Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パスキン展

2015年01月23日 | 美術
 ジュール・パスキンはエコール・ド・パリの画家だ。第一次世界大戦終結後、1920年代に(主に外国から)パリに集まってきた一群の画家たち。パスキン(1885‐1930)、ユトリロ(1883‐1955)、モディリアーニ(1884‐1920)、藤田嗣治(1886‐1968)等々。皆個性的な面々だ。そのボヘミアン的な生活は、一種の憧れ、またはノスタルジーを感じさせる。

 パスキンはその中でも典型的な一人だ。ブルガリアの裕福な家庭に生まれたパスキンは、ウィーン、ミュンヘンなどを経て(当時すでに素描家として頭角を現していた)、1905年にパリに出る。1914年、第一次世界大戦が勃発すると、ニューヨークに移る。

 戦争終結後の1921年、パリに戻る。モンパルナスで享楽的な生活を送る。1930年に亡くなった。自殺だった。

 自殺の原因はさまざまなことが推測されている。その一つにリュシー・クローグとの不倫関係がある。パスキンには妻がいた。リュシーにも夫がいた。だが、リュシーへの想いは抑えようもなく高まった。一方的に(かどうか。おそらくそうではなかったのだろう)燃え上がるパスキンに対して、リュシーはある距離を保っていた。そうだからこそ、なおさら燃え上がる想い。実ることのない想い。

 「テーブルのリュシーの肖像」(1928)は、そんな時期の作品だ。パスキンの代表作の一つ。花を活けた瓶と花篭が配され、パスキンの中でもとりわけ華やかな作品だ。他の作品とは異なり、ひじょうに個人的な想いが感じられる。リュシーへの想いと悲しみ。

 「ウルーズ渓谷のリュシー」(1929)という素描にハッとした。リュシーが手紙かなにかを書いている。その様子をすばやく書きとめた素描――というよりも、パスキンの個人的な想い出――。リュシーへの溢れる想いが感じられて、胸が苦しくなった。

 リュシーに出した最後の手紙が展示されている。葉書のような厚手の紙に鉛筆で書かれている。最後にA DIEU!A DIEU!(さよなら!さよなら!)とあり、p(パスキンの頭文字)と署名されている。ドキッとした。見てはならないものを見たような気がした。

 心配になったリュシーはパスキンのアパルトマンを訪ねた。パスキンはバスタブの中で手首を切り、首を吊っていた。ドアに血でA DIEU LUCY(さよなら、リュシー)と書かれていた。
(2015.1.22.汐留ミュージアム)

↓「テーブルのリュシーの肖像」(本展のHP)
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/150117/ex.html
コメント (1)
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