先日から「鉄ちゃん」系の話題が多すぎる感もある当ブログ。
「バイクブログのくせして何よ!」な~んて言われそうですが
バイクも所詮は「鉄馬」。 同じ「鉄」つながりということで御勘弁いただき
エピローグとして「古鉄(コテツ)のアルバム」から、ちょいと懐かしい写真を数枚。
(当時のモノクロ写真をデジカメで撮影したためピントの甘さは御勘弁を)
先ずは「七尾線」でのタンク型SL「C11」による「おくのと号」

(七尾駅にて1973年夏頃撮影)
当時、金沢からは「C58-140」が牽引、七尾駅で「C11-328」に牽引を交代。
無事に連結を終え、ウォーミングアップ中の体は小さいけど力強い印象の「C11」
お次は当時、中学生だった土花吉が一人で幾度となく訪れた「関西本線」
「奈良機関区」転車台の「D51-499」
変形大型デフ(除煙板)と集煙装置(煙突部の箱)を装備した、標準型D51より
何故か大きくたくましく感じた記憶が。
数多く観たD51の中で最も格好よかった「499」

(奈良機関区にて1973年頃撮影)
続いて関西本線から「紀勢本線」は「亀山機関区」
デフの「つばめマーク」で有名なのは「C62-2」だけど、ここの機関区では
何故か同じマークを着けた「C58」や「D51」が有ったりして当時は不思議に思ったり。

(亀山機関区にて1973年夏頃撮影)
こちらは亀山駅構内をデフに「はとマーク」を着けた「D51」の背走と奥で並走する「C57」が
まるで競争してるかのように観えた1枚。

(亀山駅構内にて1973年夏頃撮影)
そんな「関西本線」も1973年10月に無煙化。
この写真は最後のD51重連による最大勾配25‰の難所「加太峠」を激走する
「さよなら伊賀号」

(関西本線 柘植駅~加太トンネル手前にて1973年9月頃撮影)
当時、全国で国鉄の無煙化が日に日に進む中、何とか写真に残したいと
お年玉をはたいて初めて買ったカメラが「OLYMPUS-PEN」(ハーフじゃない多分、EEシリーズ)
大人達が高価な一眼レフでカラーフィルム撮影している中、坊主頭の中1土花吉は
ポケットに予備の白黒フィルム数本入れ分厚い時刻表を抱かえて鈍行列車を乗り継ぎ
最寄の駅から線路沿いを相当な距離歩いたり、駅構内や機関区に黙って進入したり。
(今では危険ですので止めて下さいねっ)
35年前の少年鉄ちゃん:土花吉は「オリペン」片手に、お小遣いが貯まれば
家を飛び出し、一人鉄道の旅。
やがて中2になると学校の部活も忙しくなり、中々撮影に行けなくなったりして
「鉄ちゃん」の影もやがて薄くなり「古鉄」化。。。
そんな最後に「トップ写真」は地元福井県の「越美北線」を走っていた「86(ハチロク)」の
さよなら列車「さよならハチロク」を撮影した時の写真。
発車前、福井機関区内(現:花堂駅裏)を行き来するのを夜明け前に
渾身の1ショットで撮ったもの。
実はこの写真。富士フィルムが主催した第1回福井県写真コンテストで入選した写真。
撮影機は当然「OLYMPUS-PEN」。撮影者は相変わらず坊主頭の少年土花吉。
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