ちょっと古い話題ですが、小泉環境大臣が育休を取ったということについて、そのことを否定するわけではありませんが、取り上げられかたから感じたちょっとした違和感があります。なにかというと、そのように行動することを、話題として取り上げられる年代は、限られた年代になってしまうのではないか、ということです。
細かく言えば、いまの時点で子どもが生まれる、子どもが生まれたという人でなければ、そのような話題はありえないわけです。では、そのような方々以外の方は子育てに関わってきていないのでしょうか?そんなことはないと思います。子育てに積極的な方も多いと思います。おむつを替えることは当然と思っている人も多いと思うところで、子育てがひと段落、終わった方々が、過去にどのように子どもと向き合ってきたかという点に、もう少し目を向けて取り上げてもいいのではないでしょうか。
また、育休を取るということだけでなく、育休を取る形でなくても、仕事を定時で終わり、帰宅して子育てをすることも、同じくらいに意義のあることだと思うのですが、そのような点に目が向けられにくくなってしまっていないかと思います。そうするために、お父さん(小泉純一郎氏)にも手伝って頂くというのもありではないかと思ったりします。
ただ論外なのは、子育てをしている自分ということを、自分のパフォーマンスに使っているような方や、そもそも自分の行動を良く考えていないような方の場合です。どうしても外せない仕事や所用において、自分以外には子どもと一緒にいられる方がおらず、子どもも同席が必要だとすれば、それはやむを得ないことだと思います。ですが、どうしても外せない仕事や所用でないのに子どもを同席させることは親の都合であって、うがった見方をすれば同情を引くためにと受け取れてしまいます。本当に子どものためであれば、仕事や所用は休んで良いのではないでしょうか、でなければ、ある意味で児童虐待的な行動とも言えるように思います。
ともかく大切なことは、子育てをするという行動を通じて、どのような愛着関係を子どもとの間に築くかということだと思います。なので、ある時の特定の行動だけを称賛するのではなくて、それと同じ時点での多様な子育てのスタンスや行動、実際の子どもとの関係などを取り上げるほうが、より今の子育てのあり方を問うことができると思います。
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