ないものだ、という前提を意識するだけでも安全度は違ってくると思うのですが、交通安全については子供の頃から機会あるごとにほぼ強制的にたたき込まれるのに、ネットはそんなことさえ誰も教えるものがいなかったのですから、あちこちで色んな被害が生じるのは当然だと感じます。ウィニーに関しても、その利用の是非はともかくとして、ネットで検索すれば安全に使うための様々なノウハウがヒットしますし、結局自分の身を自分で守るには、警戒心を持って情報収集にいそしむしかないように思うのです。
 ただ、こうして「事故」に遭う確率は下げられるでしょうが、それ以前に役所も会社も仕事というものの考え方を改めないといけないのではないでしょうか。仕事用PCにウィニー入れて使うなどと言うのは言語道断だと思いますが、ファイルを自宅に持ち帰って私用PCで仕事をしてたら情報流出した、というのは、そもそもおかしいでしょう。そんな大事な情報を手軽に持ち出せること自体ヘンですけど、それだけじゃなくて、仕事を何故自宅でやらないといけないのか、そんな状況を放置した雇用者の責任がいっこうに問われないのは不思議だと思います。これってようするにサービス残業ではないですか。労働基準監督署は、ウィニーによる情報流出を証拠としてこんな企業などに対して徹底した指導を行うべきではないでしょうか。
 それに、情報流出させてしまった人達は、ネットにおけるセキュリティー意識の甘さという点では罪を負うべきでしょうが、そもそもPCを売りつけたりインターネットを勧めたりした企業も国も、そんな初心者に対しその危険性を周知徹底しなかったのですから、彼らの罪は相当程度減免されてしかるべきです。その上雇用者が労基法に違反する就業実態を放置したのですから、それで情報流出したからといって当の雇用者から特定のソフトウェアの私的利用禁止を強制されるなど、どう考えても理不尽としか思えません。政府もIT推進の旗ばかり振ってないで、こういった現状を理解して、教育なり啓蒙なりに注力して欲しいものです。

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スギ花粉の季節はもう終わりが近い?

2006-04-03 22:15:58 | Weblog
 今日は思い切って昼日中はマスクなしで過ごしました。といってもほとんど外へは出なかったのではありますが。それでも軽いくしゃみ一つくらいで一日やり過ごすことができました。この期に及んでまだ花粉症の薬を飲まずに過ごしているのは、昨年に続く快挙だと言えます。このまま来年以降も薬なしで過ごせるのならいいんですけどね。
 今年は前にも書いた花粉情報サイトのデータを見ましても、3月10日頃までは、昨年に匹敵するくらいたくさんの花粉が飛んでいた模様ですが、その後は急速に減り、3月末には昨年の10分の1程度しか飛んでいません。飛散状況のグラフを見ると、昨年はこれからとんでもない大ピークが刻まれておりますが、今年はどうなるでしょうか。隣の和歌山県のデータとか見てますと、もう何となく今年はこのまま終わるんじゃないか、というような感じがしてなりません。多分に願望が入り交じっていますので、客観的なデータ解析など今の私に望むべくもない、という分は割り引いておかねばなりませんが、いずれにしても昨年に比べれば今年は楽なはずなのです。
 それにしても、昨年はあれだけの中でついに花粉症にはならなかったのに、今年はどうして症状が出ているのか、不思議でなりません。風邪を引いたのが致命的だったのでしょうか? 試しに大枚はたいて干しブルーベリーなぞを買い込みましてせっせと食べたりもしたのですが、何故か昨年あれほどひどかったじんましんも出ず、花粉症にかかってしまいました。してみると、ブルーベリーアレルギーによる花粉症対抗措置は、夢幻に終わったと言うことになります。ただ、今年はブルーベリー食べるのが症状が出かかったときからでしたので、ひょっとすると遅すぎた、という事かも知れない、と未練がましく考えたりもしております。花粉症アレルギーのせいで、ブルーベリーアレルギーがブロックされてしまったのかも、なんて、根拠もなく考えてしまうわけです。してみるとこれは是非来年年明けくらいからせっせとサプリメントなどでブルーベリーエキスを摂取し、春を迎えてみるしかないかも知れません。年一回しか実験できないのは口惜しい限りですが、効くか効かないか位はなんとか後一年でけりを付けられるよう、実験方法を考えておきたいと思います。それでも今年の状況を見てましたら、風邪引いたりしたらそれでゴワサンになりそうですから、なかなか微妙な体調管理が必須のようです。
 
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ようやくサイトを一つ、春らしく換えることができました。

2006-04-02 22:55:12 | ドリームハンター麗夢
 今日のサイト更新は、このところ恒例になっていた短編小説のアップに加え、ROM同盟橿原支部のTOP絵を模様替えしました。いくらあまり更新しないページとはいえ、さすがに春になっても「スキー」の絵ではまずいとはずっと思っていたんです。ですから、本来ならお彼岸までには「春」仕様にして、今頃は麗夢同盟橿原支部「かっこうの本棚」の方もTOP絵を更新するつもりだったのですが、想定外の体調崩れでそんな予定も全く反古になってしまいました。あらためて「健康」が一番だと痛感した次第です。まあ「かっこうの本棚」用TOP絵もすでに下絵はできているので、後は完成させるだけではあります。なんとか来週にはアップできるようにしたいですね。
 ところで今回アップした短編小説は、麗夢ファン倶楽部老舗の「AVENUE REM」に投稿した最後の作品(のはず)、「美奈の夢猫狂詩曲」です。いえ、題名に意味はありません。ラプソディ、といったところで、具体的にどんな曲とかイメージしているわけでもありませんし、題名を付けるのが大の苦手とする私が語感だけで選んだ言葉なんです。動物相手のお話でしたので、今にして思えばもっとアルファ、ベータが活躍できる可能性があったのではないか、という気もいたしますが、当時は美奈ちゃんをどう動かすか、が一番の懸案事項でしたので、これはこれでありかと思っています。動物ネタはできればまた挑戦したいですね。ヒトとは違う世界があると思いますし、それを描くのは結構楽しそうです。
 さて、来週はどうするかですが、短編のストックはまだまだあるのですが、そろそろ長編の連載に移したいとも思いますし、また、永らく放置状態の「かっこうのたわごと」も一度手を入れたいという気持ちが上向いてきております。ネタはそれなりにありまして、「死神博士は何博士?」という奴なのですが、博士号とは一体何なのか、から説き起こして、最後に死神博士こと死夢羅博士は結局何の博士なのか? という考察をしてみようと思ったりしているのです。たわごとのデザインやリンク切れなんかもこの際ちゃんとチェックしておきたいですし、来週までに「たわごと」が書けたらそれで行くかも知れません。
 それとこちらもそろそろなんですが、夏コミの出し物、新作長編小説を書かないといけません。これについては、昨夏の予告にもありますように、夢御前麗夢(れいむです。念のため)様の物語にしようかと思っていたのですが、最近、まだ使っていない原作のキャラで話を作ることができないか、という考えに大分傾いておりまして、どうするかまだ決めかねております。その気になれば両方書けるかもしれませんが、他にもしなければならないこともありますし、そんな中で虻蜂取らずになっては何をしているのかわかりませんから、早々にどちらかに決めたいです。決まれば書くのはそれなりに早いですので、一度くらい夏コミ当落が決まるまでに作品を脱稿してみたいなと思っているのですが、はたしてどうなりますことやら。


 
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新刊はとりあえず感想一言だけで。

2006-04-01 23:34:52 | マリア様がみてる
 月も改まったので、いつまでも冬の装いもどうかと思いまして、テンプレートを変えてみました。手軽にささっと雰囲気を変えられるのはブログの一つの魅力といえますね。この際もう少しまめに見栄えも改めるようにしてみるのもよいかも、と思っております。
 
 さて、マリア様がみてる新刊「くもりガラスの向こう側」は、発売日の昨日にちゃんと購入し、現在1回半、読んでいます。ネタばれになるのは申し訳ないので詳しくは書きませんが、簡単に述べるなら、十分楽しかった、次が待ち遠しい、というところです。色々つもる話もあるでしょうが、それとは別にこういう甘々な展開は気楽に楽しめます。で、詳しいレビューは、1週間後くらいをめどに、3回は読み返してから書こうと思います。現在同時並行的にマリみて含めて3冊読んでいるところなので、読み返すだけで多分それくらいかかってしまうと思われます。何せそれぞれ結構面白かったりするもので、マリみてだけ重点的に読みふける、というわけにもいかないのです。それらのレビューもできれば後ほど、やりたいですね。
 ところで、これまでずっとマリア様がみてるを読んできて思っていたのですが、リリアン女学園のスール制度って、本当に機能するのでしょうか。もちろん架空のお話にそんな事をとやかく言うのは全く持って野暮でしかないとは思うのですが、私もアマチュアとはいえお話作りの端くれとして、このような人気作品の根幹をなす設定に生じた疑問については、無視していることもできないのです。
 スール制度は、元々は「姉が妹を導くように先輩が後輩の面倒を見る」という学園の教育方針から始まり、いつしか普通の先輩後輩関係をこえた、より強固な個人的関係を自発的に結ぶようになって生まれてきた、と言う設定になっています。姉妹の契りにロザリオの授受を行うというような儀式もあって、その関係はまさに夫婦に匹敵する神聖なる結びつきだと言うことです。
 ここで疑問が生じたのは、こういう人間関係というのは基本的に1対1が原則であり、一人が複数の姉妹関係を結ぶのは不可能なのではないか、と言うことです。つまり、2年生が3年生の姉と1年生の妹を持つというのは、2年生を挟んで文字通りの三角関係が生じてしまいます。作中でも黄薔薇姉妹のように、江利子と由乃が令を挟んで衝突してますけど、普通に考えれば大なり小なりその種の衝突は避けて通れないものと思われます。ところが、紅薔薇姉妹の蓉子、祥子、祐巳にその種の軋轢はなく、先々代の紅薔薇様と蓉子、祥子、あるいは先々代黄薔薇様と江利子、令にも、特にそんな様子はうかがえません。このあたりも、先々代、あるいは先代山百合会幹部が、とても高校生とは思えない印象を持たせている一因になっているんじゃないかと思えます。
 今、マリみての話題の焦点は祐巳の妹問題に絞られている感があり、その問題が出てから結果が出るまで随分我々読者は待たされているわけですが、祥子の祐巳への溺愛ぶりや祐巳の比較的高校生相応と思われる設定を考えると、何らかの形で祥子と祐巳の関係にけりがつかないと、到底祐巳の妹問題が片づくとは思えなくなるのです。
 作品を見ても、3代姉妹揃ってお話が紡ぎ出されていたのはマリみての初期、先代薔薇様が卒業するまでだけで、それ以後は基本的に3代揃ってという描写はなくなります。薔薇様並に出てくる機会が多い新聞部姉妹も、三奈子、真美、日出実でやろうと思えばできるのに、作中で揃い踏みした事がありません。関係が複雑になって格段に描くのが難しくなるためだと思うのですが、そんなことを思うに付け、ブウトンが妹を作って将来の幹部候補生にする、という山百合会のシステムは、到底機能し得ないのではないか、と思わざるを得ないのです。
 できれば作者に奮起して頂いて、初期の頃のように3代そろい踏みが問題なく機能しているところを描いて頂きたい(あるいはちょっと軋轢があって火花飛び交うような同人的展開によくあるパターンでも大歓迎ですが)と思います。あと、少しくらい次の巻の発売まで間があってもいいですから、粗製濫造にならないようにとだけは、ファンとして切に願いたいです。

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