もう2021年の1月も後半になっていますが、私にとって4期目の3年目のスタートの年となります。2020年は、1月の半ばぐらいから見えてきた新型コロナウイルス“COVID-19の影響で、1年がほぼ終わったような感じがしています。ウィルスの拡大状況について、昨夏ぐらいまでの状況から秋冬と進むにつれて刻々と変化しており、1年で収束するどころか、ワクチンがあってももう1年ぐらい、話によっては2022年までは不安定そうな気配を聞いたりします。
東京オリンピック・パラリンピックの年ですが、国内の状況はもちろんのこと海外の状況から考えると、現時点で、開催は非常に厳しいのではないかと考えています。仮に日本国内でかなり沈静化したとしても、海外、全世界的にウィルスがうごめいているような状況では、日本以外の国の選手参加は厳しいでしょうし、まして観客の移動による拡大リスクを考えると、海外からの観客を見込むことは難しいと思います。また三重県では国体の開催が予定されていて、鈴鹿市でも複数の競技の開催が予定され、市役所には対応のための部署が設置されています。こちらは国内での感染状況が落ち着いたり、感染予防対策を十分にとるという前提で、観客動員なども含め、まったく以前と同じような開催は難しいとしても、なんらかの形で実施することは可能なのではと考えています。
そんな中、私も知り合いの方などから「上を目指さないのか」という趣旨のお話を頂くことがあります。この場合、上というのは主に県議会議員ということを念頭にお話を頂くのですが、そのようにお言葉を頂いた時には、私は「県議会議員ではなく、するのであれば首長が良いと考えています。」という風にお答えしています。それはもちろん、するかどうかは別として、という前提でです。
それは県議会議員の仕事を軽視しているわけではなく、もともと「鈴鹿市を良くしたい」、「市の取り組みに深く関わりたい」という思いで市議会議員として立候補、その後、多くの方に支えて頂きながら15年近く市政に取り組んできている経験から、私はやはり、鈴鹿市を良くすることに携わりたいという思いが強いからです。
また一般質問や議案質疑、討論などを通じてご意見を頂くこともあるのですが、その時に時々聞くことに「市長のようなことを言っている」ということがあります。これについては、私も4期の市議会議員としての経験の中で、政策提案や財政課題に対すること、議会改革に関連することを学ばせて頂き、二元代表制の一翼を担う議会の一員として、予算や決算、条例案や各種計画案などを議員として審査する時には、自分が首長ならどのように考えるのかということを、判断や評価の基準におきながら検討していることから、自然とそのように映るのかもしれないと思っています。
一般質問などを通じては、多くの議員の方々から色々な政策提案が行われたりします。その中にはとても参考になる質問も多く、他の方の考えから学ばせて頂いていると感じています。しかし、いろいろな提案について、それらを実行するには財源の裏付けが必要となります。ある政策を実行するために財源を求めるとすれば、税収を増やすか、ビルドアンドスクラップで事業を精査して考える必要があります。または、シーリングという形で一律に予算を削り、財源を捻出するという形もあったりします。
つまり、ある政策の実行にばかり焦点が当たると、その実現の片方で起こっていることが目に入りにくくなってしまう可能性が大きくなります。そのようなことをできるだけ少なくするためには、「木(個別の事業)を見て、森(市の財政全体)を見ず」 ではなく、“森”のあり方を考えながら、“樹”を考えることが大切なのだと思います。だからこそ、自分が首長であればどのように考えて判断するのかがあり、将来に向けて実現すべき政策や考え方の提案や、予算や決算に対しての自分なりの判断があると考えますし、そのために、チェック機関としての議会の一員としての議員活動がある、そのことに伴う緊張感も必要と考えています。
その他に、総合計画と関連する形で各種の計画が策定される際、議員としての立場から全員協議会などで計画に意見することもありますし、それを踏まえながら、文言を残す意味合いでもパブリックコメントにも意見を出すことがあります。パブコメに対する回答は個人名がわからない形ですが、そのことにこだわってはいません。意見を出すのは名前を残すためではなく、計画に対して意見や考えがあることを残す意味と、実際に市民の方々が意見を出すとしたときに、どれだけの労力があるか実感する意味があります。
ここまでが「やるなら首長が良いと考えています。」と答える理由といえます。ですが、首長という立場がやりがいもある一方で、非常に大変な職務であるということは、自分が市議会議員になってからの川岸元市長と現在の末松市長の取り組みはもちろん、これまでに交流を持たせて頂き、フェイスブックでつながりを持たせて頂いている他自治体の首長の方々の活動から、強く感じているところです。
別の観点についてですが、ある意味で今期の折り返し点に来た今だから考えることは、4期続けてくる中でも考えていたことですが、やはり自分の中で区切り、別の表現で言えば終わりを意識して活動することが、政治に携わるときに重要ではないかということです。自分の中で区切りを意識するからこそ、自分の取り組みを真剣に考えることにつながるでしょうし、余計な価値観に振り回されることも少なくなるのではと考えます。
そのことに関連して、自分が1期目の時にも聞いたことがある言葉ですが、「1期目は勉強だ」という表現があります。たしかにその部分はあると考える一方で、この表現について個人的には違和感を感じています。なぜなら、私たちのような議員は任期があり、必ずしも次が保証されているわけではありません。であるのに、次があるという前提に立つのは、私自身は居心地のよくない感じを受けます。
市議会議員であればリコールなどがない限り1期4年間になりますが、言葉に甘えることなく、言い訳にすることもなく、一所懸命に4年の間、勉強はもちろん議員として取り組むことが大切と考えています。だから私は、本会議における議案質疑や討論、委員会での発言発言など、自分が議員としてするべきと考えていることを、1期ごとに取り組んできました。
先のことを考えていないわけではなくいろいろと考えていますが、ここから先の2年間、次がどうと考えることよりも、まだまだ新型コロナウイルスの影響がある世の中、厳しい状況が訪れる可能性が高い将来に向けて、市議会議員の立場でできることを一所懸命に取り組むことが、私がするべきことだと考えがんばっていきます。
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