Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

シュトゥットガルト:さまよえるオランダ人

2011年07月18日 | 音楽
 翌日はシュトゥットガルトに移動した。今や欧州きっての売れっことなったカリスト・ビエイトCalixto Bieito演出のオペラを2本観るのが目的。

 まずは「さまよえるオランダ人」。1841年の初稿による上演だ。ダーラントは「ドナルド」、エリックは「ジョージ」、マリーは「メアリー」となっている。楽器編成ではハープが使われていない。数年前にブルーノ・ヴァイルのCDが出て、わたしもそのときは驚いたが、今ではそれが舞台に載っているわけだ。

 もっとも、この公演は、幕切れに救済がない点を除いては、ことさら初稿を意識した上演ではなかった。言い換えるなら、ビエイトは、仮に改訂稿であったとしても、同じ演出をしたのではないかと思えるほど、これはもう動かしようのない、絶対的な演出だった。

 ビエイトの演出なので、性、暴力、酒、その他ありとあらゆる猥雑なディテールが氾濫しているが、感心したのは、散らかり放題ともいうべきそれらのディテールの基底には、ある一つのコンセプトがあることだった。

 それはお金だ。ドナルド(ダーラント)はもちろんのこと、水夫たちも女たちも、お金を求めて、「成功」を夢見ている。オランダ人もその一人にちがいないが、かれだけは人生に虚無を感じている。ゼンタはそういう異質な存在のオランダ人に惹かれる。一方、ジョージ(エリック)は「成功」から見放された男だ。お金にたいするアンチテーゼは、オランダ人ではなく、ジョージ(エリック)だ。

 こういう構図でとらえたとき、ジョージ(エリック)がくっきりした輪郭をもつ登場人物となることが、喜ばしい発見だった。いつもはエリックの個性が弱くて、ドラマの弱点になっていたが、それが克服され、弱い部分がなくなった。

 指揮者も歌手もオーケストラも、みな元気いっぱいだった。以前にベルリンのコーミシェ・オーパーで「後宮よりの逃走」を観たときも同じだった。あのときも、舞台に負けるな、という元気があった。ビエイトの演出は、観客を挑発するのと同時に、演奏家も挑発するのではないか。

 指揮はTimo Handschuhという若い人。来シーズンからウルム歌劇場のGMDに就任するそうだ。ゼンタはBarbara Schneider-Hofstetterという人。ものすごいパワーだった。オランダ人はYalun Zhangという中国人。渡辺謙に似た風貌だ。ドナルド(ダーラント)はこの劇場のベテラン、韓国人のAttila Jun。ジョージ(エリック)はフランクフルト歌劇場などで歌っているFrank van Aken。
(2011.7.7.シュトゥットガルト歌劇場)
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