鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

ホームページの翻訳について

2014年02月28日 22時33分29秒 | Weblog
3月定例会で提出されている平成26年度予算での総務費の事業の中にホームページ運営費353万5千円が計上され、その事業説明の中で自動翻訳システムの導入というものがあります。
事項別明細を読んでいてこの事業について気になりました。なにかというと、「インターネットを見るときのブラウザ(インターネットエクスプローラーやファイアフォックスなど)には、だいたいグーグルなどの自動翻訳の機能があるのになぜ?」ということです。

そこで担当課に内容を聞いたところ、そのシステムの導入と運用に年間約30万円、システムは四日市市のホームページと同じような形式を考えているとありました。また、行政用語などについての翻訳のノウハウもあるということです。
参考のために四日市市のホームページを見てください。
■四日市市ホームページ
ページ右の最上段に、英語、ポルトガル語、中国語、スペイン語にそれぞれ変換するためのボタンがありますので一度変換してください。画面の見たイメージのままで、それぞれの言語に変換されます。また自動翻訳のものと比べると翻訳の仕方の違いに気づきます。そういう意味では、日本の行政用語を自治体ホームページで変換することには意義があると思いました。

しかし“ あ、なるほど ”と思ったものの、まだ少し引っかかりがありました。そこでヤフーのトップページを参考に見てみました。
■Yahooホームページ
このページ、四日市市にあるような多言語変換のボタンはありません。ですので、自動翻訳のボタンで翻訳してみると、ページのほぼ9割が翻訳されます。ここなんです。引っかかっていたのは。特別なことをしなくても翻訳ができるかどうかということだったのです。そこで、気になったので外国の都市のホームページを見てみました。

■ニューヨーク市ホームページ
■ベルフォンテン市ホームページ(鈴鹿市の姉妹都市)

やっぱりブラウザの自動翻訳でほんどが翻訳できるページ構成になっています。
なにが違うのか。
鈴鹿や四日市のホームページをよく見ると、各種のボタンなどが画像として扱われているのです。つまり、そこに言葉が書かれているものの、それは絵の状態であって翻訳できる状態にないということです。そう考えると、見た目は楽しく目を引くものであるのですが、実際のところそればかりに関心がいってしまっているのかもしれません。こういう部分は、もしかすると見直すべき点かもしれないと思います。それとニューヨークのホームページのデザインはシンプルで見やすいですね。

アメリカと日本の 地方政府が担う仕事に違いがあり、住民の人たちに提供する行政情報の内容や量に違いはあるかもしれないので、単純に比較するわけにはいかない部分もあるとは思います。
しかし、多言語に対応することを考えると、たしかに翻訳の精度に課題はあるでしょうが、広告などを除くページの9割以上が自動翻訳に対応するような構成にする方が、多文化共生や国際的に開かれたまちとしてはよいと思います。そのほうが結果としてコストも低くなるのではないでしょうか。

とは言っても行政用語の課題があるので、鈴鹿に居住する人に居住しようとする人に向けてということで、現在の時点では今回の事業は妥当と考える方がいいと思います。
ただし 世界で使われる言語は、英語、ポルトガル語、中国語、スペイン語だけではありませんから、今後、海外からの観光客や留学生に鈴鹿に関心を持ってもらうことを考えるのであれば、他言語に柔軟に対応できるホームページの仕様とデザインを研究し、それに対応するようにリニューアルをするべきだと思います。
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高齢化社会

2014年02月28日 12時59分14秒 | Weblog
議会が高齢化社会という言葉から考えるべきことは、人の加齢からだけの観点から考えるのではなくて、社会学や経済学の観点から考えたときの様々な社会資本も、同じように高齢化しているという現実、ヒトやモノだけでなく、社会のシステムも高齢化しているということです。

そのことを考えるとき、例えば医療機関の存在はどうでしょうか。
今ある開業医の方々が20年後も同じ場所で続けられるのか、後継ぎとなる方がいなければそこから医療機関がなくなるのではないか、しかし医療施策が今ある医療機関を前提に考えられているとすれば、どこかの時点で大きな考え方の転換が必要になるでしょう。
お医者さんという“ヒト”の加齢と、医療機関・診療所という“モノ”の老朽化が進むということは、そのまちの医療体制という“システム”も老朽化していくと考えることが自然だということです。

このようなことは今の鈴鹿のまちを見回せばいくつも見当たることでしょう。
つまり、鈴鹿市も高齢化しているということをまず受け入れるところからだと思います。
課題として出てくる事案に対して“今”の視点だけで施策展開を考えるだけでは、遅かれ早かれまた行き詰まることが想定できます。得てして“今”の解決だけに目が向きがちなことを、議会は自戒するべきだと思います。逆に言えば、多様な議員がいる議会こそ、まちの高齢化という課題に対して多様な視点から議論をすべきだと思います。同時に、今の議会のシステムも見直すことが必要なのだと思います。
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