話題になっていた金融庁の「 金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」」ですが、2000万円が不足するとか、報告書を受け取らないとか、そのような点が取り上げられていました。
金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」
しかし、自分が報告書を読んだ中で引っかかった部分は、23ページから24ページにかけてで、「大学卒業、新卒採用、結婚・出産、住宅購入、定年まで一つの会社に勤め上げ、退職後は退職金と年金で収入を賄い、三世帯同居で老後生活を営む、というこれまでの標準的なライフプランというものは多くの者にとって今後はほとんどあてはまらないかもしれない。」とあったことです。
中身については、そのように進んでいくだろうと考えるところで、その意味では引っかかるというわけではありません。
ではなにに引っかかったのかというと、それは、大卒後の流れを“標準的”と表現していることの違和感です。このような形で生活できてきた世代は、仮にあったとしてもほんの短い期間でしょうし、それにしても、半数程度の割合が精いっぱいではないでしょうか。少なくとも、バブル崩壊後の世代はこのような形を“標準的”とは思えないのではないでしょうか。そう考えると、報告書以前に社会状況がどう把握されているのか、そこに疑問を持ちます。
また、本論とは少しずれるとは思いますが、大学卒業を“標準的”としていることも違和感があります。中学卒業で働いたり、高校卒業で働いたりすることを、そもそもどのようにとらえているのでしょうか。その観点が見えないまま、このような報告書がまとめられたという背景に、そもそも社会全体を考えるという意思が感じられないように思います。
とはいっても、この報告そのものは、資産形成のために投資活動などをもっとするべきだという方向性を持っているので、うがった見方ですが、そのあたりの人しか関心が向いていなかったのかもしれません。
ですが、この投資活動にしても、株式などについては企業の社会的価値に投資をするというよりも、配当などを当てにする考えが強いのではないでしょうか。そのようなことであれば、大きな金額を動かす人たちの意図に左右される部分が大きすぎないかと考えます。また、同じ投資額でも、持っている資産の額や年収の違いによる差は大きくなります。一見公平でも、実のところ持つ者と持たない者の格差の大きな仕組みに依存することは、果たして持続的なのかと考えると、非常に心もとない気がします。
ですから、今回の報告書の一件から私たちが考えることは、政権がどうこうということではなく、次の世代にも先送りしながらであるのに、非常に不安定な未来を突き付けられたことに対して、その現実にどう向き合うのか一人ひとりが考えていくこと、政治は表面的な議論や目先の議論にとどまらず、これから先の社会をつくっていくということに尽きるのではないかと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます