Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

スザンナ・マルッキ&N響

2011年07月22日 | 音楽
 旅の記録を書いている間に、興味ある演奏会がいくつかあった。多少旧聞に属するかもしれないが、N響、都響、読響の感想を。

 まずは『N響「夏」2011』。スザンナ・マルッキが指揮をするのが注目の的だった。

 スザンナ・マルッキはフィンランド生まれの女性指揮者。現在はパリのアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督をしている。東京では2009年にシュトックハウゼンの難曲「グルッペン」でN響を指揮した。あの曲はオーケストラが3群に分かれていて、3人の指揮者が振るが、その中心的な役割を担っていたのがマルッキだ。

 今回は、演奏会の性格上、ポピュラーな名曲が並んだ。

 1曲目はベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。各パートのリズムがぴったり合っていて、見事な、というよりも冷徹な、といったほうがよいリズム処理だった。こういうリズム処理はどこかで聴いたことがある気がして、ぼんやり考えているうちに、往年の名指揮者アンセルメがスイス・ロマンド管と入れた各種のLP、たとえばシャブリエの狂詩曲「スペイン」を思い出した。

 もっとも、アンセルメのような色彩感には欠けていて、浮き立つような感じが出てこないのが、もどかしかった。これはマルッキのせいというよりも、N響サイドに共感の不足がありそうだった。

 2曲目はラロのスペイン交響曲。ヴァイオリン独奏は樫本大進。楽章を追うごとに調子が出てきて、最終楽章など滑らかで流麗な演奏だった。でも、あえていうと、ラテン的ではなかった。それはマルッキも同じだった。なお、この演奏では、第3楽章が省略されずに、全5楽章で演奏された。今の耳には、このほうが面白い。

 3曲目はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。リズム処理の冷徹さは1曲目と同じだが、この曲ではさらに、音楽の根幹を形成する男性原理に挑む、といった姿勢が加わった。マルッキは、容姿はチャーミングだが、女性らしさを売りにする指揮者ではなく、そこが好ましい。

 アンコールにシベリウスの「悲しいワルツ」が演奏された。これは一転してテンポを揺らし、センシティヴな歌い方だった。ベルリオーズやベートーヴェンには現れなかった一面を覗くことができた。

 N響は、プロ中のプロとして、必要十分な仕事をしたとは思うが、マルッキの新しい才能を楽しむ気配はうかがえなかった。
(2011.7.15.NHKホール)
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