今朝の奈良市アメダスの最低気温は26.2℃、昼の最高気温は36.5℃、五條市アメダスの最低気温は22.9℃、最高気温は36.3℃でした。今日は朝からよく晴れました。まさに夏空、と呼ぶにふさわしい苛烈な日差しが否応なく降り注ぎ、比較的気温低めな五條市でさえ体温気温になるという、まさに猛暑の1日になりました。毎日うんざりですが、8月の間は致し方ないようです。梅雨も7月中はほぼ変化なく、8月になった途端がらっと変わりましたが、この暑さは9月になった途端パタン、と下がって暮れたりするものなのでしょうか?
さて、今日は8月15日というわけで、75年目の終戦記念日という話です。毎度ここでは9月2日の降伏文書調印をもって終戦であろうと主張してきたわけですが、まあ聞き取りづらかったとは言え天皇陛下による大東亜戦争終結ノ詔書の音読が全国に流れ、とりあえず本土だけでも矛を収める事になったのですから、一応戦争はこの日で終わった、という認識でもまあ構わないのかな、と最近は思うようになってきました。もちろん満州では全く終戦の気配なく戦いが続いていましたし、本土でも武装解除までは若干の時間がかかったようですから、この日をもって戦争が終わった、というのにはなお違和感が残るのですが、大多数の国民が「終わった」と認識したというのなら、まあ終わりなんだろうな、と思うようになってきた次第です。
とは言え、玉音放送は実際のところ何を言っているのかわからなかったという話も多いようですし、内容もポツダム宣言受諾、ということで、戦争を止めるとも負けたともはっきり言ってなかったりして、これを聞いて敗戦と戦争終結を即イメージできたヒトは当時一体何人いたのか、どうも疑問を感じます。また、終戦の詔勅が発せられたのは前日の14日、軍に対して停戦命令が下されたのが16日といいますから、それからしても本当に8月15日を「終戦」の日としていいのか、疑問です。それならやっぱり降伏が法的に完成した9月2日をこそ記念日にすべきなのではないか(別段自分の誕生日だからというわけではないのです)、などとやっぱり簡単には納得しがたいものがあります。せめて15日の玉音放送だけでなく、9月2日には降伏文書に調印して戦争が終わったんだということを、戦後75年という節目の年である今年には報道されて欲しいものです。
さて、今日は8月15日というわけで、75年目の終戦記念日という話です。毎度ここでは9月2日の降伏文書調印をもって終戦であろうと主張してきたわけですが、まあ聞き取りづらかったとは言え天皇陛下による大東亜戦争終結ノ詔書の音読が全国に流れ、とりあえず本土だけでも矛を収める事になったのですから、一応戦争はこの日で終わった、という認識でもまあ構わないのかな、と最近は思うようになってきました。もちろん満州では全く終戦の気配なく戦いが続いていましたし、本土でも武装解除までは若干の時間がかかったようですから、この日をもって戦争が終わった、というのにはなお違和感が残るのですが、大多数の国民が「終わった」と認識したというのなら、まあ終わりなんだろうな、と思うようになってきた次第です。
とは言え、玉音放送は実際のところ何を言っているのかわからなかったという話も多いようですし、内容もポツダム宣言受諾、ということで、戦争を止めるとも負けたともはっきり言ってなかったりして、これを聞いて敗戦と戦争終結を即イメージできたヒトは当時一体何人いたのか、どうも疑問を感じます。また、終戦の詔勅が発せられたのは前日の14日、軍に対して停戦命令が下されたのが16日といいますから、それからしても本当に8月15日を「終戦」の日としていいのか、疑問です。それならやっぱり降伏が法的に完成した9月2日をこそ記念日にすべきなのではないか(別段自分の誕生日だからというわけではないのです)、などとやっぱり簡単には納得しがたいものがあります。せめて15日の玉音放送だけでなく、9月2日には降伏文書に調印して戦争が終わったんだということを、戦後75年という節目の年である今年には報道されて欲しいものです。