Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ミュンヘン:アッシジの聖フランチェスコ

2011年07月21日 | 音楽
 最終日はミュンヘンに戻って、メシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」を観た。ケント・ナガノがこの歌劇場の音楽監督になったときから、いつかはこの作品を取り上げてほしいと思っていた。そのときはなにがなんでも駆けつけよう、と。それが実現したわけだ。

 オペラが始まる前に、何十人もの観客が舞台に上がって、物珍しそうにぶらぶら歩きまわり始めた。そのうち、音楽が始まって、目隠しされた白衣の男が、十字架にかけられて運び込まれた。男を取り囲む何人もの男女(アクショニストというらしい)が、男の口に赤い液体、つまり血を流し込んだ。血は白衣をつたって流れ落ちた。

 以上が第1景。この場面では聖フランチェスコと弟子レオーネが宗教的な問答をするのだが、それとこのパフォーマンスとはどう関わっているのか。

 舞台上の観客たちは第1景が終わると立ち去ったが、十字架と血のパフォーマンスはその後も延々と続き、プロジェクターによる映像も加わって、どんどん過激になった。

 演出はヘルマン・ニッチュHermann Nitschという前衛芸術家。1938年ウィーン生まれで、第二次世界大戦後、一貫して前衛芸術を展開してきたそうだ。その芸術活動をウィーン・アクショニズム(独語Wiener Aktionismus)というらしい。

 要するに本公演は、メシアンのオペラとウィーン・アクショニズムとのコラボレーションというわけだ。メシアンのオペラはオペラで存在し、それと関係があるのか、ないのかはともかく、ウィーン・アクショニズムが展開されたわけだ。

 言い換えるなら、本公演には演出は存在しない。演出不在の公演だ。これがわたしには一番困った点だった。既存のパフォーマンスが展開されるだけで、オペラにたいする解釈は存在しなかった。

 歌手では天使役のクリスティーネ・シェーファーが、透明感あふれる声で、まさに適役だった。聖フランチェスコ役のPaul Gayは、もっと苦悩が表に出てほしかった。無表情な歌と演技は、だんだん単調に感じられた。もっともこれは「演出」担当のニッチュの要請だったかもしれない。重い皮膚病をわずらう人役のJohn Daszakも同様だった。

 指揮のケント・ナガノは、この作品を知り尽くしている様子で、切れ味のよい指揮ぶりだった。オーケストラもよくこなしていた。
(2011.7.10.バイエルン国立歌劇場)
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