Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

準・メルクル/読響

2015年01月17日 | 音楽
 準・メルクルの読響定期初登場。気合の入ったプログラムだ。とくにブラームス(シェーンベルク編曲)の「ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)」は準・メルクルの勝負曲だそうだ。注目の演奏会。

 1曲目はウェーベルンの「パッサカリア」。この曲はこういう音色だったのかと目をみはる思いだ。シェーンベルクに師事したウェーベルンが卒業制作として書いた曲。今まではシェーンベルクのような‘めくるめく’色彩感を持つ曲だと思っていた。でも、そうではなかった。もっと渋く、くすんだ音色がした。ウェーベルンの音色だった。ウェーベルンは最初から自分の音を持っていたのだ。

 これを生で聴くのは初めてではない。でも、今までこんな‘発見’はなかった。演奏のお陰だろう。点描風のアクセントもその後のウェーベルンを彷彿とさせた。

 2曲目はシューマンのピアノ協奏曲。ピアノ独奏は金子三雄士(かねこ・みゆじ)。ピアノ独奏ともどもテンポを落とす部分はぐっと落とし、音楽の内奥に触れようとする演奏だった。たんに‘流す’演奏ではなかった。とくに第1楽章はピアノと管弦楽のための「幻想曲」という出自を想起させた。

 金子三雄士は日本人の父とハンガリー人の母との子だ。準・メルクルはドイツ人の父と日本人の母との子。2人とも日本人の血が入っている。その共通項を感じた。西欧人の自己主張とは少し違う感性――自分はさておいて音楽に寄り添う姿勢――を感じた。

 3曲目は件の「ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)」。前2曲が抑えた演奏だったのに対して、この曲ではパワー全開だ。この曲がこんなに克明に演奏された例は記憶にない(少なくともわたしの経験の中では)と思える演奏だ。曲の隅々まで大小さまざまなドラマが詰まっている演奏だった。

 この曲についてはシェーンベルク自身が記した編曲の動機がよく引用される(この曲が好きだが、実際の演奏では、ピアノの音が大きすぎて、他のパートがよく聴こえないので、すべてのパートを聴けるように編曲したという趣旨)。でも、それを真に受けるのはどうかと、前から思っていた。今回その解答を得た気がする。

 シェーンベルクは、ブラームスのこの曲に、ブラームスの範疇を超える壮大なドラマの可能性を感じたのではないだろうか。それを試したい衝動に駆られたのでは――。今回の演奏ではシェーンベルクのそんな衝動が感じられた。
(2015.1.16.サントリーホール)
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